産経新聞「歴史に消えた唱歌」(6)─台湾編:「エキゾチック」に魅せられた巨匠

産経新聞「歴史に消えた唱歌」(6)─台湾編:「エキゾチック」に魅せられた巨匠
文化部編集委員 喜多 由浩
【産経新聞:2011年5月8日】
http://sankei.jp.msn.com/life/news/110508/art11050807370001-n1.htm

 2009(平成21)年公開の日本映画「トロッコ」(川口浩史監督)は芥川龍之介の同名短
編小説をモチーフに、舞台を台湾に変えて少年の冒険や家族の絆を描いた作品だ。舞台が
変わった理由は、台湾北東部の太平山中に、作品のイメージとピッタリのトロッコと線路
が残されていたからである。

 日本統治時代の台湾で、台車と呼ばれたトロッコは、人力による、簡便かつ重宝な人貨
兼用の交通手段であった。

 1934(昭和9)〜35年に台湾総督府が発行した「公学校唱歌」集(第二期)第3学年用に
収録されている台湾独自の唱歌『だいしゃ(台車)』(山本奈良男作詞、作曲者不詳)は、
山や畑の中を軽快に突っ走るトロッコの姿を描いた作品で、当時の子供たちに人気のあっ
た歌のひとつだ。

 昭和初期に台中の清水公学校(小学校に相当)に通った“老台北(ラオ・タイペイ)”
こと蔡焜燦(83)は、「よく歌いましたね。『ごう、ごうだいしゃ(台車)、走るよ だ
いしゃ…』(3番の歌詞)。いまでも覚えていますよ」。

■警察官が先住民の教師役

 台北の師範学校を出て、台湾中東部の花蓮で小学校教師を務めた喜久四郎(きくしろう)
(86)は、映画「トロッコ」が撮影された台湾北東部の山中の出身である。

 喜久の父や長兄は、台湾の先住民が住む地域の警察官(山の巡査と呼ばれた)をしてお
り、喜久が生まれた場所は、最後のバス停から歩いてなお2晩もかかるような山奥であった。

 日本はこうした秘境にまで道を開き、トロッコを走らせ、さらには先住民のための学校
(教育所)を建てた。そこで治安維持とともに日本語をはじめとする教育を行うのもまた、
地域の警察官の仕事である。教育所で教える教科は、国語(日本語)、算術、修身、唱歌
など。家事・裁縫を教えるのは警察官の奥さんの役目だった。

 教育所で当時、日本語の五十音を覚える歌として使われたのが『アイウエオの歌』であ
る。作詞・作曲は一般の台湾人が通う公学校の教師を務めていた劉元孝。数え歌風の、こ
の教材は公学校でもよく使われた。

 喜久が通った太平山小学校は自宅からさらに約25キロ離れた海抜1900メートル近い高地
にある。主に、太平山の原生林を伐採する林業従事者の子弟のために作られた学校だった。

 通学ができないため、寄宿舎生活を送っていた喜久は「夏休みなど年に3度程度、自宅
に帰れるときが何よりもうれしかった。寂しいときは寄宿舎にあった蓄音機やラジオで、
好きな歌を聞いて紛らわせたものですよ」。

 台湾人も足を踏み入れない山奥で、先住民統治や教育の最前線に立たされた警察官の苦
労は並大抵のものではなかったろう。特に台湾領有当初は先住民の統治に、たびたび手を
焼き、襲撃されて命を落とした警察官も少なくない。

 「“陸の孤島”のような場所でしてね。私の時代(昭和初期)にはかなり平穏になって
いましたが、父が出かけるときは武装していましたし、いざというときに私たち子供が隠
れる場所も決めてありました。危険と隣り合わせの仕事で、道のあちこちに『(警察官)
殉職の碑』が立っていたものです」。これもまた喜久の回想である。

■白秋が感動した光景

 一方で台湾を訪れた日本人には、先住民の風俗がエキゾチックな魅力に映ったようだ。
著名人も例外ではない。童謡『ペタコ』を作った詩人の野口雨情と作曲家の中山晋平が
1927(昭和2)年に台湾を訪問したときには、阿里山(ありさん)で先住民の集落を訪ね、
晋平は土産に、と彼らの刀や衣装まで買って帰っている。

 また、童謡ではないが、先住民の少女と日本人巡査の悲恋の実話を題材にした歌謡曲
『サヨンの鐘』(西条八十(やそ)作詞、古賀政男作曲)は、歌手の渡辺はま子が歌って
大ヒット。李香蘭主演で映画化もされた。当時、台湾に住んでいた日本人には、今も記憶
に残る歌になっている。

 詩人で多くの童謡を書いた北原白秋もまた、先住民の風俗に関心をもったひとりだ。

 1934(同9)年6月から8月にかけて、白秋は1カ月以上にわたって台湾を旅行している。
台湾総督府と台湾教育会の招きによるもので、内台融和と国語普及を歌謡によって達成す
るのが目的だった。

 当時49歳の白秋は台湾訪問を熱望していたらしく、自著にこう記している。「私は勇躍
した。かねての華麗島(台湾)巡歴の希望が実現することについて時にとっての幸であっ
た」。台湾・基隆から、台北、台中、阿里山、高雄、花蓮…と、ほとんど台湾全島を一巡
し、先住民が住む地域もたびたび訪れた。先住民の子供たちが、白秋の書いた童謡を歌っ
たり、踊ったりしてみせたことがとりわけ印象に残っていたようで、「感懐は今思うに、
悲喜交々である」と書き残している。

 そして、白秋は先住民が多く住む台湾南部の「三(山)地門郷」の光景に感動し、童謡
『サンテイモン』を書く。

 「ビンロウ(南国で見られるヤシ科の植物)」など、当地の自然や風俗が盛り込まれた
『サンテイモン』は台湾から帰国後の同年12月発行の児童雑誌「コドモノクニ」で発表さ
れている。そして、童謡「春よこい」「鯉のぼり」などで知られる作曲家の弘田龍太郎
(1892〜1952年)が曲をつけ、レコードになった。後に、台湾語にも翻訳されている。

 また、白秋の作品は、『だいしゃ』が収録されている台湾総督府発行の「公学校唱歌」
集(第二期)にもある。第4学年用に掲載されている『南の風』(白秋による原題は「南の
風に」)だ。

 柑橘(かんきつ)類の「ざぼん」をテーマにし、1921(大正10)年に発表されたこの歌
(作曲は草川信)は、「北原白秋生家・記念館」(福岡県柳川市)によれば、「白秋自身
が書き残しているように、白秋の母の郷里である肥後(熊本県)のざぼんを歌ったもの
だ」という。

 面白いことに台湾ではこの歌を「台湾の風景を歌ったもの」と誤解している向きがある。
実際に、南国の光景を歌った歌詞は台湾の子供たちにも親しまれ、太平山小学校に通った
喜久四郎も「ラジオでよく聞いていた」と懐かしそうだ。

 もとより、九州(熊本)は日本の「南国」である。台湾の光景と似ていても不思議では
ない。白秋も台湾を訪問し、台北駅に着いたとき、記者団に「台湾の印象」を聞かれて、
こう答えている。

 「九州ですよ」

 その共通項が、「南の風」を日本と台湾の双方で、長く歌い継がれる歌にさせたのかも
しれない。=敬称略(文化部編集委員 喜多由浩)
                   ◇
【プロフィル】北原白秋
きたはら・はくしゅう 1885(明治18)年福岡・柳川の旧家に生まれる。早稲田大学に入
学し、詩作に励み、処女詩集「邪宗門」を発表。詩、童謡、新民謡などで多くの名作を残
した。主な作詞は「ゆりかごのうた」「からたちの花」「ペチカ」など。1942(昭和17)
年57歳で死去。

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