【黄 霊芝氏を偲んで(三)】—–台湾の俳聖逝く—–

【黄 霊芝氏を偲んで(三)】—–台湾の俳聖逝く—–
【黄 霊芝氏を偲んで(三)】—–台湾の俳聖逝く—–
                 

             酒井杏子(さかい あんずっこ)

 俳句の話が長くなってしまったが、もし黄霊芝氏が本当に「人嫌い」「仙人のような」であったなら、「人事」に主眼を置くような台湾の俳句や川柳の先(せん)達(だつ)になれただろうか、と言いたかったのである。
けれど、こうした印象を受けた人が一人ならず存在するということは、氏の一面であったのも事実だろう。
これについては後で触れるが、私は氏の病弱な体質と大いに関係しているのではないかと思っている。私も乳幼児の頃から虚弱なので、氏の行為行動に大いに共感するところがあって、少なくとも体質的に虚弱な人間というのは健常者と同じキャパでは活動できない。無理はきかないし、体調を整えるだけでも容易なことではないからだ。
 この身体的条件を下地に考えれば、大胆な憶測も生まれる。
すなわち氏は一般社会にあっては、あくまで「人嫌い」「仙人」に成りすましていたのでは?という憶測である。
それは世俗という空間に身を置いたときの、ともすれば巻き込まれたり翻弄されてしまうかもしれない、面倒で煩雑な、義理や利害や雑事・・・といったものから身を守るための保身術ではなかったか。
言い訳のひとつには、病身のエネルギーを無駄に使わないために。もうひとつは作家としての時間を奪われないために。
だからだろうか、私の知る黄霊芝氏は実に合理性を好む人でもあった。
晩年、足腰が弱って別棟の令嬢宅にある電話に出るのに時間がかかり、体がかなり大儀そうだったので、「これからはFAXに切り替えましょうか」と申し出ると、「いや、これでいい。電話がいい」と断られた。理由は、一度に多くの話ができ、その都度相手の反応を窺いながら話を進められるというもので、一見アナログ派と見られる氏は、意外にも電話やFAXという文明の利器の合理性を嫌っていなかった。

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