_塚本三郎元民社党委員長小論集_ _当会支部最高顧問、塚本先生世評_

今こそ大胆で粗野な政治を   平成二十三年十月下旬    塚本三郎

政府は当面の施策、東日本の大震災や、東京電力福島原子力発電所の放射能対策に対して、有効な打つ手を失って、立ち往生していたのが現在までの状態ではないか。

 だが日本の在野には、智慧者は沢山居る。そして多くの参考となる提案が出されていた。

 例えば、東北三県の被害者のうち、会社や工場の流失によって職場を失った失業者が三十万人に至るとみる。――その人達に失業保険を給付するよりも、国家が責任を持って五年間、公務員として雇用し年四百万円を支給し、その人達を中心にして復興の作業に当たらせよ、との学者の説は一考に値する。勿論それを希望する人にのみ。

その間に自分の経験した仕事や希望する仕事を見つけ出せば良い。

 また、原子力発電の問題を論ず前に、ダムの原理を応用して、海流そのものを発電力に利用する。日本の四方は海に囲まれている。干満の差の大きい所から手を付けたらどうか。最も有望であるのは、瀬戸内海の一部をダムとして利用し、潮流の干満する自然の力を毎日利用することを考えるべきだ。(加地 伸行氏)

 右の如き、大胆ではあるが具体的な考え方は、既に学者によって提起されていた。

だが、それを政治と云う、高度のレベルで、理想と現実を結び付け、それを実現させるには豪腕の政治家の出現が無ければ、単なる思い付きにしか過ぎなくなる。

せめて異論はあろうが田中角栄氏の如き、豪胆にして、粗野な政治家が、日本に果して求め得られるかどうか。問題は政治力がことの成否を決めると思う。

 これ等の案は、今日では未だ単なる理想家の思い付きとされている。だが論理的には間違ってはいない。また不可能ではないと思う。「やってみよう」ではないかの声が欲しい。

 最近の風潮は、「失敗を許されない」と云うのが政界の常識である。

而も失敗を大々的に取り上げ、非難、皮肉を重ねるマスコミの取材と報道の仕方が、ことによっては、政界の人々をして小心者の集団へと追い詰めている。

長期政権を目指す指導者は、何ごとも無難が第一と心掛ける。失敗と不名誉を恐れない勇気ある政治家が欲しい。国民は今こそ、大きなスケールの政治家を望んでいる。

 勿論、マスコミの、この風潮を批判する前に、政治家個人が自己宣伝の為に、単なる思い付きを、さも実現可能の如く宣伝する。個人のみでなく、時には政党さえも、マニフェストと評して、世論に迎合し、おもねりに終始する政治家が多く居ることも問題である。

民主主義政治の長所と短所が、一枚のコインの裏表であることを悟らされる。

小沢元民主党代表の裁判

 小沢氏の資金管理団体「陸山会」の土地購入を巡る事件で政治資金規正法違反罪で、強制起訴された小沢一郎被告の初公判が開かれた。

 小沢被告は起訴内容を全面的に否定し、無罪を主張した。

物的証拠と状況証拠の論争――日本の犯罪捜査は、従来、物的証拠よりも、犯罪とみなされる状況証拠が中心となっており、余り異存はなかった。しかし、庶民生活のなかでは時として、無実の罪人を生む結果が出て来る。更に科学技術の発達によって今日では、物的証拠こそ有罪とすることが判決のキメテの如く変化して来た。

その結果、物的証拠さえ残さなければ有罪とはならない。更に検察陣は、物的証拠を握ることが出来なければ、起訴さえも避ける。無罪の判決を恐れる官僚の風習となった。

 断定するつもりは無いが、小沢一郎氏に関する今回の裁判は、その典型的モデルと思う。小沢氏は、物的証拠さえ残さなければ、有罪とは断定されないと云う、検察の流れを読み取って、政治活動にカネの力を充分に利用した。政治とカネについては、百戦錬磨で、カネこそが権力であると信じ、事業家ではないのに巨大なカネを所有し、その上、土地とビルまで数ヶ所を持っている。

 世間の常識の上に成り立つ民主政治の代表であり、政党の実力者の彼は、そのカネの所有と注目されている不動産について、明確に説明する責任が在る。情況証拠として疑われているならば、その不自然すぎる情況を堂々と解明すべき、説明責任が在る。まして国会議員の仲間から証言を求められている、状況証拠を否定する彼には説明の義務が在る。

国家権力と政党の混同(野田政権)

思えば、一昨年の衆議院選挙こそ、賞味期限の切れかかった自民党の長期政権に、「お灸を据え」たのが、当時の国民の心情であったと思う。

 だが、そのお灸が強すぎて、結果は自民党への「火焙りの刑」になってしまい、未だ本来の姿に立ち戻っていない。そして民主党の叫ぶ「政権交代」が成立した。

鳩山、菅両政権は、民主党の掲げたマニフェストが、国民の眼には出来もしないニセモノであったことを、僅か二年間で実証してしまったのは皮肉である。

 加えて東日本の大震災による放射能汚染の始末の不手際と、鳩山、菅両氏の破廉恥な言動。――更に欧州、とりわけギリシャの財政破綻による、ドル及びユーロの下落による円の高騰は、二重、三重の重圧として民主党政権に押し寄せている。

政権交代を唱えた当時の民主党の叫びと、主張そのものが誤りとは思っていない。

民主党の公約は、出来もしないことではあったが、国民は当然の理想と共鳴し、期待した筈である。政権交代や、マニフェストや、政治主導を非難するのではない。

 問題は民主党を代表する「指導者の能力の問題」であり、準備不足と、不勉強に在ると云うべきである。鳩山、菅、両人の権力者としての、誤れる言動の一々については、既に飽きる程に報道されているから述べるまでもない。

 野田佳彦新政権が誕生した。しかしその実績には時間が足りず、未だその将来は論じられない。されど今日までの初登場の組閣及び施政方針は、あまりにも無難すぎる

 平穏無事の日本、何ごとも起きていない、そして周辺の平和な環境ならば、組閣された程度の人事と言動でも許されるかもしれない。

 野田首相は、日本国の内閣総理大臣である。民主党の単なる一代表のみではない。

 民主党の代表者として、党の「分裂寸前の事態」を沈静化させるために、ノーサイドと弁解し、国家権力をも、配分の公平化の道具と考え、権力の合理的分配にすべてを懸けた。

そのことは、民主党の党首としては評価されよう。しかし一国の総理としては、あまりにも国家に対する不忠であり、無責任であり、国権の乱用としか言いようがない。

 国家権力の長である各省の大臣を、党内勢力均衡の為に利用して、その大臣としての資質や、能力や、経験は全くゼロの視点で組閣されたと評したい。

各大臣自身もまた素人を自認して恥じない。そんな下劣な大臣も居るからあきれる。

また「市民在って国家なし」の市民運動と呼ぶ「国家権力に対立する思想」と運動の先頭に立って活動して来た人達が、そのままの姿勢で、全く反対の立場、即ち国家権力の最高実力者の地位である担当大臣に就いており、元のまま、正直に発言することは、国家権力そのものを破綻せしめることを意味する。

そのことは、日本国の破綻を狙う近隣諸国への内通につながることを特に警告する。

 危惧すべきことは、それ等の大臣が、陰に陽に、国家破綻への道を拓きつつ在ることである。その点では、鳩山、菅両内閣以上に警戒すべき野田首相の人事の配置である。

危機を抱えた日本

 日本国家の現状を省みれば、周辺には中国、朝鮮半島、ロシア等、ともすれば日本にとって危険な国々に取り巻かれている。それ等の国々は、日本周辺の海底に膨大な資源が埋蔵されていることに眼を付け、日本近海にしばしば盗掘の為の調査船を出没させている。

 加えて、国内に不満分子を拡大させつつある中国などは、国内の不満分子の眼を日本に向けさせている。既に「反日行動」は国際常識の則を越えつつある(反日有理)と称し。

 日本政府は独立国として、これ等の危機に対処すべきは当然すぎる国家的使命がある。

 だがそれ等の不法な行動に対して、日本国家としての「外交と防衛」については、独立国の政府として、最低の責務さえ放棄しているやに見えて仕方がない。

 菅直人前首相の「野垂れ死に」の後を受けて民主党としては、最後のチャンスとして野田佳彦の政権が、与党にとっては期待されている。

 野田新政権の人事について種々論じて来た。彼等に、多くを望むことは無理である。さりとて我々の内閣総理大臣である。政権の軽視は国家の恥であり、国民の不幸である。

野田政権が衆議院の解散総選挙を避けると言明しているならば、せめて残任期間、日本国家の直面している根本的な問題を解決をすべきである。

野田首相は、就任一ヶ月余、前任二人の首相と比べ、無難な組閣の人事を組んだだけではない。その言葉使いも、その態度も極めて紳士的である。だが、対内、対外に平穏無事が目的のみでは、日本国家は沈没する。

いざ内閣総理大臣として国運を拓く,実力の行使には、あまりにも不向きな各大臣とみる。それ等の各大臣達の閣内対立と反乱を承知で、大胆に総理大臣として泥をかぶる決意を、行動でもって示す責任がある。

日本にとって、本格的な野党であった民主党が、初めて政権の座に就いた。そして二年余の前政権の失政の尻拭いとして、後の無い政権であると野田首相は自覚している筈だ。

ならば、残る一年余を、無事平穏ではなく、自民党でさえ、言うべくして行ない得なかった、大胆な理想を実行して、捨て身で党としての命運を懸けたら如何か。

その第一は、憲法改正と防衛力の強化である。

自民党が五十年かけてもなお実現し得なかった、自主憲法の創設に踏み切り、その下で、独立国らしい、防衛力を充実して、周辺諸国から、尊敬される国体とすべきである。

その第二は、停滞せしめて来た「公共事業」を大々的にすすめ、内需を拡大すること、特に東日本の復興を、緊急に大胆に行なうべきである。

右の二点には、政府の通貨発行権を利用し、先ず「政府紙幣」を約百兆円程発行し、既に二十年に亘って削除し続けた防衛力を充実し、公共事業を大々的に発注して、日本経済をしてデフレを克服し反転させ、上昇発展の経済を実現すべきである。仕事も失業者もそのことを待ち望んでいる。千年に一度の危機だからこそ「打ち出の小槌」を利用する。

資産の裏付け無き通貨の価値は低下する。増税ではなく百兆円の「政府紙幣」の発行で、一ドル七十円台から百円台に下がるだろう、それで日本国家は困ると思うか。


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