航空廠のあった広島県呉市広を訪問するという。案内は、広島市に住む本会会員の多山順一(たや
ま・じゅんいち)氏が引き受けられた。それを「中国新聞」が伝えているので下記に紹介したい。
昨年11月に行われた第22回李登輝学校研修団に参加した多山氏は、研修団終了後、たびたび研修
団講師としてもお願いしている李雪峰会長から呉の案内を依頼され、その場で快諾したそうだ。
参加予定者の中には、昨年上映されて好評を博した酒井充子監督の映画「台湾アイデンティ
ティー」に登場する黄茂己氏も入っている。また、石川公弘・高座日台交流の会会長著の『二つの
祖国を生きた台湾少年工』(並木書房、2013年刊)でも黄茂己氏や李雪峰氏の半生を詳しく紹介し
ている。
黄茂己氏らは李雪峰会長、何春樹副会長らと一緒に来日し、呉を訪問した後は東京などにも立ち
寄る予定だという。
◆石川公弘著『二つの祖国を生きた台湾少年工』
https://mailform.mface.jp/frms/ritoukijapan/uzypfmwvv2px
台湾の元少年工ら呉訪問へ 広の海軍航空廠などで労働 広島の多山さん5月に案内
【中国新聞:2015年3月15日】
http://www.hiroshimapeacemedia.jp/?p=41928
旧海軍の軍需工場で働いていた台湾の元少年工と家族約30人が5月に呉市を訪れる。旧海軍関連
施設などを巡り、広地区にあった第11海軍航空廠(しょう)の元従業員との面会も予定している。
元少年工は80〜90代。台湾との交流に取り組んできた広島市中区の多山順一さん(64)は「日本へ
の最後の旅になるかもしれない」と受け入れ準備を進めている。(広重久美子)
* * *
少年工は1943年から日本に渡航、高座海軍工廠(神奈川県座間市)を拠点に約8千人が全国に派
遣されたという。第11航空廠では航空機の製造などに携わっていたとされる。元少年工でつくる
「台湾高座会」によると、約200人いたという。
多山さんは、台湾高座会と親交があり、呉訪問について相談された。「少しでも喜んでもらえる
なら」と案内を引き受けた。
5月中旬に2泊3日で呉と広島の両市を巡る。第11航空廠跡、45年5月の空襲などの犠牲者をまつる
工僚神社(呉市広両谷)旧海軍墓地(同市上長迫町)などを訪問。大和ミュージアム(同市宝町)
の見学も考えている。
一行には第11航空廠で中隊長や寮長を務めた黄茂己さん(92)もいる。呉市を戦後訪れた同航空
廠の元少年工はいるが、黄さんは70年間一度も来ていないという。「日本は祖国」と語る言葉を聞
いてきた多山さんは「できる限り思いに応えたい」と心に決めている。