岸「笠松展望園」に建つ台湾人戦没者の慰霊碑・慰霊塔に参詣、慰霊祭を執り行いました。
今年で3年目となる慰霊祭には、東京台湾の会の喜久四郎会長や多井昭憲事務局長をはじ
め、共催の台湾協会から斎藤毅理事長や根井洌常務理事、また慰霊碑(昭和50年)と慰霊
塔(昭和53年)建立にかかわった川口孝二氏と嶋末有一氏、大江康弘・前参議院議員代理
の村上育雄秘書、児玉神社の山本白鳥宮司、そして本会から柚原正敬事務局長など約30名
が参列。
奥多摩駅前に11時30分に集合した一行は車やバスで現地に向かい、慰霊碑と慰霊塔の周
りを清掃。12時30分、地蔵院(臨済禅宗)副住職の大井博文上人が持参のお酒で碑と塔の
周りを清め、読経により慰霊祭は始まった。お坊さんによる回向は今年が初めてです。
参列者が次々と焼香、それが終わると、参列者の一人でオペラ歌手の古川精一氏が「海
ゆかば」を奉唱、つつがなく斎行されました。
笠松展望園は、奥多摩湖に架かる赤いアーチが美しい峰谷橋から急峻な坂道を登り切っ
たところにあり、徒歩で20分から30分かかります。この峰谷橋近くに「馬頭館」という温
泉にも入れる旅館があり、今年は昼食会場にこの馬頭館が使われました。
13時20分くらいから行われた昼食会には、台湾協会のご厚意により幕ノ内弁当が差し入
れされ、また馬頭館からも副食が差し入れられました。さらに参列者からのビールの差し
入れもあり、慰霊祭が終わって安堵した穏やかな雰囲気が漂うなかで行われ、喜久会長や
斎藤理事長などの挨拶に引き続き、参列者全員が自己紹介を兼ねて挨拶。
今年も晴天に恵まれた慰霊祭で、奥多摩に鎮まる台湾出身戦没者のご加護とも思える一
方、移転の話も出ていましたが、東京台湾の会などから奥多摩町長に景観を損ねている杉
林の伐採や山道の拡幅を求める依頼状が出されたこともあり、その話も立ち消えになりそ
うな雰囲気の慰霊祭となりました。