マニラ市街戦から受け継ぐ絆のバトン(上)  渡邊 崇之

マニラ市街戦から受け継ぐ絆のバトン(上)  渡邊 崇之
廣枝音右衞門にみる、遵法精神を超えた博愛精神

◆今度は俺がこの土を劉維添氏のもとに届けたい

「イントラムロスの中に、大きな教会が一つ。そう、サンオークスティン教会があるでし
ょう。そこを背にすると、左手に城壁があるから、その城壁伝いに真直ぐ150から200メー
トルほど行って下さい。その城壁から数メートル離れたところに壕があったんです。そこ
です。そこで廣枝警部が自決なさったんです」

 携帯電話から聞こえる劉維添氏の声を頼りに、マニラ市内の古城イントラムロスをさま
よう。60数年経っても劉氏の記憶はあたかも昨日のことであるかのように、確かな場所を
指示している。

 それは痛いほど分かっているのだが、如何せん、舗道や建築物の構造は当時と比べ、余
りに変わってしまっている。ようやく辿り着いた場所は舗装され、露天が並んでいた。幸
い城壁の側、数メートルだけは舗装されずに土がむき出しになっていた。突如土を掘り出
した日本人に、城壁の上からマニラホテルのライトアップを楽しんでいたフィリピン人カ
ップルが反転し、物怪顔でこちらに視線を向けて来る。

「今度は俺がこの土を劉維添氏のもとに届けたい」

 その一心だった。ようやくかき集めた硬い黒茶色の土を手に目を閉じ、この地で起きた
半世紀以上も前の激戦に思いを馳せた。

◆生けるところまで行け

 1945年2月23日午後3時頃だった。

「お前達は台湾から来た者だ。家には妻子父母兄弟が待っているだろう。連れて帰れない
のが残念だが、お前達だけでも、生けるところまで行け。俺は日本人だから責任はこの隊
長が持つ」

 台湾人日本兵の海軍巡査隊約500名を率いてマニラの守備に着き、海軍陸戦隊としてマニ
ラ市街戦を戦った廣枝音右衛門大隊長が最後に遺した言葉である。この言葉を最後に、廣
枝氏は壕の中で拳銃二発、頭部を撃ち抜き自決したのだった。劉維添氏を含む台湾人日本
兵達はこの数時間後、米軍に投降することとなる。

 劉維添氏の実戦体験を基にして、マニラ市街戦の経緯を記してみたい。

 1945年1月9日、リンガエン湾から上陸した米軍は徐々に南下し、先鋒隊がマニラに到着
したのは同年2月3日夕刻のことだった。当時、廣枝隊はマニラ市内のガス会社の警備に当
たっていたが、米軍先鋒隊到着の500メートルと離れぬ近距離にあった。すぐに一隊は艦隊
司令部のある農務省ビルへ移動を開始する。普段歩けば15分程度の道のりを、敵に気付か
れぬよう2時間かけて迂回した。

 マニラに対する陸・海軍の認識は相反していた。陸軍はマニラ市を放棄してオープンシ
ティーにし、山奥での徹底抗戦を主張したのに対し、海軍は強硬に反対した。結果、日本
軍は海軍陸戦隊を中心とした戦力となる。陸軍が撤退した後、2月10日頃から米軍は街中に
火を放ち、マニラ市は火の海と化した。家という家が焼け落ち、橋も全て焼け落ちた。結
局、マニラ市街戦が終局するまでの約2週間、この大火は消えることなく、当時、美しい近
代都市の様相を呈していたマニラの全てを焼き尽くされた。

 2月12日からは無差別砲撃が始まった。隊員たちは迫撃砲など実戦を経験するのは初めて
で、最初は右往左往するばかり。この右往左往している時期が一番危ない。距離感や着弾
時間が全く分からぬため、多くの死傷者が出た。

 農務省ビルは逃げ場がないほどの迫撃砲を受け、小隊長であった劉維添氏の隊員達も4名
が重傷、劉氏自身も小指に軽傷を負った。劉氏はすぐに砲弾をくぐり抜け、100メートルほ
ど先にいた廣枝大隊長に報告をしに行った。廣枝氏はすぐさま重傷者のところに駆けつけ、
次々と抱き寄せては大声で名前を呼び、目には涙をためながら、励まし続けた。

 廣枝氏は迫撃砲弾が降り続く中、危険を顧みず、5キロも離れた病院へ重傷者達を自ら護
送した。しかし、この重傷者たちは結局帰らぬ人となった。

 艦隊司令部もいよいよ陥落の危機となり、2月中旬には農務省ビルの目の前にあるルネタ
(リサール)公園を越え向かいのイントラムロスへ全軍が終結することになった

 夜中、敵の目をかいくぐるように、広いルネタ(リサール)公園を匍匐(ほふく)前進
で移動する。頭上には機銃弾のヒューヒューと言う音が鳴っている。

 やっとの思いで、イントラムロスの城内に入場すると、所持していた歩兵銃は取り上げ
られ、代わりに棒地雷と円錐弾を支給された。棒地雷とは1メートルほどの竹槍に地雷をく
くりつけたもの、円錐弾は約2メートルの棒の先に直径20センチメートルの円錐型の爆薬が
取り付けられたものだ。どちらも戦車に体当たりするための兵器である。海軍陸戦隊はこ
の時期になって特攻隊として、突撃命令が下されたのである。

 それから、連夜のように一個小隊30〜40人、将兵は日本刀、一般兵は竹槍で突撃して行
った。白昼に10数名で突撃して行った部隊もあった。勿論、帰って来る者は一人もいない。
すぐに城外の公園は死体の山と化した。

 廣枝隊にも突撃命令が下りていた。しかし、廣枝氏は隊員に突撃の命を下さなかった。
台湾人を部下に持つ廣枝氏は他の部隊長とは異なる使命感を持っていたのだろう。軍人と
して、日本人としての道を全うしつつ、台湾人の部下をどう無事に帰してやれるのか。自
らの力ではどうにもならない戦局。普段から口数の少なかった廣枝氏はこれを機に一層無
口になって行った。

 2月20日になると、米軍の日本語による投降勧告がなされるようになった。その時点では、
すでにイントラムロス城内に米兵が入り込むようになり、敵か味方かも区別が付かない状
態になっていた。日本兵は防空壕の中に身を潜め、出合頭に捨て身で切り込むという戦法
だった。近い時には敵の話声まで聞こえる位で、30メートルも無い距離に相対していたこ
ともあった。

 2月23日午後1時頃、「敵だ!」という声で、廣枝隊はとっさに左右に分かれた。劉氏は8
名の隊員とともに右へ、廣枝氏はその他の部下とともに左へと二手に分かれた。劉氏が廣
枝氏を目にするのはこの時が最後となる。

 壕に入った廣枝氏はいよいよこれまでだと観念したのだろう。同じ壕にいた部下の楊坤
芳氏に自分の軍刀を託し、冒頭の言葉を遺言にして、見事な自決を遂げる。廣枝音右衛門
氏、享年40歳。

 廣枝氏と別れた劉小隊長一隊は、その数時間後に城壁の向こうから福建語らしい言葉で
投降を呼びかける声を聞くことになる。客家出身の劉氏は福建語を流暢には話せないもの
の、大体のことは聞き取ることができる。しかし、福建出身の者にはゲリラも多く、最初
はゲリラの罠だと警戒していた。

 だが耳を澄ませると、どうやら台湾人の話す福建語らしい。当初、劉氏は仲間に自決を
呼びかけたが、先に投降した台湾人日本兵による呼びかけもあり、投降後も身の安全が確
保される望みを感じ、意を決して投降することになる。直接、廣枝氏の遺言は聞かないま
でも、普段からその気持ちは隊員達も十分汲み取っていた。両手を挙げ思いっきりこう叫
んだ

「わーしーたいわんらん(福建語で「私は台湾人だ」という意味)!」

 こうして、劉小隊長以下台湾人日本兵達の戦闘は終わった。

◆劉維添氏が否定する2つのエピソード

 ここで、注記しておきたい事が二つある。

 ある取材では、廣枝氏が「投降してでも生き延びろ」と投降を明言しているような表現
があるが、少なくとも劉氏はそれを明確に否定する。当時の軍規からしても、上官が投降
を堂々と口に言える状況では無い。但し、隊員達は当時の戦局と廣枝氏の言葉の様子から、
投降を暗示していることは感じとっていたのである。

 また、廣枝氏が密かに米軍と交渉した、という表現が見られる取材記事もあるが、それ
も当時の状況からすると考えられないことであり、一部に劉氏を伴って秘密交渉を行った
という記載について、劉氏は明確に否定している。上述した劉氏の投降前後の緊迫した状
況での判断を考えれば、交渉の場を持つことなどは考えられず、イチかバチかで投降を試
みるしかなかったと見るべきだろう。

                                    (つづく)

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