東京在住 A.S.
林建良 編集長 ならびに 「台湾の声」編集部の皆さま へ
日頃から「台湾の声」を拝読している一読者です。
先日の「シナ共和国」100年国慶節での馬総統と蔡英文女史の発言について以下の感想をお送りします。
まだ考えがうまくまとまっていないのですが、ご容赦ください。
馬総統は非常に分かりやすい声明でした。
明確に「台湾」は「中華民国」のもので、その根源は「中国」にある(孫文の理想を台湾で実現化しただけ)という主張を打ち出していますから。
この主張を外からみた場合、「台湾」は地理上にある仮の姿であって、その内実はいまだに中国の内部抗争の延長線上にあり、本土と異なる主義主張を持つ国民党の一拠点だと聞こえます。彼がこの立場にいる以上、「中台の統一はない」「独立はしない」と言っても所詮”だまし絵”だと分かります。
馬氏の発言は現状に適さないまったくクレージーな発言でしょう。
一方、蔡氏の表明もこの時期においてはかなり不適切だと思いました。特に「一体化」の部分です。もっと馬総統との違いを区別化し、対立軸としての考え方をアピールしなければいけなかった。今のままで民進党が政権をとりたいのならば、「一体化」という言葉は御法度です。
「一体化」したというならば、台湾にはどうして”本省人””外省人”という言葉が存在するのでしょうか。それは実際に「内」に対する「外」という意識が確実に存在しているという証拠です。
通常、何らかの理由で恒常的な交流(平和的であっても支配的であっても)の成立は、社会と社会が新たに結びついたことを意味します。その交流の拡大や変化が、”それまでの社会の枠組み”を変え、新しい社会を生んでいく。「内」と「外」の境界線が揺らぎ、多くのケースは「内」なる基層部に「外」が吸収・消化され、やがてそれは同化・吸収(=同一化)という現象を生んでいきます。
伊原吉之助先生が以前「台湾の声」に書かれていたように、平埔族の子孫が台湾人で、かつて彼らが支配していた台湾に少数の漢民族が渡来し、血の混血があり、やがて原住民の中に吸収されていった。これがまさしく一体化なのだと思います。そのときの「内」は平埔族等の原住民であり、「外」は漢民族でした。
しかしいつしか同一化した時、それはかつての「内」と同じと言えるでしょうか?そこにあるのは、あくまで先代とは異質な社会であり、すでに変化した支配者層の意識なのです。
私はそこのところを蔡さんに聞きたい。あなたが言う「台湾」とは同一化する前の台湾なのですか?それとも今の台湾なのですか?あるいはそれらは変化していない同じものと考えていらっしゃるのでしょうか、と。
もし彼女が「内」を”それまでの社会の枠組み”ととらえ、「外」を大陸から来た渡来人とするならば、「外」から来た者に「内」が吸収・同化されたことになる。なぜなら、同一化するための”主体”である「内」が台湾の政権を牛耳っていないからです。”主体”ならば主導権を握っているはずです。
この論でいけば、吸収されたのはむしろ台湾(「内」)ということになってしまう。
こうした現実があるのに、「同一化」と言ったら、台湾は中国と対等ですらなく、むろん優越的でないのを自ら認めたことになるのです。
私が言いたいのは、もし彼女が「すでに同一化している」と言い、「台湾は中華民国を受け入れ、国民党を受け入れることができる」と表明するならば、まずその前に、貴女のお考えになっている「内」すなわち「台湾」の定義が必要だということなのです。
どこの時点をもって(現在ある)「台湾」というのか、何を基底として「台湾」とするのか、新たな”線引き”をしてからでないと、中国と一線を画せないばかりか、馬氏の言い分のほうがはるかに正当性を帯びてしまう。
現在の台湾人の「内」という認識は、国民党が台湾に逃げ込む前の「台湾」ではなく、(わたしの言葉ですが)すでに「新生台湾(新台湾)」を指していると思います。
そこを国内外に表明しなければ、今の台湾の存在(=中国とは違う)が明確にならないでしょう。
そして、これが肝心ですが、もし総統になった場合には確実に実権を握り、ひとつひとつ目に見える改革を行っていかねばなりません。なぜならば、実質的な言葉だけが言葉を証明していく手段だからです。中国と国民党に「新しい台湾」を認めさせるために。
最後に私の提案ですが、台湾は生まれ変わったのだと証明するために、(いままでと区別のつかない「台湾」という呼称ではなく)「国名変更」(もちろん台湾という文字を含んでもいいでしょう)をしたらいかがでしょうか。