【宋楚瑜】政治軸を三度変えた政治家

【宋楚瑜】政治軸を三度変えた政治家
【宋楚瑜】政治軸を三度変えた政治家
 
(転載自由)

          「台湾の声」編集長 林 建良(りん けんりょう)
           
 宋楚瑜親民党主席の妻である陳萬水女史が昨日7月28日に腹部悪性腫瘍で亡くなった。宋楚瑜氏は気性が激しく、敵も味方も多いのだが、陳萬水女史は気さくな人柄で反対陣営からも好かれていた。まさに内助の功の鑑だった。

●37才で言論統制のトップとなった宋楚瑜

 宋楚瑜氏の父親、宋達は元陸軍中将で蒋経国の知り合いだった。そのため、宋楚瑜氏は名門ジョージタウン大学で博士号を取得した直後に蒋経国総統(当時)の英文秘書を務めた。英語力だけでなく、ずば抜けた才能を持つ彼は後に新聞局長(閣僚相当)にまで抜擢された。

 当時の新聞局は言論統制の機関で、映画、音楽、雑誌、新聞などを検閲する絶大の権力を持っていた。30代の宋氏は、その権力を振りかざして台湾語のテレビ番組を抑圧し、台湾人意識の強い出版物を印刷工場から没収するなど強硬的手段で台湾の言論自由を抹殺し、政治反対勢力への弾圧に加担していった。
 
 しかし、蒋経国が亡くなると彼は副総統から総統に昇格した李登輝氏を支え、国民党内の保守勢力と戦った。国民党内に権力基盤のない李登輝氏を敢えて推したこの大胆な挙動は周囲を驚かせたのだが、この大きな賭けは彼の大政治家への第一歩となった。

●台湾省凍結で李登輝氏と反目

 その後、彼は李登輝氏の良きパートナーとして李登輝政権による民主化改革を協力してきた。だが、改革の一環としての台湾省凍結には、台湾省長であった彼は強く抵抗した。

 李登輝氏にしてみると、台湾省の存在がある限り台湾は中国の一つの省であることを自ら主張しているようなもので、中国の束縛から脱出するために台湾省という行政制度をどうしても廃止しなければならない。

 凍結は廃止の前段階に過ぎないのだが、中国湖南省出身である宋楚瑜氏は脱中国化に反発する。自分の基盤が解体されることを恐れ、その抵抗は凄まじかった。しかし、李登輝氏は動じることなく粛々と憲法改正をし、1998年に台湾省を凍結したのだ。

 この一件で宋楚瑜氏は李登輝氏と完全に決別した。宋氏は2000年の総統選に無所属として立候補し、民進党の陳水扁氏と国民党候補の連戦氏の三つ巴で戦った。宋氏はわずか30万票の差で二位となったが、国民党を負かせたことで幾分か鬱憤晴らしにはなったのかもしれない。

 その後に彼が組織した親民党は、国会で46数議席を勝ち取って台湾の第三政党として影響力を発揮したが、彼の政治軸は李登輝時代の台湾主体から中国傾斜に逆戻りになった。

●政治軸が三回も変わった宋楚瑜氏

 宋楚瑜氏も馬英九氏も党国之子(国民党幹部の子)で、若くして政治の中枢に入ったのだが、馬英九とは違い、彼には才能があった。中国で生まれた彼の政治軸は三回も変わる。

●台湾伝統文化を蹂躙する宋楚瑜氏

 蒋経国政権時代の宋楚瑜氏は中国人統治者として台湾に君臨する姿勢だった。新聞局長当時の彼は、台湾の伝統人形劇である「布袋戯」を台湾語から北京語に強制するなど、台湾的なものを容赦なく弾圧した。それは落語を日本語ではなく英語にしろと強制するような無茶なことなのだが、当時の彼にとって台湾の伝統文化は中国文化の宣揚を邪魔するもので、消滅すべき存在だった。

●李登輝氏と決別して中国寄りに先祖返った宋楚瑜氏

 台湾人の李登輝政権になると、彼は一転して李登輝氏の台湾主体の民主化改革に協力した。しかし、1998年の台湾省凍結をめぐって李登輝氏と袂を分かつと、李登輝氏に反旗を翻した。それと同時に彼は台湾主体の政治姿勢から、中国寄りに先祖返ったのだ。
陳水扁政権当時、彼は中国訪問を果たした。華麗な招待を受けた彼はご満悦のようだったが、台湾での評判はどんと下がった。

●中国政策は馬英九の専権事項

馬英九政権になってから中国一辺倒の政策をとり、政府間の交渉もより緊密になった。馬英九が対中国政策を主導している中、宋楚瑜氏の出番は完全になくなり、彼の存在は益々薄くなった。プライドの高い宋氏には馬英九からの冷遇が我慢ならなかったのか、馬英九を負かすべく彼は2012年の総統選挙に再び立候補した。選挙中、彼は馬英九の政策を激しく攻撃して、政策は台湾主体であるべきだとしきりに強調したのだ。

●田中角栄ばりの人情家

 不思議なことにこうした変身ぶりであっても、台湾では彼のことを風見鶏と見る向きはない。彼が新聞局長時代から培ってきたマスコミ人脈が彼のことを悪く言わないこともその一因かもしれないが、彼は支持者にとって魅力のある男のようだ。

 台湾省長時代に彼は、地方の公共建設に沢山の予算をばら撒き、公共建設に力を入れ、地方の政治勢力を養成した。これはまさに田中角栄ばりの手法であった。

 人情家の一面も田中角栄に負けていない。エリート出身の彼は、山奥まで足を運び、泥まみれになって、農民たちと一緒に飲食をする。支持者の親であれば、そのお葬式にはほとんど本人が出席をし、親族同様に悲しんだりする。また彼の記者会見では、記者の質問に丁寧に答えるだけでなく、質問する記者のファーストネームまで覚えていた。
 
それを全て演技だといえばそれまでだが、そこまで演じられる政治家が果たして何人いるだろうか。

●能力は高く評価されている

 人間関係だけでなく彼の能力も評価されている。李登輝政権時代に彼は国民党の秘書長(幹事長)を務め、党首の李登輝氏と二人三脚で万年国会の全面改選や憲法改正などの難問に取り込んでいた。省長時代の公共建設は、ばら撒きと批判されながらも地方では高く評価されている。

●このまま消えるには勿体ない政治家

 宋楚瑜氏を知っている人はみな口を揃えて、彼の人間としての魅力と政治手腕を賞賛している。しかし、彼の政治姿勢は、常にどちらかの陣営から批判を浴びていた。彼は能ある鷹だが、爪を隠すことはできないようだ。

最愛の妻を亡くし、意気消沈の日々を送るかもしれないが、台湾主体の政治姿勢を堅持して、もう一肌を脱いでほしい。有能な彼が、このまま消えて去るには勿体ない。

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