国や台湾が根拠とする史料をことごとく論駁し、逆にそれらの史料は尖閣が日本領だった
ことを証明していると指摘、尖閣問題に新たな視点を提示してきた。
石井氏はこのたびジャーナリストの西村幸祐(にしむら・こうゆう)氏の「西村幸祐放
送局」に出演、またまた決定的な記述を明らかにした。
中国・福建史の重要資料の一つに『湘西紀行』という史料があるそうだが、そこにはす
でに「元和2年(1616)に、日本人が大陸から40キロに位置する東湧島を、明の境界に入っ
ていない場所であると認識していた事実が『湘西紀行』の中で発見された」という。
尖閣諸島は東湧島(現台湾の馬祖列島の東引島)からはるか西に位置する。明は東湧島
でさえ明の領土と認識していなかったのに、尖閣諸島においてをや、ということだ。
32分27秒、石井望氏の説くところをじっくりお聞きください。石井氏から本誌宛に「9分
15秒以後に喋ってゐる更なる新事実は、1月報道の件の前年でして、日本による無主地確認
を明治から280年繰り上げてをります」とコメントをいただいている。やはり決定的な証拠
だろう。9分15秒後からの「新事実」の説明をお聞きください。
歴史事実、国際法など、どの角度から見ても尖閣諸島の主権は日本にある。
尖閣が、江戸時代初期から無主地だった決定的な資料、発見!
【西村幸祐放送局:平成25(2013)年2月11日】
http://broadcast.kohyu.jpn.com
日本人は江戸時代から尖閣が支那の領土でないことを確認。これで、中国共産党の嘘は
200%論破された。
ゲスト:石井望(長崎純心大学准教授)
石井望(いしい・のぞむ)
昭和41年(1966)東京都生まれ。京都大学文学研究科博士課程学修退学。長崎綜合?科学大
学講師を経て、現在、長崎純心大学准教授。研究対象は元曲・崑曲の音楽、漢文学?、尖閣
史。著書に『尖閣釣魚列島漢文史料』(長崎純心大学比較文化研究所)がある。
昨年から積極的に歴史事実を提示し、尖閣諸島が清の時代から日本領であったことを実
証している漢文学が専門の石井准教授の最新の研究成果を紹介する。
今年1月21日、石井准教授は長崎で記者会見を行い、明の時代に支那人は尖閣海域を明
の領海外だと考えていた決定的な資料を『皇明実録』の中で発見した。
石井准教授の記者会見を伝えた産経新聞 *下記に全文を掲載
◆尖閣周辺は「海防対象外」 中国・明王朝の歴史書に記述
【産経新聞:平成25(2013)年1月22日】
http://megalodon.jp/2013-0212-0130-58/www.iza.ne.jp/news/newsarticle/natnews/topics/624014/
石井准教授の記者会見を伝えた読売新聞
◆尖閣、400年前は支配外…明王朝公式日誌に
【読売新聞:2013年2月21日夕刊】
http://megalodon.jp/2013-0121-1809-37/www.yomiuri.co.jp/national/news/20130121-OYT1T00687.htm
石井准教授の記者会見を伝えたDaily Yomiuri(英文読売新聞)
◆Chinese document contradicts Beijing’s claim to Senkakus
【Daily Yomiuri:2013年2月23日】
http://www.yomiuri.co.jp/dy/national/T130122003523.htm
しかし、今回の発表はそれを上回る研究成果だ。すでに元和2年(1616)に、日本人が大
陸から40キロに位置する東湧島を、明の境界に入っていない場所であると認識していた事
実が『湘西紀行』(曹學[人全]・ソウ・ガクセン著)の中で発見された。
東湧島は大陸から南西諸島、琉球への航路の入口に位置し、当然、尖閣は東湧島より遥
か日本側にある。『湘西紀行』は福建史の重要資料の一つとされ、これで中国共産党の嘘
は200%論破された。
なぜなら、第二次大戦後のサンフランシスコ講和条約で、日清戦争後に日本となった領
土の帰属を放棄したことで、尖閣は清の時代は支那の領土とする中国共産党の主張が完全
に崩壊するからだ。サンフランシスコ講和条約の解釈でも支那は国際法を無視した乱暴な
主張を昨年の連合国(国連)総会で述べていた。
今回の石井准教授の発見で、仮に万が一、支那の主張が正しいとしても、それでも完全
に根拠が崩されたということである。
尖閣周辺は「海防対象外」 中国・明王朝の歴史書に記述
【産経新聞:平成25(2013)年1月22日】
中国・明王朝(1368〜1644)が1617年に作成した公式文書で、明が国防の対象海域を、
福建省から東約40キロ沖合の東湧島(現台湾・馬祖列島の東引島)までと定め、沖縄・尖
閣諸島周辺海域は防衛対象として想定していなかった可能性があることが21日、長崎純心
大の石井望准教授(漢文学)らの調査で分かった。
記述があったのは、明王朝の歴史書「皇明實録(こうみんじつろく)」。この中に、福
建省の海防の高官・韓仲雍(かんちゅうよう)が1617年8月、長崎から明に来航した明石道
友(あかしどうゆう)に告げた内容を記録していた。
この中で、韓仲雍は福建省沿岸から約40キロの東湧島など馬祖列島や近隣の島々を列挙
した上で「この外の溟渤(めいぼつ)(東側の海)は華夷(中国と諸外国)の共にする所
なり」と述べた─と記されていた。
石井准教授は「『華夷の共にする所』とは、各国の船が自由往来できる場所という意味
であり、海防範囲外だということだ」と指摘している。
中国の楊潔チ(よう・けつち)外相は昨年11月、ラオスでのアジア欧州会議で「中国は
明代の600年前から釣魚島(尖閣諸島)を支配している」と発言している。