尖閣問題−その領有をめぐる日台論争のポイント

尖閣問題−その領有をめぐる日台論争のポイント
平成8年の林金茎前駐日代表と徳田教之名誉教授の論争?

 3月末に中国の活動家らが尖閣諸島の魚釣島に上陸して逮捕され、また、4月中旬になって台湾が同島の土地登記をしていたことが発覚し、尖閣諸島を巡っては平成8年(1996年)10月の上陸騒ぎ以来の大きな動きとなりました。
 尖閣諸島は現在、歴史的にも国際法上からも日本固有の領土であると認められていますが、昭和46年(1971年)に中国と台湾がその領有を主張しはじめて以来、特に中国側の領海、領土侵犯がエスカレートし、遂には「古来中国固有の領土」とまで主張するに至っています。
 台湾側は李登輝氏が総統だったことで、平成8年の時も大事に至りませんでしたが、この時、国際法の専門家で、台北駐日経済文化代表処代表を退任直後の林金茎氏と、現代中国政治史を専門とする筑波大学名誉教授の徳田教之氏が、産経新聞紙上で往復2回にわたって論争するという一幕がありました(?9月14日、林氏 ?9月18日、徳田氏 ?10月1日、林氏 ?10月8日、徳田氏)。この論争には、尖閣諸島領有に対する相違ポイントが明瞭に表れています。
台湾と長く深い交流関係を有する日本と、世界一の親日国といわれる台湾との間に、尖閣諸島を巡る領土主権の争いの種があることはけっして好ましいことではありません。
 そこで、2006年には新憲法制定を予定する台湾です。新憲法には領土の確定を含むかもしれませんので、この問題が速やかに解決され、日台がわだかまりなくさらに豊かな交流ができることを願い、ここに林金茎氏と徳田教之氏の論争を掲載いたします。
 因みに、予断を与えるつもりはないのですが、李登輝前台湾総統は昨年11月25日、台湾海洋大学で行った「台湾人は台湾史を知らなくてはならない」と題した講演で、学生の質問に「日本のご機嫌をとるわけではないが、釣魚台の領有をめぐる争いは1971年、その海域で豊富な石油埋蔵が判明してから。それ以前に争いはなかった」と答え、尖閣諸島が日本領であるとの認識を示されています。
 尚、この講演では「台湾史は外来支配者によって勝手に書き換えられ、そのため一部空白も出ている」と強調し、中国人化を目指した中国国民党時代の歪んだ歴史教育が台湾人のアイデンティティ混乱の原因であることも指摘されています。
では、論争を掲載時のままご紹介しますが、いささか長文ですので、今号と次号の2回にわたって掲載いたします。また、漢数字は算用数字に変えてあります。                                  (編集部)

(1)「尖閣問題」台湾の林前駐日代表に聞く
   【平成8年9月14日付「産経新聞」】

【台北13日=山本秀也】台湾の林金茎・前駐日代表は日本、中国、台湾を巻き込んだ尖閣諸島(台湾名・釣魚台)の領有権争いについて産経新聞とのインタビューに応じ、尖閣諸島の台湾領有を強く主張する一方、「主権問題を棚上げして共同開発を進めることが、日台関係の維持になにより大切だ」と訴えた。インタビューの主な内容は次の通り。

■争いより共同開発を 日本の動きに相次ぐ誤解
 小さな火花が野を焼き尽くすこともある。日台関係のうえで(尖閣問題をめぐる)台湾側の抗議を決して軽く見てはならない。日本に抗議している主な勢力は?釣魚台(尖閣)を守れという伝統的な運動?漁民?台湾当局−だ。?と?が手を結ぶと手ごわい。
 ?は新党(中国大陸出身者系の右派野党)などが中心で、日本軍国主義批判を掲げ、中国にも合流を呼びかけている。?の漁民は、日本が排他的経済水域を設けることで、高雄(台湾南部)あたりまで日本の海になると心配している。
 日本が誤解を受け、損をしている面もある。海上保安庁による警備が、台湾では「軍隊を出した」と思われている。右派団体の灯台再建に日本政府は「関係していない」と言っても台湾ではだれも信じない。
 領有権問題で日本側の主張の柱には3つあるようだ
 1つには「無人の土地を先に見つけた」という主張だ。しかし、1895年の日本領編入当時すでに清国の土地だった。[占有」に必要な周辺国への通知がなかったほか、官報への掲載もやめている。
 2つ目は、70年余にわたり、(歴代中国政権である)清国、中華民国、中華人民共和国のいずれも抗議しなかったという点だが、編入の通知がないうえ、台湾自体が日本領となったことで抗議の機会がなかった。米国が(尖閣の)施政権を沖縄とともに日本に引き渡すとした1971年には、外交部(外務省)が声明で抗議している。
 ≪台湾は日本の主権範囲に言及したポツダム宣言などを根拠に沖縄県の本土復帰 そのものを公式には認めていない。復帰を前にした71年の外交部303号声明は「琉 球群島の将来の地位は未定」としている≫
 日本の主張の3つ目は台湾の国防研究院の地図に「尖閣諸島」と日本名で書かれているという話だ。これは研究を怠ったためのささいな誤りにすぎない。
 われわれは釣魚台が歴史的に(台湾を含む広い意味での)中国固有の領土であり、地理的には台湾に付属するものと主張する。
 領有権問題の解決方法は、第三国の調停▽国際司法裁判所への提訴▽戦争−などだ。だが、司法提訴は台湾が国連メンバーでないため難しい。戦争は、むろん準備などしていない。調停なら関係国である米国ではないか。
 いずれにせよ、このために日台間の友好関係を絶対に壊すべきではない。
 そもそも国連海洋法条約121条3項は「人間の居住または独自の経済的生活を維持することのできない岩は、排他的経済水域または大陸棚を有しない」としている。当面、主権問題は棚上げして将来の解決に任せ、いっしょに漁業を営むなど共同開発を進めることが大切ではないか。
 香港での激しい対日抗議には、中共(中国)の介在を信じて疑わない。この間題を口実にして紛糾の原因を作ろうとしているようだ。
       ◇
 林金茎氏は通算約30年間の在日勤務を経た日本通。「戦後の日華関係と国際法」など尖閣問題に触れた著作がある。法学博士。現在は台湾の対日機関・亜東関係協会理事など。

(2)「尖閣問題」林金茎博士に反論 徳田教之・筑波大名誉教授
   【平成8年9月18日付「産経新聞」】

 尖閣諸島(中国名・釣魚島)の領有権問題をめぐって徳田教之・筑波大学名誉教授が17日、今月14日付本紙に掲載された台湾の林金茎・前駐代表の主張に対して反論を寄せた。

■清国領だった証拠示していない 中華帝国の観念と国際法が衝突
 領土紛争において国民とか民族の聞に、対話が可能であるのか否かは、答えるに難しい問いである。中国、特に台湾では、この尖閣諸島紛争は大衆化されて、政治的に自己運動に入っている。紛争の原点に返って、冷静に議論し合うなどという段階は、とっくに過ぎているのだろうか。
 しかし、日本では、勝沼智一氏、奥原敏雄氏、尾崎重義氏らの国際法学者による尖閣諸島問題の優れた研究が、1972年以来残されたし、尾崎教授は昨年には「尖閣諸島の国際法上の地位」についての精緻(せいち)を極めた実証的研究を発表している。これらによって、この問題の国際法的側面の全体像は浮かび上がった。
 一方、「尖閣問題」についての林金茎博士の主張に見られるように、中国人の側には、日本人の研究成果とは全面的に対立する議論が、頑として存在することも現実である。そこで、これを機会に率直な疑問を提出してみたい。
 林博士は、日本側の主張の「3つの柱」を批判しているので、それについて私の意見を手短に述べたい。
 第1は、林博士は尖閣諸島が、「1895年の日本領編入当時すでに清国の土地だった」という。この主張が、領土紛争の出発点である。しかし、これまで中国側の論者は、日本が「無主地」を「先占」した手続きにある種の瑕疵(かし)ありというだけで、清国領であったという国際法に対応した証拠と典拠を、全くと言ってよいほど提出していない。
 上記の日本の学者たちは、それぞれ明、清時代、日本の膨大な史料を検証した後、国家の領有意思と実効的占有の有無から見て、「尖閣諸島は中国の領土ではなかった」と一様に結論する。
 林博士は、自著の『戦後の日華関係と国際法』の中では、「尖閣諸島を琉球領としていないことは、当時の中国人の意識では、当然中国領であることを前提としている。当時の清朝は、国際法で尖閣列島を律するほど近代的ではなかった」と書いている。
 第2は、1970年までの75年間にわたって、この問題で歴代中国政府がいずれも抗議しなかったのは、「編入の通知がないうえ、台湾自体が日本領となったことで、抗議の機会がなかった」からだという。しかし編入の通知がないとしても、1920年に長崎駐在中華民国領事は「『日本帝国』沖縄県八重山郡尖閣列島内和洋島(釣魚島)」と明記した文章を作成している。
 また、戦後の1954年台北で出版された宋漱石著『琉球帰属問題』では「尖島群島」(尖閣の漁民名)を琉球の「南部群島」の一部であるとしている。
 さらに明確なのは、1956年1月台北出版の内政部審定『中華民国行政区画及土地人口統計表』の付録に、失われた中国の版図の1つとして「琉球群島島嶼分布表」が掲載されているが、この中に尖閣諸島の5島の名が明記されている。しかもそれに付された解説は、尖閣諸島だけの「祖国復帰」には触れていない。
 第3は、尖閣諸島が「地理的には台湾に付属する」という。これが国際法の脈絡で何を指すのかはっきりしないが、台湾省の「方位」(東西南北の範囲)は中華民国政府によって明確に定義されてきた。それは明治政府の行政区画を踏襲したものだった。『台湾省通誌』(1980年再版)によると、台湾省の北限は「基隆市彭佳嶼北端」である。
 また、上記学者の説によると、これらの北端の彭佳、花瓶、綿花の三島嶼は、清朝時代を通じて中国の行政範囲には入っていなかった。これが、台湾の行政範囲に編入されたのは、明治30年代である。それより、はるかかなたの絶海の無人の島と岩礁郡を、「台湾に付属」するのはあり得ない話であるし、行政的証拠もない。
 要するに、これらの議論を見ると、四百数十年前にさかのぼる観念としての中華帝国の版図と現代の国際法的秩序が摩擦を起こしているだけのことである。
       ◇
とくだ・のりゆき 平成国際大学教授、筑波大学名誉教授。専攻は現代中国政治史、昨年5月から今年2月まで台湾の国立中山大学客員教授。
                              (次号に続く)

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