王育徳(おう・いくとく)氏は「台湾独立運動の父」として、あるいは台湾語研究者と
して知られるが、次女の近藤明理(こんどう・めいり)さんがその回想録をまとめ、この
たび『「昭和」を生きた台湾青年─日本に亡命した台湾独立運動者の回想1924-1949 』(草
思社、2011年3月刊)を上梓した。
本書は、王氏がその幼少期から25歳までのことを「回想録」として残しておいたものを
まとめている。25歳で台湾を離れて以降、東京で亡くなる61歳までのことは、近藤さんが
「おわりに─その後の足跡(1949─1985)」で書いている。
驚いた。李登輝元総統がまだ台湾大学助教授時代の1961年(昭和36年)6月、日本に住ん
でいた王氏を訪ねていたことが、その日記を引用して明らかにしている。
当時の王氏は前年の春に東大大学院を卒業し、2月に黄昭堂氏らと台湾青年社を設立、4
月には独立運動のバイブルと言われるようになる「台湾青年」を発行していた。そのよう
な王氏を李登輝氏が密かに訪問していたのである。
引用されている6月16日の日記によれば、「実に気持ちのいい人で、こんな素晴らしい台
湾人に会ったのは日本に来て以来初めてだ」と絶賛、2人は6月30日にもう一回会っている。
今度は王氏から李氏を訪ねている。
≪Rさんを訪ねる。十一時すぎまでしゃべる。台湾の経済は彼にまかせて大丈夫。T氏の
こと、農学部学生に対する講演のこと、台湾経済のこと、政治家のこと、一旦緩急あれば
のこと、肝胆愛照らし話し合った。……彼のような快男児が台湾に百人おれば理想郷の建
設は夢物語じゃないのだが。元気で再会できるよう祈る。≫
李登輝氏が行政院政務委員(無任所国務大臣、農業担当)に就任したのは、その11年後
の1971年6月のことだが、近藤さんはその後について「二人はその後、二度と会うことはな
かったが、育徳の予言どおり、李登輝氏は後に台湾人初の総統(在任期間1988─1999)と
なって、理想郷の建設に道を開いたのである」と書く。年齢は李氏の方が1つ上だったが、
台北高等学校では王氏の1期後輩になる。当時、38歳の李氏と37歳の王氏の最初にして最後
の出会いだった。この出会いが、その後の李登輝氏の台湾への思いを決定づけたと言って
過言ではないだろう。
この一事をもってして、王育徳氏の祖国台湾に対する思いが伝わってくる。李登輝氏も
またしかりである。
すでに台湾では『王育徳全集』が出されている。王氏が宗像隆幸氏と共著で出した『新
しい台湾─独立への歴史と未来図』などの著書が絶版になっている現在、王氏がどのよう
な思いで台湾独立運動や台湾語研究に携わってきたのかを知る貴重な一書だ。
また、近代化に邁進する日本統治時代の台湾にありながら、清朝時代の因習などが色濃
く残る台湾社会が王育徳青年の目をとおして生き生きと描かれている。当時の台湾を知る
上でも貴重な一書だ。台湾問題に携わる人々のみならず、お勧めする次第である。
なお、4月2日に開催した「第7回鄭南榕記念・台湾問題講演会」の折に、近藤明理さんは
会場で本書を販売、その売上のすべてを東日本大震災のお見舞い募金に寄付された。この
場を借りて深く御礼申し上げます。
■署 名:「昭和」を生きた台湾青年─日本に亡命した台湾独立運動者の回想1924-1949
■著 者:王育徳
■編集協力:近藤明理
■版 元:草思社
■体 裁:四六判、上製、328ページ
■定 価:2310円(税込み)
■発 売:2011年3月25日
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