桜が満開となった4月1日、東京・文京区の文京区民センターにおいて第3回「台湾建国
烈士 鄭南榕先生を偲ぶ会」が鄭南榕顕彰会(宗像隆幸会長)の主催により開催され、約
150名が集って台湾民主化の礎を築いた鄭南榕烈士を顕彰して偲びました。
台湾からは、ご遺族の葉菊蘭夫人や、鄭南榕烈士と一緒に活動していた詩人の李敏勇氏
ご夫妻、邱晃泉・鄭南榕基金会理事長など6名が初めて参列し、また、小田村四郎・日本
李登輝友の会会長や評論家の黄文雄氏、草開省三・日台交流教育会専務理事、何康夫・在
日台湾同郷会会長、郭孫雪娥・在日台湾婦女会会長、丘哲治・日本台湾医師連合会長など
が参列しました。
また、懇親会からは許世楷・台湾駐日代表ご夫妻や萩生田光一・衆議院議員(日台若手
議連幹事長)なども見えられ、偲ぶ会というしめやかな場ではありましたが、日台交流を
深める格好の場となりました。
宗像隆幸会長による烈々たる開会の辞や李敏勇氏による記念講演など、内容の詳細につ
いては追って報告しますが、ここでは柚原正敬・日本李登輝友の会事務局長によって捧げ
られた当日の「祭文」をご紹介します。 (編集部)
祭 文
一九八九年四月七日、鄭南榕先生が壮絶なる最期を遂げられてより十八年、またご誕辰
六十年の節目の年を迎えた本年、ここ東京の文京区民センターにおいて、第三回台湾建国
烈士・鄭南榕先生を偲ぶ会を執り行うに当り、参列者を代表して先生の御霊に謹んで申し
上げます。
台湾に二・二八事件が起こった一九四七年、即ち昭和二十二年、先生は宜蘭県において
父鄭木森氏、母謝恵琛女史の長男として九月十二日に生まれ、長じて昭和四十七年、葉菊
蘭夫人と結ばれて一女竹梅さんを授かり、幸福な家庭を築かれました。しかし、台湾を占
領する中国国民党による不条理かつ苛酷な支配に対しては終始一貫、台湾魂をもって対決
されました。
白色テロによる恐怖政治が横行する戒厳令下の昭和五十九年、先生は三十七歳にして自
由時代社を創設、週刊誌『自由時代』の創刊をもって中国国民党への闘争宣言と為し、蒋
介石・蒋経国一族及び中国国民党政権による暗黒腐敗政治を痛撃し始めました。度重なる
発禁処分や脅迫にも決して怯むことなく、逆に推進力とし、台湾の独立と民主化、そして
言論の自由を求めて邁進されたのでした。
昭和六十一年には世界最長の戒厳令を解除すべく「五・一九緑色運動」を組織し、戦後
台湾初となる大規模抗議集会を敢行されました。そのため八ヶ月の下獄を余儀なくされま
したが、二年後の七月に戒厳令解除となって結実しております。一方、政党結成禁止の圧
政下、中国国民党に対抗すべく台湾民主党の結成準備に当り、獄中にあったこの年九月、
晴れて民主進歩党が結成されて実を結んでおります。また、出獄直後の翌年二月には、二
・二八事件の真相を究明すべく「二二八和平日促進会」を結成し、公の場において初めて
真相の解明を訴えられました。同年四月には、公開の場で初めて台湾の独立を訴えられて
おります。さらに蒋経国没後の昭和六十三年には、総統府包囲デモ計画を立案して四・一
九総統府包囲事件となり、同年十一月には、有志とともに台湾全土を遊説して台湾独立を
訴えられたのでした。十二月には、編集長を務める『自由時代』に許世楷・台湾独立建国
聯盟総本部主席が起草された「台湾共和国憲法草案」を掲載し、中華民国体制に対して真
っ向から挑戦状を叩き付けたのでした。
翌年一月、この憲法草案掲載をもって高等検察庁は先生に反乱罪の容疑を掛け、出頭を
命じてきました。しかし、先生は「言論の自由」を強く主張して召喚命令を拒否し、「国
民党は私を逮捕できない。逮捕できるとしたら、私の屍だ」との烈々たる闘志を示され、
平成元年一月二十七日より自由時代社に立て籠って抵抗されたのでした。そして、七十一
日目に当たる平成元年四月七日午前九時五分、警官隊が逮捕を強行せんと包囲する中、終
に先生は自らの体にガソリンをかけて火を放ち、壮烈な焼身自決を遂げられたのでありま
す。
鄭南榕先生はかくのごとく常に率先垂範、己が身を挺して中国国民党による専制独裁体
制を根底から揺るがし、白色テロに怯えて萎縮しがちだった台湾人の魂を覚醒させ、その
後の民主化と自由化、独立建国運動へと発展していく滔々たる時代の潮流を生み出しまし
た。「台湾の吉田松陰」とも「台湾の三島由紀夫」とも讃えられる先生が、自らの身を犠
牲にして台湾独立建国の礎と為し、台湾人に救いの道を啓示されたことは、まさに偉大の
一言に尽きます。
ここに、鄭南榕先生の不撓不屈の台湾魂を顕彰し、その願いを我らの願いとし、日本と
台湾の共栄を扶翼すべく尽瘁せんことを在天の御霊に固くお誓いするとともに、我らの微
志を諒とせられ、台湾の国家正常化が一日も早く達成されて、日本と台湾の国交が結ばれ
ますよう御加護賜らんことを畏みてお願い申し上げます。
平成十九年四月一日
日本李登輝友の会事務局長 柚原 正敬