植民地統治下に建立、残された鳥居や石柱など巡る」と題した記事が掲載されたことがあります。
寄稿したのは台湾に駐在していた金子展也(かねこ・のぶや)氏。
帰国後の現在、神奈川大学非文字資料研究センター研究協力者および台湾協会評議員として、台
湾に遺された神社をテーマに研究を続けられています。近々、それをまとめて出版する予定だとい
います。
金子氏はブログ「台湾に渡った日本の神々」で、5月19日付「自由時報」に掲載された「日人耗
資256萬幣屏東復原日治時代神社」の記事を紹介しながら、屏東県牡丹郷高士村に建立される「高
士神社」の社殿が完成し、日本から船積みされて出港したことを伝えています。
本誌読者の方なら「屏東県牡丹郷高士村」という村の名前を見て、思い出した方もいるかもしれ
ません。そう、NHK「JAPANデビュー」裁判の原告の高許月妹さんや華阿財さん、陳清福さ
んの住む村、高士村(クスクス村)です。
NHKが取材に高士村を訪れた際、陳清福さん(パイワン語名:パラル・ロンシン)の案内で村
内にある高士神社跡を訪れ、社殿復興への協力を求められ、陳清福さんの裁判での証言によれば島
田雄介ディレクターは復興に協力すると約束したといいます。しかし、裁判で島田ディレクター
は、それを「取材のために言っただけ」という旨を答えています。
陳清福さんたち高士村の人々にとって、この「高士神社」は村の結束の場であり、村人の活動の
エネルギーの源泉という思いが強く、その後も復興を強く願っていました。
このことを伝え聞いたのが、本会会員でもある神職で、宮大工の家に生まれた佐藤健一氏。早
速、陳清福さんと連絡を取り合って社殿建立に動きはじめました。その社殿がこのほど完成し、5
月18日、船積みされて横浜港から出港しました。
いずれ、佐藤健一氏には高士神社再建の詳細を機関誌「日台共栄」誌にご寄稿いただく予定で
す。ここに金子氏のブログを紹介します。
自由時報には、完成した社殿と高士村に残る高士神社跡の写真も掲載されています。
金子展也(かねこ・のぶや)
2001年から2006年まで台湾に駐在し、駐在期間から神社遺跡に興味を持ち、現在に至っていま
す。現在は、仕事の傍ら、神奈川大学非文字資料研究センター研究協力者および台湾協会評議員と
して活動中です。
台東庁 クスクス(高士)祠の本殿が完成
【ブログ・台湾に渡った日本の神々 今なお残る神社の遺跡:2015年5月23日】
2013年4月に「台湾屏東県の原住民集落に建立された神社(祠)の現状」で牡丹郷高士村のクス
クス(高士)祠を紹介しました。この時、取材をした陳清福(原住民名:パラル・シロン)さん
は、「スククス公学校を卒業した生徒は、神様のお陰で出世している。従って、何とかして神社の
修復をしたい」と語っていました。
この事に一役買ったのが、「李登輝友の会」と宮大工の佐藤さんという方で、1000万円をかけ、
遂に檜でできた本殿が完成し、5月18日横浜港を出発しました。その後、高雄港に陸上げされ、高
士村まで運ばれます。7月か8月くらいに御神霊遷しの儀が執り行われるようで、祭神はパイワン族
の神様。高士村の方々も、これで村に神様が戻ってくるとすごく喜んでいるそうです。陳さんの夢
が2年越しで実現したことになります。
「3.11の地震で日本人は台湾の方々から大変な恩義を受けました。このことが、今回の原動力に
なりました」と佐藤さんは自由時報の記者に答えたといいます。
自由時報に掲載された高士祠の記事
http://news.ltn.com.tw/news/world/breakingnews/1322068