「母国に捨てられる」寂しさ [評論家・金 美齢]

【12月5日 産経新聞「優先席から」】

 没後40年レオナール・フジタ展の内覧会に出かけた(11月14日)。オープニングを待ち
かねて、いちはやく会場にかけつけた。ずっと楽しみにしていたのだ。

 フジタの絵は折にふれて見ていたが、強くひかれたのは、ひろしま美術館の2点、「裸
婦と猫」と「十字架降下」。旅先の思いがけない出会いが異邦人のセンチメントを揺り動
かしたようである。

 フランスで絵の修業をした日本の画家は多いが、パリの画壇で勝負できたのは稀有(けう)である。「パリで最も有名な日本人画家」が「私が日本を捨てたのではない。捨てら
れたのだ」とにがい言葉を吐いた。終戦直後、日本の異常なまでの反応が、本来ならば美
術の殿堂に祭られるべき「神」を「亡命者」に追いやってしまった。

 ピカソも亡命者であったが、彼は意志的にフランコ政権を拒否した。フランコ没後、ス
ペインに移送される直前の「ゲルニカ」をニューヨークのMoMAまで見に行った。それ
は強烈な告発であった。フジタの絵からは、母国を離れ異国の生活を選んだ意地の中、一
抹の寂しさと悲しさを感じる。初期に色濃く反映されている日本画の影響が、晩年の作品
からも消えることはないように思われた。個人的な感傷かもしれないが…。

 母国を捨てるのか、捨てられるのか。悩ましい問題だ。最近の台湾の情勢を見ていると、
虚脱感に襲われることがある。テレビで、陳水扁前総統が手錠をかけられた両手を高々と
上げて「台湾万歳」と叫んだシーンを見て、9歳の孫娘がショックを受けていたと、娘が
電話をかけてきた。

 2004年、総統選の直前、日台交流サロンは「台湾応援団」を引き連れて、2回にわたり
台湾に乗り込んだ。保育園児と小学1年だった孫娘2人も同行し、多くの集会に参加して「阿扁(陳水扁)当選」と舌足らずの台湾語で連呼した。その映像はテレビ、活字で流さ
れ、本人たちにとっても、一生忘れられない思い出なのだ。

 2・28の「人間の鎖」は予定の100万人が200万人も集まった。日本からの一行は二二
八平和記念公園に参集したが、会場は押し合いへし合いの超満員だった。

 「金美齢が来た!!」。随所でわき起こる大歓声。長い人生の内で最も昂揚(こうよう)
した瞬間だった。これは夫の1周忌に藤原正彦ご夫妻が来訪してくださったとき、美子夫
人に聞いた話だが、「ボスがこんなに皆から歓迎されている姿、しっかり見ておきなさい」
と夫が2人の孫娘に言ったそうだ。その後も別の同行者から手紙で同じことを知らされた。本人はもみくちゃにされていて、家族の存在など気にしている余裕はなかった。投票日に
も重ねて訪台し、陳の再選が決まった瞬間、一行は全員抱き合ってうれし涙を流した。幼
い孫娘にこの落差はあまりにも酷である。

 民進党系の政治家が相次いで逮捕されている。戦後60余年、台湾人も中国式に汚染され
ている。しかし「辧緑(バンリユウ)(民進党)不辧藍(ブバンラン)(国民党)」とい
われるように、司法が国民党系に甘く民進党系にシビアなのも確か。中国への傾斜を予言
していたが、まさかこんなに早く、恥も外聞もなくとは。中国人馬候補の甘い言葉を信じ
た多くの台湾人は、今ごろ何を考えているのだろうか。

 台湾を捨てるのか、台湾に捨てられるのか。それが問題だ。

                                 (きん びれい)



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