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 この映画を作るにあたり酒井さんは、日本統治時代を調べて開始したが、戦後台湾でのことを詳しく知らなかった。
そして228事件などを知り、戦後台湾を知らなさ過ぎた自分に対しての怒りと、自分が取り組もうしている映画作りが、
どれほど大変なことかを思い知り挫折しかけたときもあったが、蕭さんの話を聞いて、この言葉を日本人に伝える使命
感が芽生えてきた。
 蕭さんが兵役志願した背景は、当時日本は兵員不足となっていた
が台湾での徴兵制はなく志願兵制度となっていた。愛国精神のもと
多くの台湾人が志願したが、蕭さんは未成年で志願するには、保護
者の印鑑が必要。蕭さんのお父さんは、少年時代に他界しており、
お婆ちゃんにこっそりと印鑑を押してもらった。
 当時シンガポールへ行って驚くことがあった。英国の植民地として
200年を経ているシンガポールでは殆んどが文盲であることに対し
日本が統治して40年ほどの台湾では、識字率が非常に高い。
 いかに日本が台湾に力を入れてきたかが、これで分った。時間のない中、これだけのことをしてきたのかと感謝を
持った。
 足掛け4年、ビルマ戦線にて、機銃掃射を受け伝染病に掛かりながらも「大東亜共栄圏」のため一生懸命頑張った。
しかし復員後、国籍が「支那」になった。 悔しくて泣いた。日本政府を恨んだ。
 戦後保障において裁判官は「外国人」として我々を扱った。
「一体誰が、外国人にしたのか」本当に悔しかった。しかし、
これも仕方がないことだと思った、戦争に負けたのだから。

 酒井さんは、日本人で育ち日本人でなくなった台湾人。
「日本に捨てられた」という気持ちが戦後の日本政府に対し
持っていることを映画制作を通して知ったという。

蕭さんの話に涙ぐむ酒井監督
 蕭さんは、復員後、新聞記者となったその後、台湾では228事件が起きる。はじめは取材していたから分るが、闇タ
バコ取締りが始まりであるが、弾圧に重なる弾圧が、この事件の背景にあり、闇タバコ取締りがなくても別の理由で、
起きていた事件だ。日本との国民性の違いがこれではっきりとわかった。日本政府は、本当に良い統治をしていたの
だと。 国民党はそのことをひた隠し半日教育を行った。日本統治を知る人は日本の良さを知っているが、それ以降の
人たちは、そのことを知らない。 馬英九はハンサムだから、女性が投票したが、今は後悔しているのではないか。
 酒井さんは、この映画を台北でみて頂いたら「台湾の若い
世代に見て欲しい」といわれた。
日本は勿論、これからは台湾の若い世代にも広げることを
したい。「親日」の背景に過酷な台湾史があることを日本人
も知っていただきたい。
 蕭錦文さんは、日本は戦争に負けたが目的は達成したの
ではないかと言いたい。200万の若者が戦い、先人の犠牲
で今日の平和を築いた。
負けはしたが、欧米の搾取から開放された。正しい歴史を知ることが大切。 是非とも台湾に来られたら解説をしま
すから、訪ねてきて欲しい。正しい歴史を知り、今後の日台関係に寄与していきたい。

追記:
 植民地としての差別はあった。しかし、法的に差別があったかというとそれは違う。
日本人と台湾人で分けた教育をしたが言葉が通じなければ同じ教育をすることは出来ない。
しかし、教育を受けることは出来た。小さい定義での差別を国民党は大きくいう。
NHKの報道もそういうルートで行った。日本は侵略戦争をしたとされるが、日本は、交渉を行っていたが、ハルノー
トを突きつけられた。その間に英米は、戦争準備をしている。その証拠となる偵察した航空写真が総統府にあった。
日本は好んで戦争をしたのではない。訪ねてきてくれればそこを話します。―蕭錦文さん―
【総括】
 戦後日本は台湾に対し、非常に冷たい対応をしてきました。台湾の日本語世代の方々の言葉を聞き、日本の
姿勢を改めましょう。
                                         日本李登輝友の会愛知県支部事務局
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