【独立運動に投身した台湾人】王育徳伝(七)

【独立運動に投身した台湾人】王育徳伝(七)
【独立運動に投身した台湾人】王育徳伝(七)

国民新聞より転載

王明理 台湾独立建国聯盟 日本本部 委員長 

台湾語の研究

1949年7月、下関港から密入国した王育徳は、その足で国鉄に乗って、ひとまず神戸の姉の家に身を寄せた。そして、親戚の世話で「蔡仁徳」と言う名の偽の外人登録証を手に入れ、その名前で暮らすこととなった。入国管理法違反であるが、ずっとこそこそしていたわけではなく、時をおかず、母校東京大学の、再入学の手続きをとった。(この時は王育徳と名乗っている)日本に来て得た自由な時間を少しも無駄にしたくなかったからだ。翌年4月から二十六歳の一年生として、再スタートすることになった。

勉強の目的は、「台湾語の研究」と初めから決めていた。国民党政権下ではできない台湾語の研究を、自由を得た自分がやるべきだと思ったからである。
1950年6月、朝鮮戦争が勃発し、アメリカは台湾存在価値を再認識して、蒋政権への支援の継続を決めた。王は台湾へ帰ることを諦め、妻子を日本に呼び寄せることにした。そして、落ち着いて学問を続けたのである。

世界的な言語学の権威でもあった服部四郎教授に指導を受け、博士課程まで台湾語の研究を続けた。「台湾語の墓碑銘を刻む思い」で、台湾語の辞書『台湾語常用語彙』を出版したのは在学中の一九五七年であった。日本時代に続いて、中国人にも台湾語の使用を制限されているうちに、台湾人は母語を失ってしまうのではないかと憂えていたのだ。「言葉を失えば民族は滅びる」と考えていた。

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