よりの転載で、台湾で桜を植え続けている王海清さんを紹介する一文が掲載されました。
王海清さんとはこの2月、私どもが河津桜の苗木を台湾に寄贈した折、南投県鹿谷郷
の式典にもわざわざいらっしゃっていただき、初めてお会いしました。この不自由な御
身体で今でも桜を植樹し続けているのかと驚きました。
私どもが寄贈した河津桜の苗木は、台湾では接木で増やしているのですが、台木とな
る母木は王海清さんが提供しています。
この桜ツアーに同行していたノンフィクション作家の平野久美子さんが1月末に出版
された『トオサンの桜−散りゆく台湾の中の日本』は、実は王海清さんを主人公にした
台湾の「トオサン」たちの戦後史で、母木提供の話もこの本に出てきます。
なお、この「生命の光」を発行しているのはキリスト聖書塾で、その母体はキリスト
の幕屋です。会員の皆さんは李登輝前総統を大変尊敬されていて、何度も訪台してお会
いしています。キリストの幕屋の詳細につきましては下記をご覧下さい。 (編集部)
キリストの幕屋ホームページ http://www.makuya.or.jp/
【4月30日 台湾の声】
『生命の光』四月号(発行・キリスト聖書塾)より転載
▼人物訪問 台湾の「花咲爺さん」王 海清
(取材・河盛尚哉)
台湾の内陸部に位置する南投県埔里の町。この埔里から霧社まで、約二十数キロの山
道に、いまも桜の木を植えつづけている方がおられます。今年、八十三歳をむかえた王
海清さんです。
お訪ねしたのは、一月末でしたが、沿道には王さんが植えられた、うす紅の山桜の花
が満開でした。
■高雄に花咲く同期の桜
王海清さんは、日本の統治時代に国民学校で六年間、日本の教育をうけました。その
とき、いちばん心に残ったのが、国語の教科書にのっていた「サイタ サイタ サクラ
ガ サイタ」でした。子供心にも、まだ見たこともない桜へのあこがれが、このころに
芽生えたといいます。
そして昭和十七年、王さんは志願兵として、高雄の海軍陸戦隊に入隊。
「徴兵じゃないよ、志願兵だよ」と、王さんは何度もほこらしげに話されます。そして、
そのときにうたった『同期の桜』を、うたってくださいました。
「貴様と俺とは 同期の桜
同じ高雄の 庭に咲く
咲いた花なら 散るのは覚悟
見事散りましょ 国のため
これ、日本時代の兵隊の歌。パッと咲いて、パッと散る。サッと散るのは、お国のた
めに死にましょうという心。歌って、思って、考えてみたよ。これが桜にこめた日本人
の心だよ」
■黙って、ひとりで始めること
沖縄での激戦に参戦するために、高雄で待機していた王さんの部隊でしたが、輸送船
がつぎつぎと撃沈されたために、そのまま終戦を迎えました。
戦後まもなく、王さんが移り住んだのが霧社でした。そこには、日本人が植えた桜が、
数百本も残っていたのです。それが、王さんが生まれてはじめて目にした桜でした。
「桜を見た、うれしかった。ああ、これが桜だ、と思った」
ところが、その桜が、道路拡張工事のために、一本残らず切り倒されたのです。王さ
んはそれが残念でたまらず、村の役場や有力者の人々をあつめて、桜を植える相談をし
ました。だれが何本、だれが何本と、桜再生の相談はまとまりましたが、いつまでた
っても、だれひとりとして、桜を植えようとはしません。
そこで王さんはひとり、だれにも告げず、日本人が植えた桜の種から育てた苗を、霧
社から埔里への沿道に植えはじめました。その数はなんと、一年間で三千二百本。
■「これが日本精神だよ」
やがて大きく育ち、白や紅の花を咲かせるうつくしい桜。その桜のうつくしさにひか
れて、根こそぎ桜の木を持ってゆく人が、跡をたたなくなりました。
抜かれては植え、抜かれては植え、この二十年間で、王さんが「補足」した桜は、千
八百本にもなります。
あるときは、桜の木を盗んでいるのを見た人が、そのあとを尾行して王さんに、「盗
んだ人の家をつきとめたから、警察に突き出しなさい」と言いました。
でも王さんは、その人をとがめようともしません。
「いいんだよ、その人が取って帰って植えても、人が見て、きれいだなと思ってくれた
らいいよ。個人じゃない、みんなが見てくれたらいいんだよ」
道ゆく人が、桜を植える王さんを見て声をかけます。
「いくらで雇われてるんだね?」
村から雇われて桜を植えていると思うからです。
「月に二万元だよ」
自分でお金を出して桜を植えていることなど、だれも信じてくれないので、そう言い
つづけてきたのです。
「黙って植えて、桜が咲く。それが私の成功」
あるとき、自動車事故で、王さんの植えた桜の木があったために、命が助かった人が
ありました。その事故がきっかけとなって、王さんが二十年間、無償で桜を植えつづけ
たことが、はじめてわかったのです。
そして、台湾では個人としてははじめて、台湾交通部(日本の国土交通省に当たる)
から、最高の栄誉である「金路賞」を受賞したのです。
インタビューにうかがった翌朝、王さんはいつものように五時に起きて、霧社から歩
きはじめます。脳梗塞で動かなくなった右手にかわって、左手に剪定鋏をさげて……
「王さんは、死ぬまで桜を植えつづけるんですか?」
「桜を植えると決めたら、植えつづける。これが日本精神だよ」
そのひとことが、台湾の心地よい風と、桜の彩りともに、いまもわたしの心の奥にひ
びいています。