門脇朝秀先生(九十九歳)が、昭和天皇にご報告するために、かつて日本人であり日本
軍兵士であった台湾の「山の民」を訪れておられる。
私が、門脇翁の本年四月と八月の旅に同行させていただいたことは既にご報告した。
つまり、私は、戦後数十年にわたる門脇翁と「山の民」の豊かな絆の恩恵を頂きながら
台湾の山々を訪ねさせていただいたのだ。
この門脇翁の台湾に持たれている絆がいかに貴重かは、次のエピソードで明らかであろ
う。
台北に住む高名な台湾の方(平地の人)が、門脇翁に頼んだ。
「山の民と、我々との繋がりをつけてくれないか。彼らは、貴方には心を開くが、我々に
は決して心を開かない」
さて、本稿では、この台湾の「山の民」が、心の世界において、どういう人々なのかを
述べて、わが日本民族およびネイティブアメリカン(インディアン)との繋がりを述べた
い。
おそらく、数十万年前には、彼らと我々は共通の祖先をもっているのだと思う。
台湾の山の民と北米インディアンが、自分たちを説明するために語った文章を次に紹介
する。
それは、この八月二十二日に私とアルコール度数58度の高粱酒を飲み合ったセデック
族の頭目の曾孫であるタクン・ワリス(邱建堂)の言葉と、アメリカワシントン州にいた
スクァミッシュ族の酋長シアトルの言葉である。
タクン・ワリス、日本台湾学会での報告
「わが民族はセデックと自称している。セデックとは『人』の意味である。
セデック族は、『人は死んでも霊魂は滅びない』と固く信じており、昔からウットフ
(全ての人の霊を指す)を崇め、ガヤ(文化と社会の規範、生きるための法則)を守って
いた。
それを書き記す文字はなかったが、人々がともに尊重していた規範だった。・・・人々
はガヤに背いた者は必ずウットフに罰せられると固く信じていた・・・。」
シアトル、保留地への移住を迫るワシントン州総督への抗議文
「あなた方のゴッドは、自分の民は愛しても異民族は嫌う。肌の白いわが子をやさしくか
ばい、あたかも父親がわが子を可愛がるように手引きをするが、赤い肌の者のことは一向
に構わない。
我々の崇める大霊(グレイトスピリット)はそんなえこひいきはなさらない。
あなた方の先祖は、墓の入り口を通り抜けると、それきりあなた方のことを忘れる。あ
なた方も彼らのことを忘れる。が、我々の祖先は、地上のことを決して忘れない。
うるわしき谷、のどかなせせらぎ、壮大なる山々、木々にかこまれた湖、彼らはしばし
ばその美しさが忘れられず舞い戻ってきては、我々のもとを訪ね、導きを与え、慰めてく
れる。
・・・私は、『死』という文字は一度も用いていない。『死』は存在しないからだ。た
だ生活の場が変わるだけなのだ。」
この台湾の山の人であるタクン・ワリスと北米インディアンの酋長であるシアトルの言
葉に接した我々日本人は、遥かかなたの我々の共通の先祖から流れ出る親しみ深い精神の
世界の共通性を感じるではないか。
台湾の山の民も北米インディアンも、自分たちのことを「人」(ヒューマンビイーン
グ)という。
遥か昔に、共通の先祖から歩み始め、ある群れは台湾の山々に、ある群れは日本列島
に、そして、ある群れはベーリング海峡を越えて海の向こうの大陸にたどりついた。
この壮大な神秘的な精神の世界の広がりを、台湾の山の中で感じた。
なお、このたびの門脇朝秀翁と台湾の山の民を訪ねる旅には、平成九年五月、私ととも
に尖閣諸島魚釣島に上陸して貴重な映像記録を残している映像教育研究会の稲川和男氏も
同行して、心にしみる多くの場面を撮影している。
諸兄姉には、是非、次に記載する映像教育研究会からこの度の台湾の山の民の映像を入
手されご高覧いただきたくお願いもうしあげます。
映像教育研究会 代表 稲川和男
〒104−0041
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FAX 03−3553−9182