昨年11月22日から4泊5日の日程で、第18回「日本李登輝学校台湾研修団」が行われまし
た。日本李登輝学校台湾研修団は平成16(2004)年10月から始まっていますが、参加者は
第1回の63人に続いて多い50人。団長は本会大阪府支部役員で元商社マンの衛藤慎吾(えと
う・しんご)氏、副団長は神奈川県支部役員で税理士の江成雅子(えなり・まさこ)さん。
初参加で、スタッフとしても大活躍の国立台湾大学農業経済系に在籍する内田直毅(う
ちだ・なおき)氏に研修の模様をレポートしていただいたので、2回に分けてご紹介したい。
なお、次の研修団は4月19日〜4月23日に実施。この第19回研修団では、台湾の戦後史を
知るため、かつて政治犯を収容していた絶海の孤島・緑島などを視察します。現在、参加
者を募集中です。研修内容の詳細は本会ホームページをご覧ください。
◆第19回・日本李登輝学校台湾研修団』のご案内
http://www.ritouki.jp/index.html
●第19回「日本李登輝学校台湾研修団」お申し込み【締切:3月20日】
http://www.ritouki.jp/cgi-bin/enquete/form0139.reg
充実した講義と野外視察に感激!
内田 直毅((国立台湾大学1年生)
このたびの第18回日本李登輝学校台湾研修団に、スタッフとして初めて参加させていた
だきました。私は現在、李登輝先生が卒業された国立台湾大学農業経済系に在籍してお
り、日本統治時代に、優秀な農業・土木技術者たちによって築かれた台湾農業の基盤、教
育そして恩恵の中で、非常に刺激的な大学生活を送っております。
第1回研修団に次いで2番目に多い50名の参加者(衛藤慎吾団長、江成雅子副団長)は、
初日に蔡英文・民進党元主席をはじめとする各界を代表する先生方の講義、2日目の基隆と
宜蘭における野外視察、最終日の李登輝先生の特別講義と、非常に内容の濃い、充実した
時間を過ごしました。
◆第1日目 11月22日(木)
桃園空港や松山空港に降り立った参加者は、淡水のホテルにいったん集合。午後3時半か
ら会場となる李登輝基金会で始業式が行われました。郭昆文副秘書長から歓迎の挨拶の
後、李登輝基金会の活動紹介がありました。
その後すぐ、2008年から女性初の民進党主席を務められ、総統選にも出馬された蔡英文
先生の講義が始まりました。通訳は友愛会の張文芳さんが務められ、「台湾の未来と日台
関係」というテーマで話されました。
台湾、日本、アメリカとの三国間の関係の重要性を強調され、親日国家台湾の若い世代
への期待と、中国からの完全なる独立、中国共産党への毅然とした態度が印象的でした。
講義後、参加者からは、尖閣諸島問題や次期総統選への参加の意欲などの鋭い質問が出さ
れましたが、明言を避け、うまくかわしながら答えられていました。
終了後は、ホテル近くのレストラン「海中天」で食事をしながら、参加者一同、政治、
経済、外交などの話で盛り上がり、楽しい時間を過ごしました。
◆第2日目 11月23日(金)
研修2日目は、午前9時から黄天麟先生(元第一銀行頭取・元総統府国策顧問)の「台湾
の経済と日台FTA締結」の講義で始まりました。
FTA締結、日台の連携は不可欠、重要だということを強調されました。その一方、通
商上の障壁を取り除く自由貿易地域の結成を目的とした、2ヶ国間以上の国際協定であるこ
とから、締結先を慎重に考慮する点、そして、特にデメリットとして、経済的優位に立つ
国に産業や生産拠点が集中してしまう懸念についても言及されました。
午前11時からは、陳南天先生(台湾独立建国聯盟主席)による「基隆と日本の交流史」
についての講義。翌日午後の課外活動が基隆市訪問だったため、陳先生による基隆の歴
史、文化、建築物の講義が前日に行われたことで、より有意義なものになりました。基隆
が台湾の貿易の玄関口、そして軍事設備としても非常に重要な役割を果たしていることが
よく分かる講義でした。
昼食を挟み、午後2時からは、蔡焜燦先生(李登輝民主協会理事長)の「台湾人が大切に
思うもの」についての講義。日本統治時代の教育や、後藤新平などの政策取り組み、そし
て日本精神、日本人から学んだ「公」と「私」の区別などの力強い講義に感激しました。
私は、講義をされている蔡先生の話にいつの間にか、魅了され、そして吸い込まれ、人情
味あふれる講義に感動しました。
最後の講義は、午後4時から李明峻先生が登場。テーマは「台湾の国際法的地位」でし
た。李先生は、非常に複雑で混同されがちな国際政治の視点と国際法の視点を峻別し、台
湾の国際法的地位をわかりやすくご説明いただきました。中華民国と台湾の関係を国際法
の観点から講義される李先生はまだ若く、今後の日台関係でも色々とご指導いただけるこ
とと感じました。
当夜のスケジュールは自由行動。台北市内へ出掛けた方もいれば、淡水の夜市散策へ向
かったグループも。
◆第3日目 11月24四日(土)
ホテルを8時半に出発し、李登輝先生の生家「源興居」を訪問。新北市三芝区にある生家
は、豊かな自然に囲まれているうえ、非常に立派で伝統的な建築様式の家屋でした。
さらにバスで移動し、明石元二郎・第7代台湾総督のお墓を参拝。明石総督の在任期間は
わずか1年4ヵ月余りということですが、台湾の経済発展、工業発展に必要な電力開発、鉄
道敷設など政策の主軸を次々と打ち出していかれました。台湾をこよなく愛し、任期の終
りごろには過労で病気がちになってしまわれますが、早くから下村長官に「自分がこの世
を去ったら、骨を台湾に埋めてくれ」と遺言されていたそうです。
1919年10月24四日にこの世を去り、当初は台北・三板橋の日本人墓地に埋葬されたので
すが、第二次世界大戦後、中国大陸から押し寄せてきた難民によって墓地が占領されてし
まいます。1987年の台北市都市計画で、日本人墓地が公園へと開発されることとなり、そ
の際に日台各界の協力のもと、墓は掘り起こされ、現在の新北市三芝郷の福音山クリスチ
ャン墓地に埋葬されることになったということです。
続いて、国民党の白色恐怖が吹き荒れていた時代、初めて個人として公の場で台湾独立
を主張し、勇敢に国民党政権に立ち向かい悲劇の死を遂げた鄭南榕の墓前に献花。さら
に、台湾を代表する歌手・テレサテンのお墓にも参拝しました。
昼食は、基隆への移動途中に海鮮料理レストランにて。基隆到着後は陳南天先生と合流
し、港内遊覧船に乗り湾内クルーズを楽しみました。あいにくこの日は非常に天気が悪か
ったのですが、陳先生のガイドで、港町、貿易港として栄えた基隆市を海の上から観覧し
ました。
下船後はバスに乗車し「琉球ウミンチュの像」の見学。琉球と基隆の繋がりは深く、
1905年頃から琉球からの移民が集落をなしたそうです。台湾の人々は琉球からの移民に移
住地を提供し、琉球の人々も、漁法、漁業などの技術を惜しみなく伝えたそうです。戦乱
と復興の中で琉球集落は消滅したのですが、基隆と沖縄の交流を記念したウミンチュの像
を見上げた時、双方の絆が深まることを確信しました。
その後、ホテルにチェックイン、休憩をはさんだ後、天候や日暮れも考慮し、希望者だ
けで、基隆神社跡を見に行き、鳥居の両端に佇む狛犬を確認しました。夜は、基隆港海産
楼で海鮮料理。解散後は各々夜市を散策。
(つづく)