【藤井厳喜】シナはシーパワーたりえず

【藤井厳喜】シナはシーパワーたりえず

「宮崎正弘の国際ニュース・早読み」より転載 

(読者の声1)2月15日発売の拙著『米中新冷戦、どうする日本』(PHP研究所)に関して貴誌で先行書評をしてくださいました。

この宮崎さんの書評に対して、メルマガの読者の「SJ」氏が、批評を投稿されました。SJさんと同様の疑問を著者に直接、投げかけてくださった方もいらっしゃいましたので、そのご質問にお答えしておきたいと思い、以下の小論を寄稿させて頂きます。

藤井厳喜・著『米中新冷戦、どうする日本』 http://www.amazon.co.jp/dp/4569811329

補足解説的小論:「ランドパワー」が「シーパワー」になり得た実例はない。
: モンゴル帝国は「シーパワー」ではなかった

 拙著『米中新冷戦、どうする日本』の中で、「元来がランドパワーであるチャイナが、シーパワーになろうとするのは不可能である、それは歴史を見渡してみてもランドパワーでシーパワーとなり得た実例はないからだ」と述べました。

 これに対して、宮崎正弘さんのメルマガに、SJさんという方が投稿し、「モンゴル帝国はランドパワーとして登場したが、シーパワーにもなり得た」と疑問を提示されました。宮崎正弘さんの方からも、私がこの疑問に対してどう思うかというお尋ねもありましたので、所見を披露させていただきます。

 大変、いい質問を投げかけてくださったSJさんと、所論を展開するチャンスを与えてくださった宮崎正弘さんに心から感謝いたします。

 そもそも拙著は、米中関係を論じたものである為、地政学的議論については、割愛して、私がかねてから持っている見解の結論だけを述べさせてもらったわけです。

その為、説明が不十分であったのでしょう。SJさんのみならず、他の方からも質問を頂きました。台湾の友人からは、「チャイナは海岸線が長いのに、何故、シーパワーになれないのか?もう少し深く解説してください」というリクエストを頂きました。

 「ランドパワーがシーパワーに成りえない」というテーゼは、2003年に上梓した拙著『世界地図の切り取り方』のP.113で始めて発表したものです。

1)モンゴル帝国はシーパワーではなかった
 
先ず、大事なところは、私はモンゴル帝国はシーパワーであるとは考えていません。モンゴルはランドパワーとして、ユーラシア大陸の東西を結ぶ巨大な帝国を建設しました。その後、海上交易のルートである、所謂「海のシルクロード」を利用して、繁栄を謳歌したことも事実です。

しかし、この海上交易ルートは、モンゴル帝国が海軍力によって開拓し、又、維持、管理したものではありませんでした。これはSJさん自身も既にお気づきのようで、彼も「イスラム商人を生かして海洋帝国をも作ろうとしていたフビライ・カーンの治績が想起される」とお書きになっています。この記述は極めて正確だと思います。

モンゴル帝国は、既にイスラム商人たちが開拓していた海洋交易ルートを巧く利用しただけであり、これはモンゴル帝国がシーパワーとなり得た事を全く意味しません。よく知られていることですが、モンゴル帝国では、身分制度上、第1位にくるのが当然、モンゴル人ですが、その下に「色目人」というカテゴリーがありました。これは、トルコ人、イラン人、アラビア人などのイスラム教徒の事でした。これは文字通り、「目の色が違っていた」ので、そう呼ばれていたのでしょう。ちなみに元朝では、第3等の身分階級が漢人で、第4等が南人でした。色目人は政権中枢部に登用され、軍事政策には関与できませんでしたが、経済政策などではかなり深く関与しています。ちなみにこの「漢人」とは、漢・女真・契丹・高麗の人々を意味しました。南人とは、南宋の統治下にあった人々で、蛮子(マンジ)と呼ばれ、一番蔑まれておりました。

この色目人の代表に、例えば、蒲寿庚(ホ・ジュコウ)という方がいました。宋末に泉州で宋の海運関係の役員をやっていましたが、宋が滅びるに従い、元の臣下となり、厚遇されました。南海貿易の復活に尽力した人物です。
彼はアラビア出身のイスラム教徒でした。こういった人々を巧く使って、モンゴル帝国は海上貿易に乗り出していったのです。

そこで、フビライ・カーンが陸上帝国と並列する海上帝国をも作ろうという構想をもっていた事は納得できますが、モンゴル帝国がランドパワーから発展して、シーパワーにも成り得たと考えるのは明らかに誤りでしょう。フビライ・カーンは、朝鮮の海洋航行能力を利用して、日本をも支配しようとし、これが2回の元寇となりました。彼が「ランドパワー+シーパワー構想」を持っていたという説には説得力があるとは思います。

答えは以上ですが、以下、やや長い補足を書き足します。

2) チャイナがシーパワーに成れない事を証明した鄭和の大海洋遠征

 明朝の永楽帝(在位1402年から1424年)の時に、宦官の鄭和が7回にも及ぶ南海大遠征(1405年から1433年)を成功させた事は、非常に面白いチャイナ史上のエピソードです。
私は当初、この鄭和の大遠征は「チャイナもシーパワーに成り得る」事の証明になるのではないかと思い、注意深く検討してみましたが、結論は全く逆でした。つまり、鄭和の南海大遠征こそは、チャイナが絶対にシーパワーに成りえないことの逆証明となっているのです。

鄭和は、本姓は「馬」と言って、雲南の人で、イスラム教徒でした。彼もまた、イスラム教徒が既に開拓した航路を利用して遠征に成功したにすぎません。イスラム教徒の協力があって始めて可能となった遠征だったのです。

面白い事に、鄭和の遠征によって、朝貢貿易は大いに盛んとなりましたが、入貢の利に比べて出費の方がはるかに莫大なものであった為、逆に、それが明朝の財政を圧迫することになってしまったのです。大英帝国がインドやマレー半島を植民地として富を収奪し、大いに繁栄したのとは全く逆の状況です。又、明朝は民間商人の貿易は厳禁していた為、南海貿易の実験は、イスラム商人に握られたままでした。インド洋を遠く隔てたペルシャ湾や東アフリカにまで到達した鄭和の大遠征は、チャイナが世界進出への道を切り拓くキッカケとはならなかったのです。

これがスペイン、ポルトガル、イギリス等に代表されるヨーロッパの国々ならば、たちまち現地を植民地化し、自らに有利な海上交易体制を創り上げ、「大海洋帝国=植民地帝国」を築いていたことでしょう。

永楽帝の積極外交が、巨大な国庫支出をもたらした事の反動もあり、その後、明朝は、海上発展に全く興味を示さず、シナ大陸に閉じこもってしまいます。東アジアの海上交易も、琉球などを利用する形をとり、自ら積極的には関与しようとはしませんでした。
当時の明朝は、海上発展を遂げるだけの技術力を持っていました。鄭和の第1回遠征では、大型船60余隻に約2万8000名の兵士を乗せて派遣したといいます。

1492年に出向したコロンブス艦隊は、たったの3隻で、乗組員は約90名であったことを考えれば、これは大変な海上運搬力を意味します。しかしこのテクノロジーと能力は、チャイナがシーパワーになる事には全く利用されませんでした。もし、チャイナにシーパワーに成れる資質があるならば、鄭和の大遠征を利用して、その直後に、巨大な海洋帝国を築いていたことでしょう。しかし鄭和の冒険は、一代で終わってしまい、全く継続される事はありませんでした。明朝の政治力が未だに強く、しかもこれ程の技術的優位性を持っていたにも関わらず、明朝がシーパワーになれなかったし、正確に言うならば、寧ろ「なろうとしなかった」事は、非常に重要な事実です。

その意味で、鄭和の大遠征は、チャイナがシーパワーになれる可能性を証明しているのではなく、シーパワーには絶対なれないことを逆に証明しているのです。

3) 明朝・清朝の海禁策について

明朝と清朝の時代には、海禁策というものがありました。勿論、明朝においては、鄭和の大遠征のあとの事です。これは海外渡航、海外貿易などを禁じた政策です。この海禁策は、日本流の鎖国政策ではありませんでした。チャイナの海禁策においては、単に海外への渡航や、海外との通商を禁止するのみならず、海岸線に近づくことさえ禁止しています。海岸から一定の距離を無人地域として海に近づくこと自体を禁止していたのです。海洋民族の気質の強い日本人には想像する事すら出来ない政策です。ここに、漢民族(シナ人)が持つ、海洋への本能的恐怖感が表れているようです。
この話はあとで、少々詳しく述べます。

倭寇という現象も、チャイナの歴代王朝が如何に、海に弱かったかを理解するよい事例となっています。日本西部の武装商人は、元末の頃から、チャイナ・朝鮮の沿岸に進出を始めました。商業と略奪を表裏一体で行なう存在だったようで、悪く言えば「海賊」ですが、よく言えば「海の自由民」です。

倭寇は、元寇以後、特に14世紀の日本の南北朝時代に盛んになります。これを「前期倭寇」と言います。この後、室町幕府三代将軍の足利義満が、明と正式の国交を開き、朝貢形式による貿易(勘合貿易)を開くと、一時、倭寇は沈静化します。しかし、足利幕府の動揺につれて、再び盛んになり、16世紀半ば頃には、再び倭寇は大きな力を振るいます。
これを「後期倭寇」と言います。シナ大陸でも明朝が弱体化した時期でした。後期倭寇においては「真の倭は十に三、倭に従うもの十の七」と言われていました。シナ大陸、朝鮮半島出身の者が数多くいたにしろ、「倭に従うもの」という表現からすれば、リーダーシップは日本人が取っていたという事が分かります。 

さて、東南アジアには華僑と言われる人達が多数存在していますが、これもまた、漢民族が海洋民族である事を全く証明しません。華僑は、支那大陸で食い詰めて、あるいは奴隷として売られて、海外に漂流した人々です。

香港あたりには、ジャンクの上で生活している「水上生活者」がおりますが、彼らは元来、東南アジアから南シナに辿り着いた人であって、元来の漢民族ではないようです。又、チャイナの広東省の南から福建省、更にその南の方には、元々、漢民族ではない海洋民族の血を引いた少数民族がいるとは思いますが、彼らはつまるところ、所謂「シナ人」ではないし、超少数派です。

4) 漢民族のもつ海洋に対する恐怖心

海禁策のような、日本人にはちょっと想像しがたい政策が生まれてくる背後には、漢民族が持っている海洋に対する本能的ともいえる恐怖感が存在するようです。我々、日本人にとっては、海は開かれた自由な空間です。「われは海の子」という歌は日本人の海洋との親和性の端的表現でしょう。ところが、大陸民族である漢民族(シナ人)にとっては、海洋とは「どんな怪獣が住むかもしれない“妖しく不気味な空間”」なのです。少なくとも伝統的な漢民族の自然観はそのようになっているようです。これは、元朝を築いたモンゴル人や、清朝を築いた満州人にも共通の大陸民族独特の感受性なのではないかと思います。

チャイナの古典、「四書五経」の五経の1つに、易経があります。易経には、「海」の卦がありません。今日のチャイナの源流を占めるのは黄河文明です。黄河文明を作り上げた黄河中流域を中心とするシナ大陸北方の人々の世界観には、「海は存在しない」わけです。私が易経を読んだ時に、自然界を象徴する卦の中に、「海の卦」が存在しない事に違和感を覚えました。今日、チャイナの古代文明には、黄河文明の他に、長江文明と四川文明の存在が知られていますが、長江文明も四川文明も海洋とは無縁です。

そもそも、チャイナの文学には、古今を通じて、海がテーマとして殆ど取り上げられていません。ごくまれな例外を1つ紹介しましょう。
それは『三国志』の英雄、曹操(AD155−220)の
「観滄海 : 滄海(わだつみ)を観る」という詩です。
これは曹操が、河北の山海関地方の海岸線にまで兵を進めた時の作だと伝えられています。この中に、海を形容して、以下のような文句があります。

「日月の行くは
其の中より出ずるが若(ごと)く
星漢(あまのがわ)の燦爛(かがやけ)るは
其の裏より出ずるが若し」

チャイナの歴史を通じて、指折りの英雄である曹操も、始めてみた海洋に、大いに驚き、この詩を作った事が読み取れます。日本風に言えば「海は広いな大きいな。月がのぼるし日が沈む」ということですが、この詩に関して、シナ文学者の入谷仙介氏は、次のように評論しています。

「元来、大平原の中に成長した漢民族にとっては、海洋は世界の果ての異様な得体のしれぬ場所であった。・・・・・(中略)・・・神仙の住む神秘な美しい山もその中にある代わり、どんな恐しい怪物がいるかもしれない凄まじいところ、それが中国人の海にもつ感覚である。」

曹操は、チャイナの歴史でも珍しい巨大なエネルギーをもった英雄であり、その英雄にして始めて、海洋という不気味な空間を詩に詠むことができたとも言い得るのです。入江仙介氏は「偉大な個性と巨大な風景との出会いが、文学史上、破天荒な作品を生んだのであった」と評価しています。

5)ランドパワーとシーパワーを兼ね備えた帝国の存在

ランドパワーであり、かつシーパワーである大帝国が、かつて地球上に存在しました。それはローマ帝国です。帝国とは言いますが、帝政時代のみならず、その前の共和制の時代までさかのぼってのローマです。

地中海の海上覇権を持っていたローマは、立派なシーパワーでもありました。当時の人々にとっては、地中海こそが海洋であったわけですから、ローマは、ランドパワーであると同時に、シーパワーでもあった、と定義して差し支えないと思います。今日、地中海は、世界の中の小さな内海に過ぎませんが、当時のローマを中心とする世界観では、全くそうではなかったわけです。

又、大日本帝国もまた、シーパワーであり、かつランドパワーである立派な帝国でした。これは今さら論ずる必要もないと思います。

SJさんは、私の言っている事を誤解されたようです。SJさんは、「藤井厳喜氏が断定しているらしい、ランドパワーとシーパワーを兼ね備えた帝国は史上ないとの説は、早計のようだ」と述べられていますが、私は、ランドパワーであり、シーパワーである国家は歴史上存在したと思っています。上記に述べたとおりです。正確に言いますと、私が主張した命題は、「元来のランドパワーで、シーパワーにも成り得た国家は存在しない」という事です。その実例として、ロシアやドイツやチャイナの例を挙げたわけです。

ローマ人や日本人の中には、そのDNAとして、強力な海軍と強力な陸軍をもつ能力が内在していました。このような民族を中心とした国家は、ランドパワーかつシーパワーとなり得ることが可能なわけです。しかし日本の場合は、これがかえって裏目にでたのではないかと思っています。日本は、地政学的に見て、元来、海洋国家であるにも関わらず、日本は強い陸軍をもつ能力がありました。この為に、大陸に深入りしすぎてしまい、これが大東亜戦争における日本の敗戦の伏線となったのではないかと思います。もっと、シーパワーとしてのアイデンティティーに立脚した国家戦略を実行できていれば、大陸の泥沼に足を突っ込んだ上で、それが原因でアメリカと開戦し、2正面作戦で帝国を滅ぼす悲劇も避けられたのではないかと推測している次第です。しかし、この自説は、1つの仮説であり、今後、注意深い論証が必要であると思っています。

日本人のDNAの中には、シーパワーであると同時に、ランドパワーに成り得る素質があると述べましたが、これを興味深い形で証明しているのが、日本神話であると思います。日本神話の中には、大陸的な神話と、海洋的な神話の2つが織り交ぜられています。大陸的な神話とは、天空に神聖なる世界を直観する神話です。大陸の大平原は、「天と地」の二元論の世界です。地上は勿論、人間の住む世俗の世界です。大陸の人々は、自らの上に拡がる天空に、霊的に自分たちを支配する神聖な世界が存在すると直感するようです。日本神話にある天孫降臨の神話などは、典型的な大陸系の神話です。言い換えれば、垂直方向の霊的直観が生み出した神話です。

これに対して、海洋の世界では、水平に拡がる海の彼方に現世を超える神聖な世界をみようとします。水平的な霊的直観が生み出す神話です。稀人(まれびと)信仰(海の彼方から神聖な能力をもつ者が到来して福をもたらす)等はその典型的なものでしょう。日本神話の中には、因幡の白ウサギを始めとして、明らかに海洋系の神話も多数含まれています。海幸彦、山幸彦の話なども、話の比重としては、海の方に重点が置かれた神話です。

神話から想像すると、日本人には、大陸から日本列島に来た血統と、南方から黒潮に乗って日本列島に到達した血統の2つが混血しているようです。又、縄文時代以来、元来、この列島に住みついてきた人達もいるわけです。天孫降臨の神話からして、天孫民族、即ち、皇室を中心とする日本民族の中核は、恐らくユーラシア大陸の北方から日本列島に到達したのではないでしょうか。しかし、大陸系の血を引いた人々は、決して多くはないというのが、私の直感です。日本人の大部分は、やはり、南方の黒潮系の人々でしょう。やはり、日本人の多くは、ユーラシア大陸に発展するよりは、東南アジアの海洋の世界に発展する方が親和性を覚えるようです。これは今日の日本人の海外発展を考えた時にも当てはまることだろうと思います。

6) 警戒すべきチャイナの海軍力

チャイナがシーパワーに変身しえない事は確かであると思われます。又、チャイナがランドパワーかつシーパワーとなり得る事も不可能であると思われます。質問を頂いたSJさんも、この点は同意してくださっているようです。SJさんはチャイナがランドパワーとシーパワーを兼ね備えた帝国になる可能性について、「だからと言って、中共国家が可能だと言っているのではない。この面での藤井説には異論はない」と指摘されています。

しかし、これは我々がチャイナの発展する海軍力に無関心であってよいという事ではありません。我々が備えを怠らない限りにおいては、彼らの海軍軍拡を用いた帝国主義政策は失敗に帰するであろうという事です。日清戦争を見ても、清朝は、定遠・鎮遠等の最新鋭の軍艦を外国から購入し、日本を脅かす事は出来ました。 

又、ロシアやドイツは、シーパワーになる事には失敗しましたが、一定の海軍力を保持する事には成功しました。そもそも、世界の国家の中で、海軍らしい海軍をもてる能力があるのは、ごく少数です。その点で、敗れたりとは言えども、ソ連がかなりの海軍力を建設した事は、軍事史の上では、高く評価されてよい事です。大国であれば、ランドパワーであっても、かなりの海軍力を保持する事は可能なわけで、日本は十分な備えを怠ってはなりません。

7) モンゴル帝国の偉大さ

モンゴル帝国は、ユーラシア大陸にまたがる偉大な帝国であり、短期間で崩壊はしたものの、世界史に非常に大きなインパクトを与えました。世界史は、モンゴル以前とモンゴル以後に区分けできると言われるほどです。

又、真の世界史は、モンゴル帝国と共に始まったという指摘も正しいと思います。モンゴル帝国の治積を評価するという点においては、私もSJさんには劣らないつもりです。SJさんは、モンゴル帝国の偉大さに関して、次のように述べておられます。「わたしは帝国の統治原理、国家経営の原則が“equality”によって貫かれていたからではないかと推測している。この原則あって、パクス・モンゴリカが保たれた。」
この主張には、少々、注釈が必要でしょう。

モンゴル帝国は、明確に支配するモンゴル人と、支配される他の諸民族を分けて考えていました。当然の事です。但し、主人であるモンゴル人に仕える有能な人物は、異民族であっても進んで採用しました。耶律楚材やマルコ・ポーロなどもそういった人材でしょう。
そして、被支配民族が軍事と統治に口を出すことは許しませんでしたが、彼ら被征服民族が多様性をもって自律的に生活する事を許容しました。宗教活動も、自分たちに反抗するものでなければ、これを寛大に扱ったし、経済活動は大いに奨励しました。被征服民族も又、モンゴル統治に反対しさえしなければ、一定の範囲内で自分たちの生き方を保ち、幸福を追求する事が許されていたのです。そして、統治にあたっては、明示した単純明快なルールによって、被征服民族を公正に扱いました。これがSJさんの言う“equality”ということでしょう。

こういった「普遍的原則による公正な支配」は、ローマ帝国でも、そしてオスマントルコ帝国でも見られたところです。異民族を統治するには、このような普遍主義が不可欠です。現代におけるアメリカ合衆国においても、この原則は貫かれているように思われます。

尚、SJさんは、パックス・モンゴリカについて「だが、その期間は短すぎた。14世紀前半に始まるユーラシア大陸での天変地異、更に西方から起きたペストの蔓延という生態学的な要因が、折角の“equality”原理を基調とする世界史到来の障害になった」と述べられていますが、これにも若干の注釈が必要でしょう。

というのも、ペストに関しては、様々な起源説があり、最新の研究では、ペスト菌のチャイナ起源説が最有力視されています。
http://www.afpbb.com/article/life-culture/health/2772233/6404063?utm_source=afpbb&utm_medium=topics&utm_campaign=txt_topics

14世紀以降のヨーロッパにおけるペストの大流行の第1回目は1347年からで、中央アジアからクリミア半島を経由して、シチリア島に上陸し、これがヨーロッパ全土に拡がったと言われています。

実はこれに先立って、1320年ごろから1330年ごろにかけて、チャイナでペストが大流行していました。モンゴル帝国によってユーラシア大陸の東西を結ぶ交易が盛んになった為に、東アジアでの大流行がたちまちヨーロッパにまで到達したという説もあります。カナダ出身の歴史家ウィリアム・H・マクニールは、ペストは元来、支那大陸の雲南省地方の風土病であったものだが、この地方に侵攻したモンゴル軍が他の地域に広めたものであると、主張しています。

この主張には、人種的偏見があるかもしれません。しかし、最新のDNA研究結果が正しいとすれば、ペスト菌の起源はチャイナになります。これが、モンゴル帝国の成立による東西交易の活発化によって、たちまちヨーロッパに到達し、猛威を振るったという事は十分に考えられます。直接的には、ヨーロッパから起きたペストの蔓延がモンゴル帝国の崩壊を早めたことは確かでしょうが、その前に、モンゴル帝国自身がペストを広めていたとも考えられます。ちなみに、南海大遠征を行なった鄭和も、ペストの拡大に大いに貢献したようです。

モンゴル帝国は確かに、偉大な帝国であったに違いはありませんが、東西貿易と交通の活発化がペストを広めてしまったというマイナス面があったかもしれません。つまり、当時におけるグローバリズムがもたらした悲劇です。コロンブスは、カリブ海地方の風土病であった梅毒をヨーロッパから世界に広める事に大いに貢献しました。AIDSがアフリカの緑猿から人間に伝染したという説が正しいとするなら、AIDSも又、グローバリズムによって世界に拡がった病気と言えるでしょう。

グローバリズムには必ず負の側面が存在します。これは、今日における様々な新奇な病、特にウィルス性の伝染病についてもいえることです。特にチャイナ発のSARSその他の新種の流行病が世界的蔓延の兆しを見せています。グローバリズムを正しく制限する事が必要です。チャイナとは、今後、物的交流のみならず、人的交流をも、厳しく管理統制すべきなのではないでしょうか。

以上、だいぶ長い回答となりましたが、読者の皆様の参考となれば幸いです。
又、小生の地政学に関する初歩的見解(入門篇)については、無料で公開している以下のブログとYouTubeがございますので、興味のある方は是非、ご覧ください。

【藤井厳喜アカデミー第3弾:国際関係論入門-激動する世界を透視する視座】 第6講 海洋国家日本・地政学入門 (動画付き)
 http://www.gemki-fujii.com/blog/2011/000816.html
YouTube : http://youtu.be/0Drf6KIbOvM
   
藤井厳喜

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