台湾「新型コロナ対応」の底流にあった「後藤新平」の公衆衛生理念  野嶋 剛(ジャーナリスト)

台湾「新型コロナ対応」の底流にあった「後藤新平」の公衆衛生理念  野嶋 剛(ジャーナリスト)

【新潮社フォーサイト:2020年7月29日】https://www.fsight.jp/articles/-/47147

「国家は健康体であれ──」

「国務即ち広義の衛生なり」

 今から1世紀ほど前、そんな理念を掲げて、日本と台湾で伝染病の撲滅と公衆衛生の改善に辣腕を振るった大政治家がいた。明治・大正期に活躍した後藤新平(1857〜1929)である。

 後藤の功績を受け継いだ日本と台湾は、戦後も世界的に高いレベルの衛生環境を維持してきたが、今回の新型コロナウイルス問題の対応で、はっきりと明暗が分かれる形になった。その理由はどこにあるのか。

 世界最高水準の抑え込みを見せた台湾は、いまなお感染者数が500人に達しておらず、死者も7人に留まっている。一方、日本は台湾の総感染者に等しい数字を、連日、たった1日で記録している残念な状況だ。単純な比較は禁物とはいえ、その違いがあまりに大きいことに異論を挟む余地はない。

 その台湾の優れたコロナ対策については、7月2日に刊行した拙著『なぜ台湾は新型コロナウイルスを防げたのか』(扶桑社新書)で詳細に取り上げているが、そのなかで注目すべき1つの視点として提起したのが、後藤の存在とその継承という問題だ。

◆後藤の理念を受け継いだのは台湾だった? 

 ドイツ留学によって欧米から最先端の公衆衛生思想とノウハウを持ち込んだ後藤の理念を受け継いでいたのは、実は、祖国日本ではなく、台湾であったのではないかという声が、昨今の日台の間でひそかに広がっている。

 台湾は日本統治時代初期にコレラやチフスなどの伝染病が蔓延する「瘴癘(しょうれい)の島」と呼ばれた。そこに、1898年に民政長官として赴任した後藤が、衛生環境を大幅に改善し、インフラや農業の整備まで行い、最終的には台湾経済の活性化まで果たした。

 現在の台湾の人々は、過去の「疫病の島」という「汚名」についてよく知っており、今回、新型コロナ対策が世界各国から高く評価され、完全に汚名を雪いで「防疫の島」として認められたことを、心から誇りに感じている。

 いくら「ウィズ・コロナ」「コロナとの共生」などと叫んだところで、新型コロナは、ワクチンも特効薬も未整備で、現在のところ、対症療法しか対処法がなく、症状や後遺症にもまだ謎が多い。こんな状況下では、感染の拡大局面をある程度コントロール下に置かないと、経済活動や社会活動の復旧は、常に流行の再来を招くことを恐れながら進めざるを得ない。

 今回の日本のように、せっかくの景気刺激策である「Go Toキャンペーン」も、感染抑制がない中では、東京除外などのケチがついて迷走してしまうことになる。

 経済は確かに大切だ。コロナ不況が長引けば自殺者も増えるかもしれない。しかし、「経済か衛生か」という二者択一の問題の立て方自体が間違っているというのが、後藤が当時から考えていたことであった。

 後藤は、経済より衛生が先だと100%確信し、こう記している。

「世の中において、資本金を守るということを考えた場合、最も衛生が必要大切であり、衛生法以外に資本を保護する方法はないのであります」

 日本では、経済も五輪も衛生も、という方式で今回の新型コロナ対策に臨んだが、後藤は「衛生なくして経済なし」という考えに立ち、まずは衛生問題を徹底的に解決することで、経済は自然に後からついてくる、という考えだったのだ。

◆医師としての国家観 

 のちに満鉄総裁、東京市長、帝都復興院初代総裁など、近代日本の都市建設をリードした後藤の原点は、当時最先端のドイツで公衆衛生学を学んだ医師としての国家観にあった。

 それは、「国家は健康体であってこそ初めて能力を発揮できる」というもので、後藤は「国務即ち広義の衛生なり」とまで述べている。

 公衆衛生学には、人々の生命や生活を「衛る」という意味があり、それが「衛生」という言葉の語源だ。病気を治療する医療もその中に含みながら、より大きな社会=公衆を相手にするところに、その特色はある。つまり、公衆衛生は医療に社会政策的配慮を加えたもので、統計学、心理学、人口学なども含まれる。

後藤の思想の根本にあるのは、国家も適者生存の原理のなかに生きており、「病気」がはびこる国家は生き残りができないというソーシャル・ダーウィニズムだ。

 若き日にドイツで学んだ後藤は、日本の内務省内に発足した衛生局に勤務するかたわら、『国家衛生原理』という名著を残した。その最大のポイントは、人間の幸福とは、健康で安心した暮らし、つまり「生理的円満」の実現にあり、そのために国家は存在している、という概念を提示したところにある。

 これは今日の日本国憲法25条の、

「すべて国民は、健康で文化的な最低限度の生活を営む権利を有する。国は、すべての生活部面について、社会福祉、社会保障及び公衆衛生の向上及び増進に努めなければならない」

 という条文にも通じるものだ。

 後藤は、この国家衛生原理の概念をもとに、台湾の大改革に取り組んだ。

 そのメニューは多岐にわたっているが、日本の習慣である「大掃除」を台湾に取り入れるため、大清潔法施行規則を定めて春秋2回の大掃除を住民に求めるというユニークなものもあった。

◆後藤がスカウトした人材

 後藤の特徴は、さまざまな人材を日本からスカウトして台湾の社会改革に大胆な手を打ち続けたことだ。後藤は医師免許を持った公衆衛生の専門家であるが、民政長官という立場上、現場は信頼できる専門家に任せる必要があったからだ。

 伝染病の撲滅では、台湾総督府医院長を任せた医学博士の羽鳥重郎(はとり・じゅうろう)が、台湾ツツガムシ病の発見などで活躍した。

 新渡戸稲造は、台湾の主力農産品となるサトウキビの本格導入など台湾農業の改善に任じられた。

 後藤は日本に先んじて下水道を台湾に導入しているが、その下水道整備で活躍したのは、のちに「台湾水道の父」と呼ばれた浜野弥四郎(はまの・やしろう)という若手の土木建築者だった。

 新渡戸や羽鳥、浜野などの人材は、いずれも後藤の指揮の下、台湾の大改造プロジェクトで活躍した。それは、社会インフラを整えることが広義の衛生環境改善に通じると固く信じていた後藤の判断によるものだった。

 結果として、台湾は、日本本土の地方などをしのぐ経済力と豊かさ、そして優れた衛生環境を手にすることになった。

 戦後、日本にかわって台湾を統治した国民党が、1946〜47年ごろに台湾民衆から強い批判を受けて各地で騒動が相次ぎ、大規模蜂起である2・28事件を引き起こしたのは、衛生政策の不在で日本時代に抑え込んでいたコレラやチフスが台湾で再度流行していたからだという指摘もある。

◆「仏系防疫」と揶揄される日本

 台湾人にとって衛生は、それほど大切なことであり、衛生状態の良さにこそ台湾人が日本を尊敬する大きな理由があっただけに、今回の日本のもたつきは、「仏系防疫(ホトケ防疫=厳しさの欠けていることの意味)」と台湾の人々に揶揄され、首をひねられる事態にもなっている。

 今回、台湾政府が素早い対中遮断を含めた水際阻止に加えて、濃厚接触者や感染者の追跡などのいわゆる疫学的調査などを極めてしっかり行ったことが、市中に感染が広がらない最大の要因であったことは間違いない。

 だが、それはある意味で、国家が国民の行動を把握し、移動を制限するなどの「強権」を使うことを意味している。

 台湾の優れた点は、そのコロナ対策の実情をすべて、国民に対して透明性のある情報公開と連日の長時間の記者会見で曝け出したこと、そして、国民が必要とするマスクの確保に国を挙げて取り組んで自主生産体制を整えるなどして、国民が可能な限り通常の社会生活を営めることを政策目標にしたことだった。

 こうした国家の総力を動員した感染症対策は、後藤が台湾社会全体を「健康体」に向けて作り替えていった総合的な衛生政策を彷彿とさせた。

 後藤は台湾の恩人、そして日本統治時代の貢献を象徴する人物として広く知られているが、後藤の公衆衛生理念が今の台湾で直接的に教えられているわけではない。

 ただ、「衛生は命の次に大事」という理念が後藤の時代より定着している台湾社会が今回、国民一体となってコロナ防衛に取り組んだ事実は、後藤の遺産の継承という意味でも、日本人に自省をうながす材料になるはずだ。

※この記事はメルマガ「日台共栄」のバックナンバーです。

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