当日は、台湾少年工たちが戦闘機「雷電」の生産に携わった神奈川県の高座海軍工廠跡地などで歓迎式典が開かれますが、主なイベントは5つあります。詳細は下記のホームページ「留日75周年歓迎大会開催のご案内」をご覧ください。
1)10月20日(土)午前10時30分〜 座間市栗原の芹沢公園にて台湾少年工(海軍軍属)顕彰碑の除幕式 北村友雄氏ら岳精流日本吟院師範3人による詩吟にて顕彰碑刻字の和歌3首を披露
2)10月20日(土)午後1時30分〜 *司会:多田 恵、一青 妙 大和市文化創造拠点シリウス 大ホールにて台湾高座会歓迎式典 渡辺利夫・歓迎大会副会長(日本李登輝友の会会長)による開会の辞に始まり、李雪峰会長ら 台湾からの元台湾少年工に感謝状贈呈
3)10月20日(土)午後3時〜 *司会:石渡早紀子 大和市文化創造拠点シリウス 大ホールにて海上自衛隊横須賀音楽隊による演奏と古川精一と 慶応大学ワグネル合唱団による歌
4)10月20日(土)午後6時30分〜 海老名市のオークラフロンティアホテル海老名にて有志による歓迎宴
5)10月22日(月)午前11時〜 静岡市富士川滑空場にてゼロ戦と雷電ラジコン戦隊(原寸3分の1)による歓迎航空ショー
なお、おそらくこの留日75周年歓迎大会が大規模なものとしては最後になる予定だそうで、そこで「特にきちんとしたものを残したい」と考え『留日75 周年歓迎大会記念誌』(永久保存版)を製作するそうで、発刊は来春を予定しています。
石川実行委員長はこの記念誌へ掲載する記録写真や資料などの提供を求めています。産経新聞が台湾少年工の歴史と記念誌について報じていますので、下記に紹介します。
参加ご希望の方は、下記のホームページ「お申込みについて」からお申し込みください。また、ご不明のことなどがございましたら、台湾高座会歓迎大会事務局までご一報のほどお願いします。
◆留日75周年歓迎大会開催のご案内 http://jt75.info/
◆台湾高座会歓迎大会事務局 TEL:046-261-7501 FAX:046-264-6575(橋本宛) E-mail:contact@jt70.info
————————————————————————————-戦中の台湾少年工 神奈川で最後の歓迎大会「記録写真提供を」【産経新聞:2018年9月13日】
https://www.sankei.com/life/news/180913/lif1809130025-n1.html台湾の少年工らが生活をしていた寄宿舎=現在の神奈川県大和市(石川公弘さん提供)
先の大戦末期、旧日本海軍の航空機工場「高座海軍工廠(こうしょう)」(現在の神奈川県座間市など)で、戦闘機の製造に従事した台湾の少年工の来日から今年で75周年。10月に「台湾高座会留日75周年歓迎大会」が開催され、台湾少年工をたたえる顕彰碑の除幕式が行われる。元少年工の高齢化により、節目節目に行われてきた歓迎式典は今年が最後となる。関係者は「台湾少年工と関わりのあった人々の経験談などをまとめ、後世に伝えたい」と記録写真などの提供を呼びかけている。
昭和17年、アジア一帯に戦線を拡大していた日本は、戦時下の労働力不足を補うため、台湾から約8400人の少年工を募集した。募集条件は、日本で航空機を製造しながら勉強すれば、3〜5年で旧制工業中学校卒業の資格を得られ、将来は航空機技師への道が開けるというものだった。
■「雷電」を生産
食費など生活費は公費でまかない、給与ももらえるといった破格の条件で、台湾の優秀な若者が競って志願したという。「学力優秀、身体強健」などの条件を突破した少年が、工廠付属の工員養成所で、日本人とともに学びながら働いた。
同工廠では、終戦までの約2年間、厚木基地(同県)に配備する戦闘機「雷電」を生産した。少年工らは朝から日没まで働き、実際に卒業資格を得たのは約400人程度だったという。
戦局が厳しくなるにつれ、生活の状況は変わっていった。工廠から寄宿舎に帰る途中で機銃掃射を受けるなどして、命を落とす少年工もいた。
■75周年で記念誌
戦後、少年工らは台湾へ帰り、国民党による戒厳令(24〜62年)が解除された後、元少年工の同窓組織「台湾高座会」が結成された。18年5月の来日から、今年で75周年を迎えたことを記念して「台湾高座会留日75周年歓迎大会」が10月20日、同県大和市内で開催されるほか、座間市内の芹沢公園で台湾少年工をたたえる顕彰碑の除幕式が行われる。
同会の李雪峰会長ら元少年工や親族らが来日予定だが、元少年工の高齢化が進んだことから、歓迎式典は今年が最後となる。元台湾少年工たちは、多くが90歳以上となっており、年々、数も減っているという。
戦中、父親が少年工の寄宿舎の舎監だった縁でともに暮らしていたという「高座日台交流の会」会長、石川公弘さん(84)=神奈川県大和市=は「戦争の記憶が徐々に風化するなか、日本の若い世代に台湾少年工の歴史を知ってほしい」と話している。式典にともない、次世代に記録を引き継ぐため、来春に台湾少年工の歩みをまとめた記念誌も製作する計画で、記録写真や資料などの提供を呼びかけている。
情報提供は、台湾高座会歓迎大会事務局((電)046・261・7501)。
【高座海軍工廠】
昭和17年、旧日本海軍から神奈川県に海軍航空兵器製造工場建設の協力要請があり、翌年、現在の同県座間市や同県大和市などにまたがった場所に設置された。台湾から訪れた台湾少年工らが戦闘機「雷電」を製造。工場が完成すれば、日本最大の機体生産工場となるはずだったが、戦局が悪化したため、当初の目的を達成することはなかった。