2014.1.6 産経新聞
櫻井よしこ
アメリカよ、どうしたのだと、思わず尋ねたくなる。
わが国唯一の同盟国であるアメリカを最重要の戦略的パートナーと位置づけつつも、いま、私は、オバマ政権への失望を禁じ得ない。
安倍晋三首相の靖国神社参拝を受けて、東京の米国大使館が「日本の指導者が近隣諸国との緊張を悪化させる行動をとったことに米国は失望している」と表明したことに、失望と懸念を抱いている。
米国の反応を、膨張し続ける中国がどう解釈するかを考えれば、オバマ政権が長期的視点で中国の戦略を分析し、その真意を測ることをおろそかにしてはいないかと、懸念せざるを得ない。
国務省も大使館同様の声明を発表した。米国は靖国問題が政治的要素となった経緯についてどれほど調べた上で発表したのだろうか。
靖国参拝が問題視され始めたのは、歴代の日本国首相が合計60回の参拝を果たしたあとの1985年9月だった。いわゆる「A級戦犯」合祀(ごうし)が明らかになった79年以降も、歴代首相は6年半にわたって21回参拝した。中国の非難はそのあとだ。時間軸で見る中国の靖国参拝非難は、同問題が中国の政治的思惑から生じたもので、日本たたきのカードであることを示している。
12月26日、安倍首相は靖国神社のみならず鎮霊社にも参拝し祈りをささげた。鎮霊社には靖国に祀(まつ)られていない全ての戦死者、日本人のみならず外国人戦死者の霊も祀られている。
靖国の英霊にも、鎮霊社の英霊にも、さまざまな民族と宗教の人がいる。両御社での鎮魂の祈りは、宗教、民族および国境を越えてなされていることを心に刻みたい。
首相の参拝意図は、直後の会見で「不戦の誓い」を表現を変えて三度繰り返したことにも見られるように、平和を守り二度と侵略戦争はしないとの誓いである。その上で日本に命をささげた人々に心からの哀悼の誠をささげるものだ。オバマ大統領がアーリントンで祖国に殉じた英霊に敬意を表し祈りをささげるのと何ら変わりはない。指導者として、当然の責務である。
米国が日中関係に踏み込むのであれば、靖国神社参拝という、すぐれて精神的な事柄の前に、法治国家の指導者として他に踏み込むべき事柄があるのではないか。
たとえば尖閣諸島である。国際法上も日本国領土であることが明らかだからこそ、日本占領のとき、米国はこれを施政権下においたのではなかったか。であれば、尖閣諸島は日本国の領土であるとの見解を明らかにしてもよいのではないか。法を無視し、軍事力を背景にした中国の膨張主義の前に、どちらにもくみしない米国の姿勢が中国の尖閣領有への主張を増長させる要素のひとつとなっていることに、留意せざるを得ない。
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だがここで急いでつけ加えたい。日本人が日本の領土である尖閣防衛の任務を果たすのは当然であり、米国の助力を努々(ゆめゆめ)、当然と思ってはならない。同時に、尖閣諸島の地政学的および戦略的重要性を認識すれば、米国が立場を明確にして尖閣に対する中国の冒険主義を抑制することは米国の国益にも合致する。
尖閣問題についても、靖国問題と同じく、事実に基づいた長期的観察を行い、それを大きな戦略的枠組みの中で分析する必要がある。
米国は常に「現状変更は好ましくない」との牽制(けんせい)球を日本に投げてきた。日本政府は中国の反発への恐れと、米国の意向の尊重という2つの要素を前に、尖閣諸島が明確な日本国領土であるにもかかわらず、船だまりも作らず、日本国民の上陸も許さず、現状維持に終始してきた。
対照的なのが中国だ。彼らは日本の反発を無視し、米国の出方をうかがいながら、サラミを切り取るように少しずつ、現状変更に挑み続けてきた。
振りかえってみよう。78年、トウ小平は日中間に棚上げ合意など存在しないにもかかわらず、記者会見で「棚上げに合意」と発表した。中国の現状変更への挑戦はこの時点から始まっている。以来40年余り、中国の野心は全く衰えていない。東シナ海における彼らの執拗(しつよう)さは、南シナ海でベトナムやフィリピンから島々を奪い続けてきた執拗なる40年と重なる。つまり、現状維持を要求する相手を、米国はずっと間違えてきたと言わざるを得ない。
11月23日に中国が突如尖閣を含む形で防空識別圏(ADIZ)を設定した。ホワイトハウスはいち早く「日本との緊張を高める、必要のない挑発行為だ」として中国を強く批判したが、12月4日、バイデン副大統領は北京での習近平主席との会談でADIZを撤回せよとは要求しなかった。加えて米政府は「外国の航空情報に合わせるのが望ましい」として事実上、民間機に飛行計画の提出を促した。
ADIZに関する国際社会の常識を変え、領空であるかのように扱う中国に、撤回を求めないオバマ政権の、守るべき原理原則や価値観とは何なのだろうか。
米国国務省は、靖国参拝に関して推移を見守るという。米国の大戦略や方針が定かでないかに見えるいま、大事なのは日本の国家意思の堅固なることだ。激変する日本周辺の状況の中で、日本は偏狭であってはならず、健全な民主主義国家でなければならない。そのために必要なのが健全なナショナリズムである。安倍首相が鎮霊社に祈りを捧(ささ)げ、靖国神社を参拝したことは、その意味で極めて正しいことなのだ。