_塚本三郎元民社党委員長小論集_ _当会支部最高顧問、塚本先生世評_

百年に一度の難敵を迎えて    平成二十一年二月下旬  塚本三郎

 昭和時代、日本国民は敗戦の傷を背負っていながら、今にみておれと天皇を中心に、精一杯希望を持って働き続けた。

 平成時代、その努力がを結んで、経済の豊かさは、世界の頂点に近づきつつあり、外交的には、世界を「睥睨」して尊大にさえみえた。  

脅威と警戒したソ連は、崩壊してロシアと化して、武力的心配は消えつつあった。

大不況は敵か 

しかし、残念な事に安逸で貪欲と怠惰な風潮を許されなくなった。その理由は、日本を庇護してくれた米国の、実力が低下したことによる。

 米国経済の破綻は、それ自身が修復不可能と思われる程に困難である。八千百億ドル(七十五兆円)の米国政府の景気回復策は、ドルの乱発と下落に繋がる。

さらにまた最大のドル保有国の、中国と日本に協力を求めざるを得なくなっている。中国に副大統領を、日本に国務長官を派遣するオバマ大統領の魂胆は、単なる親日だけではなく、更なる経済支援を求める為に来日したと見られる。

中国の独裁政権はしたたかで、貯めたドルを利用して、米国を助けるふりをして対米外交に利用し、アジアのことには手を出すなと開き直るであろう。

中国は、国民の不満に由る暴発の危機を抱え、その捌け口を外に求めつつある。その捌け口の第一が日本である。

 中国を戒め、鎮静せしめるべき地位と任務は日本に在るはずだ。その任に堪え得る能力が在るのに、日本の政界は自覚しない、のみならず、暗々として迷い、一方で米国の顔色を眺めつつ、一方では中国の威圧の下に屈して恥じないではないか。

与党も野党も、権力の争奪に血道をあげている時ではない。

一体、日本に指導者は居なくなったのか。国会は何の為に開かれているのか。

経済的混乱が、津波の如く押し寄せている。この恐るべき大不況を、半年前に誰が予測出来たであろうか。世界に冠たる、名実共に具わった巨大企業でさえ、次の如き赤字決算を出している有様である。

三菱UFJと、みずほ銀行が 一兆円      

トヨタは〇九年三月期が 四千億円        

 パナソニックが 三千五百億円

 野村證券が 三千四百二十九億円

何れも「赤字決算」とマスコミは報じている。

それでもなお、日本の政界は目覚めようとはしない。

 見かねた、神・仏は、「日本よ目覚めよ」と、経済と防衛の両面から、百年に一度の大不況という「悪魔の姿」を顕し来襲したと見るべきである。

一九七〇年末、ジャパン・アズ・ナンバーワンと褒めてくれた、経済学者エズラ・ヴォーゲルの表言を思い出す。当時嬉しくて、日本人は心ときめいた一時期もあった。

文字通り、米国の国債とドルの保有も、当時の日本は断トツの世界一であった。

 それなのに日本企業は、百年に一度と呼ばれている大不況の渦に巻き込まれ、対処する時間的余裕さえ与えられず、急激に落ち込んでしまった。

世界のトップを自負する巨大企業にして、右の如き有様で、その落ち込みの原因は、どの国の誰なのかを問う前に、自分の企業を省み、内実を正す為の外敵、米国のサブプライムローンを、「天の配剤」と受け止め、禍を転じて福と為す決意を持つことが大切で、大不況こそ、あらゆる分野に現れる試練とみるべきである。

 

釈迦にも提婆が居た

 仏教の信者なるがゆえに、私は仏教経典のうち次の一説を思い出した。

かの提婆達多は決して敵ではない。私の「布教を妨害し、時には命まで狙った」悪い弟子であったが、私の心を試し、その力量を世間に示す為の、試金石の役を果している。  

仏となられた釈迦でさえも難敵が居た。人生の苦労は、すべて仇でも罰でもない。

難題をもちかける敵こそ、また仇こそ、自分の怠惰な心を戒め、身を浄めて対処せしめる為の仏の使いである。相手が悪いと思うな。

今日に当てはめて考えれば、不況が我々に不幸を招いたと愚痴を言うな。自分が不用心であり、慢心のゆえに、自分を戒めるために興った警鐘であると受け止めよう。

大不況こそ、本来の日本を

大恐慌に直面してこそ初めて、日本人本来の姿に立ち戻ることが沢山ある。

国家としては、経済的に更なる繁栄を望むことは当然である。しかし、それが為に日本人の住む国土を、余りにも軽視し、蔑ろに放置して来たのではないか。

この不況は、日本国家に対する、まさに提婆達多と呼ぶべき、難敵の経済状態である。

米国の傘の下の安逸から自立せよ。輸出に適した製造業一本槍ではなく、日本には、今一つ軽視した巨大な産業、即ち国土を守る、農業、林業、漁業、が放置されて在る。

食料の自給率が僅か四〇%を切ったと悲鳴を上げているのに、日本人の生命線であるお米の生産を制限している。その元凶が農地法ではないか。その為、田畑の一部は荒れ放題、山林は池田内閣当時、日本の八〇%を占める山こそ、治山、治水の根源として、檜と杉の苗をビッシリと植林して、国土のすべてが緑の森に成長している。それなのに、間伐が人手不足だと放置されて森林は荒れ放題、漁場は漁師の老齢化で漁場を守る若者が居らず、中国や韓国に乱獲されていても愚痴るだけ。日本人の生きる故郷は守られていない。

そこに住み、働く人が居てこそ、美しい日本人の魂が育つのだと知るべきだ。

今まで軽視し、放置して来たことに気付かしめる為の大不況ではなかったか。

私が畏敬する丹羽春喜氏は、熱心なケインズ経済学の信奉者である。丹羽氏は、不況にはまず公共事業を、その為には「政府紙幣」を発行せよと、懸命に説いておられる。

既に明治元年に新政府は、由利公正によって「太政官札」を発行した前例もある。

何の裏付けもない、明治新政府にとっては、これが新日本の船出の切り札であった。

日本の周辺には、外国人の往来の便を考えて、巨大な空港建設による航空機の離着陸空港を、そして、大型船舶の接岸出来る巨大な港湾の建設事業により、不況克服の公共事業を実施したらどうか。

今迄のような高い着地料金を改め、米国や韓国並みにすべきである(日本は建設費に似合う料金として、大型機はアメリカ、韓国の数倍の料金をとっている)。だから大型の外国機は日本を避けて、今までは、まず韓国への着陸が多かった。

また、日本特有の美しい自然の観光産業がある。例えば世界一の富士山が偉容を示している。過日、富士五湖を訪ねた。素晴らしい景観である。写真を撮ろうとしたが、どこも、電線が数本邪魔している、観光地の焦点は、電線を地下への移設が必須であると気付いた。

 富士山は登山者のマナーの悪さでゴミが散乱し、トイレも見当たらず、これでは世界遺産の仲間にも入れてもらえない。自国の素晴らしい大自然を大切にせず、遊び場として汚して良いものか。日本が誇る景観を大切に保護して、世界に観光日本を宣伝すべきだ。

観光地の各所は、何れも清浄化が第一と考える。

百年に一度の大勝負

不況で生産を続けたくとも、仕事がない。お金もない。急激な不況は、百年に一度の危機と言う。ならば百年に一度の思い切った対応が望まれる。

幸い、自民党の一部議員が「政府紙幣」と無利子国債(相続税減免措置付き)の発行を検討する「議員連盟」を立ち上げた。

最近、小泉元総理も竹中元金融担当相も、それを考えていたと伝えられた。今日の世界経済が超異常時であることを認めている。ならば与野党が、速やかに取り組み、実行に移すべきだ。

この発想は、今迄とは根本的に異なる。普通の国債は、国家の借金であり、やがて利息をつけて返済しなければならない。日本政府は既に、金額にして国民総生産の一年半分の国債を発行し、毎年、税収の中から、約四分の一はこの返済に充てている。否、返済の為に更に、その額以上の新規の国債を又発行せざるを得なくなっている。

今日、国民は約一千五百兆円の資金を持っている。その七〇%は高齢者とみられる。

戦中、戦後の厳しい時代を切り抜けて来た年配者が、お金を大切に節約し貯めて来た。老後に備え、また死後子供に対する相続税に備える、素晴らしい心掛けである。

ならばその資金を、この際、市中に活かすべきだとの声、即ち、無利子の国債を発行し、その国債保持者には、死後「相続税の減額或いは免除」を付けて売り、不況克服の一助にすべし、との考えである。賛成者は増えつつある。速やかに実行すべきだと思う。

不況となれば、生産過剰で製造設備も、労働力も余って来る。余った稼動力を休止すれば、持てる国力の損失である。時と共に、生産能力と実働とのギャップは拡大されつつある。そのデフレは、国家にとっては大きな損失である。

よってこの際「政府紙幣」を発行して、大々的に公共事業を行ってみるべきではないか。返済も利息も要らない紙幣は、「打ち出の小槌」として不合理であることは間違いない。

さればとて、お金が無いからと、国民の能力を放置して失業者の増大を招き、働きたい人達を遊ばせておくことは、更に政治としては大きな無駄となる。

世界中がドル安、ユーロ安で、日本だけが円高である。それが為に日本の対外貿易は大被害を受けている。日本の通貨「円」は信用力が高いから異常な円高となっている。

せめて悪性インフレにならない程度の「政府紙幣」の発行は、妥当であり百年に一度の大勝負である。

アメリカのドルは、「政府紙幣」そのものではないか、と言いたい。

政府は、明治維新をまねて、「平成維新」を達成すべきだ。赤字だ、失業だ、派遣切りだと叫んでいても、日本は良くならない。デフレギャップを穴埋めする為には、仕事を増やし、そのためにお金を創り、他の先進国並みの通貨と同等の価値まで「政府紙幣」を発行して、円高を食い止めよと提案する。それが日本国土を潤すのに役立つ。如何であろうか。