_塚本三郎元民社党委員長小論集_ _当会支部最高顧問、塚本先生世評_

分岐点に立つ日本       平成二十一年六月上旬  塚本三郎

 「それ天下は悪に亡びず、愚に亡ぶ」。この言葉は、昭和の初め、仏教学者、田中智学師の説で、私は折々この言葉を引用させて頂いた。

 つい先月(四月)まで、小沢一郎氏率いる民主党は、秘書の逮捕と、小沢代表の政治資金使途の不明について、説明責任を果さず(否、説明出来ない悪)によって、代表は勿論のこと、民主党そのものの支持率は、続落した。党代表の支持率も、麻生首相に逆転され、このまま、小沢氏が代表として続投すれば、与野党政権の交代はむずかしいと予測されるに至った。さすが民主党は、小沢氏に対する世間の非難の声にたまりかねて、本人から辞任を言い出さざるを得なくなった。

 辞任表明から僅かの期間で、鳩山氏が代表と決定し、彼の下で新執行部の人事が決定した。鳩山氏の対抗者として岡田氏も代表選に出て、三日間、日本のメディアは、朝、昼、晩とひっきりなしに、両氏の政権への道と、政策を宣伝これ勤めた。

 これらを一般の宣伝費として計算すれば莫大な費用となるであろう。しかし、ことは次の内閣総理大臣となるべき人選であり、誇大に宣伝したから、国民の関心も盛り上がったことは当然である。

 五月十五日までの三日間、マスコミの報道は、日本の政党は、唯一、民主党がすべて、そして、総理大臣候補は、鳩山か、岡田か、焦点はこの二人のみのように扱った。

勿論、言い訳のため、他の政党と、その代表の感想は、「サシミノツマ」の如く扱われた。民主党の両代表の論は、すべて、来るべき衆議院選挙への、宣伝の絶好の機会と心得て、国民受けの政策と、理想を述べることに終始した。

 曰く、国民の為の政治、官僚政治の打破、無駄の節約、日本政界の大掃除、そして少子化対策から子育て支援等々、耳ざわりの良い発言が、国民の胸に、これでもか、これでもかと焼き付けた。そして、政策実現には財源が要る。それは政府の予算と共に、政府の外郭団体が使用する金は合計約二百兆円、その一〇%を節約すれば、二十兆円の無駄が省けると鳩山氏は答える。国民に負担を求める増税には一切手をふれない。

 従来の民主党は、政府与党に対する批判と攻撃に終始し、反対の為の反対が中心であったが、今回の民主党代表選挙は、与党を攻撃するよりも、我々が政権に就けばこうなると、国民受けする公約と宣伝に意を用いていた。

 あれから、一週間を経て、マスコミの世論調査では、政党の支持は再び大きく逆転し、首相としての資質も、政党の支持率も、民主党が一〇%以上自民党を引き離し上昇している。直接に政党幹部や、代表者に接する機会の少ない国民大衆は、ただただ、政党と政治家の資質は、報道の力点と、量が支配する、と言っても過言ではないと知らされた。

 民主党代表の小沢一郎氏が代表代行となり、鳩山由紀夫氏が代表となっただけで、一挙に支持率が変化したことに驚かざるを得ない。鳩山氏がそれ程に優れて期待のできる人物なのか。小沢氏がそれ程の不都合な政治家だったのか。而も小沢氏は代表代行の地位に止まっているではないか。国民の政党と政治家への支持が、そんなにあいまいに浮遊しているのかと、世論調査の結果をみて、政治の将来が更に心配となる。

国の基本と国民の負担を言わない

 代表選で掲げた民主党のマニフェストは、非難すべき事項は殆んど無い。良いことづくめである。しかし、政治家と政党の最大の任務を論じて居ないことが気にかかる。

その主な次の三点を指摘する。

㈠ 世界的大不況の中で、日本が直面している経済の大混乱を克服する方策について

㈡ 日本の安全保障政策と外交問題について

㈢ 東京裁判による歴史認識と、教育の歪みが、社会の混乱を招いている点について

 以上の三点については、民主党代表選の両者は、三日間の論戦では何も論じては居ない。取り上げないことは、無視しているとは思わないが、重視していないとみる。

 右三点は従来から民主党にとっては、踏み込み得ない傷であると指摘したい。

 民主党は、思想と政策について、右から左まで、その差の大きい人達が集まっている。世に云う「選挙の為の互助会」的集団である。これは失礼か?

 一つの政党で、経済についての、多少の考え方の相違は、自由な党として在っても良い。しかし、国家の基本である、外交、防衛、教育の相違は、同じ政党内では、在ってはならないことである。処が民主党は、余りにも大きな隔たりのある人達が、一つの党に居るから、これ等の根本問題には踏み込めない。議論を重ねることさえ恐れられている。一体これがまともな政党であろうか。今回の二人の代表選の発言が、その本質を露骨に示した。

国民に向って、甘言の積み重ねと、マスコミに迎合している間は、党が抱える傷は見られない。そして、賞味期限の切れつつある自民党への批判が許されるのは、野党暮しの間の、限定的発言としてのみならばわかる。

 処が、政権の交代をと言う立場の人達が、こんな有様では、一体国家はどうなるのか。

誠実で勇気ある鳩山新代表は、民主党が政権を担当したとき、我々が考えている安全保障の為の防衛力整備は、かく在るから安心して下さい、その背景の下で、自主独立の外交を行なって、日本の平和と伝統ある文化を、完全に守ります、と宣言して欲しい。

 日本を取り巻く状況は、国際テロだけではない。日本国家にとって、命綱として来た日米同盟の方向性に眼を閉じたままではいけない。

太平洋に向けて、軍事力の拡張を続ける中国の横暴、北朝鮮の拉致のみならず、ミサイルの発射、核実験の行使、更にロシアの北方領土への侵略と強奪等々は日本の危機だ。

自民党中心の戦後六十年間。施政の不信感に対し、民主党ならば、どう取り組むのか。自民党の方向性は間違っていないが、その力とスピード性が余りにも鈍い。しかし、民主党の大勢は、力とスピード性が鈍いというよりも、一八〇度反対を向いている。民主党が、右三点について、後向きなのは、党内事情と、野党なるがゆえに、厳しい現実に眼を伏せていても許された。しかし首相となれば国民と領土を死守する任がある。

天下分け目の時来る

 今後、半年以内に衆議院選挙となる。まさかその時期は、東京都議選とダブルことはあるまい。だから先送りされるだろう。これがマスコミの常識であった。

公明党が求める解散の時期の要請は、首相への、ダブリ回避の要望でもある。

 都議選で、自民と公明の与党同士の候補が、相争い闘っている最中に、公明党員が、他の地区の衆議院選で、自民党候補を応援することは難しいから、が理由のようだ。

 自民党の相当数の議員も同調気味。しかし、ここに来て首相の解散への選択肢は極く限られている。任期ぎりぎりの九月十日まで延ばせば、解散権を失ったも同然である。

 誇り高き出生時の自負をそのまま引き継いで、首相の座を得た麻生首相の心中を、私なりに次のように忖度すれば。

連立を組んだ公明党が、政府の言動に、折々存在価値を示すため細かい注文を付ける。

 気に障ることでも、参議院与党が少数ゆえ、衆議院で法案成立の条件である三分の二を維持する為に、止むを得ず、汚名を着ても、公明の要望を受け容れて来た。

 自民党の熱心な支持者は、本来、共産党と創価学会を好んでいない。その好まれない宗教団体と組むことで、本来の支持者は、心ならずも自民党離れを起しつつある。これを続ければ、公明党の支持を頼る議員の本体は、年と共に衰弱してゆく。

公明党は、小選挙区では当選し得る力は殆ど無い。比例区でこれを補っている。ゆえに全区に立候補する自民党の候補者は、組織力の強い創価学会票に期待する。

創価学会員は、その点を心得て、自民党支援に奔走してくれる。その代わり、比例区は公明党をと交換条件を出す。自民党候補は心ならずも、これに多く応じてしまう。結局、小選挙区で得た票は、比例区で公明党に返し、さしひきゼロになりはしないか。

全体として、得る票と失う票のどちらが有利なのか。否、それ以上に、国家の重大任務と、政党の尊厳を失いつつある自・公連立政権の現状を、どう認識しているのか。

敢えて、東京都議選と、衆議院選を重ねてでも、時局の重大性を大局的に判断して、衆議院解散を決断するかもしれない。麻生首相としての大きな決断と賭けである。  

自民党への不信・民主党への不安 

 政党への国民の支持率は、自民、民主の両党よりも「支持政党なし」が、第一位である。自民党への支持者であった保守主義者の「安定志向」は、絶望的である。

 今となっては、世界で類例の無い現状無視の憲法を抱えたまま、周辺各国の緊張が急迫していても、対処しようとはしない自民党。そして、米国との同盟を強固にするでもない。

とりわけ、集団的自衛権すら拒否し、逆に非核三原則にしがみつきながら、果して米国は核を使ってでも、日本を守ってくれるだろうか、と云う無責任な自民党と、その支持者。それが、よくも今日まで政権を担当させ、ことなきを得たものだ、と思う。

 だが、民主党が勝利した時を想定してみると、一層不安が募り、村山内閣を思い出す。

 安全保障と防衛については、直ちに一八〇度変質し認めたことは見事であった。しかし、僅かのに、「村山談話」なる、ワルサを行なって、世界中の物笑いとなっただけではなく、中国や、近隣諸国から、莫大な金額をユスリ取られ、今日なお、その悪癖は続いている。

 これに味をしめた全体主義国家は、ムキダシの牙をもって、周囲に荒波を起している。

 武力による侵略の意図は、より強固な防衛に依って対峙し、その愚かさを知らしめ、暴力を思い止まらせる体勢構築に、日本人もめざめつつある。

 日本人は、大自然の温かい懐に育てられた、恵まれた民族である。四季折々の気候の変化は、自然そのままに生きる道、即ち神と仏に育てて頂いた幸運の民族である。

 日本の指導者が、寸前の安穏に甘んじている今日、その実状を憂いて、日本の各地では、周囲の危険な軍事情勢に、警鐘を乱打する響きが、倫理、道徳、宗教と、あらゆる組織の中に、識者の叫びが湧き起こって来つつある。国乱れて忠臣出づ。仏法に言う「地涌の菩薩」の姿が現れつつある。

 国会が動かなければ、我々自身の手で日本を目覚めさせる、と全国の有志の叫びが、湧き起っている。

 その声を受け継ぐ任は、鳩山由紀夫か、麻生太郎か。