――英国殖民地だった頃・・・香港での日々(香港208)

――英国殖民地だった頃・・・香港での日々(香港208)
【知道中国 2326回】                       二二・二・初六

――英国殖民地だった頃・・・香港での日々(香港208)

しばらくして台湾に出掛けることになった。夏休みを利用した日本からの短期語学研修生の世話を頼まれたからだ。そこで「明日から2週間ほど台湾に行ってくるから」と伝えると、

「そうか、なら久しぶりに父ちゃんや母ちゃんに会えるな」

そこで「いや、日本ではない、台湾だ。台湾だよ、タ・イ・ワ・ン」

「だから、父ちゃん母ちゃんに会えるだろうに」

「タ・イ・ワ・ンだよ、台湾」と繰り返したが、その先は口を閉じた。おそらく彼女にとって台湾は日本なのだろう。日本に違いない。

「ところで台湾へは飛行機で行くんだろう」

「うん、そうだが」

「飛行機はいい。昔、上海から香港まで飛行機に乗ったことがあるが、あれはイイ。なんと言っても食事が出るからナ! いいかい、弁当なんか持ち込むなよ。恥ずかしいから」

「ハイハイ、承知しました」

「ところで東京って大きな街かい」

「まあ、九龍よりはデカイね」

「でもなァ、上海はもっとデッカいよ。ともかく道路が広い。渡ろうとアッチを見ようにも、遠すぎて見えないんだから」

ここまで来たら、もう相声(まんざい)の世界である。

曽妹との生活も慣れて来るに自然に以心伝心となる。休みの日など、庭の草を取れ、ここに釘を打て、あっちへ行って水を持ってこいなどと命令される。こうなると相手が何を言っているのかは解らないが、なにを求めているかが解るようになるから不思議だ。「お前の広東語はチンプンカンプンだが、こっちの言うことは解るようだから不思議だ」。これが彼女の口癖だった。もう1つの口癖が「?個世界好難講!(ああ、この世はワケが分からない)」だった。

こんな生活が1年ほど過ぎた頃から、彼女は自分に届いた手紙を私に見せ、なにが書かれているのか説明しろ、と言い出した。彼女は字が読めなかったのだ。これも、どこの馬の骨とも解らない日本人留学生への信頼の証と感謝しつつ、その要求に従うことにした。

ある日、彼女が差し出したのは広州に住む彼女の姪からの手紙だった。

「家事がタイヘンな上に職場までが遠い。歩いて出勤していたら、とても始業時間に間に合わない。自転車通勤をしたいのだが、先立つカネがありません。そこでお願いです。オカネを送ってくれませんか」と、自転車購入代金のお願いである。

こちらの説明を聞き終わるとブーブー言っていたが、可愛い姪のために送金したのだろう。しばらくすると礼状が届いた。

その礼状には「先日は、本当にありがとうございました。早速買った自転車で職場に通っています。家事と仕事を両立できるようになったのも、オバサンのお陰です」と。ここまでの説明を聞いて曽妹も満足気だった。だが、次がイケナイ。

「ところでオバサン、ものは相談ですが、じつは義母がだいぶ歳を取って、いつお迎えが来てもおかしくなさそうです。でも貧乏生活で、まだ棺が用意できていません。そこでオバサン、モノは相談ですが、私を助ける積もりで、義母の棺の代金を用立ててはいただけませんか」

ここまでくると曽妹は怒りを含んだ口調で、「自分の棺さえまだ買ってもいないというのに、そんな相談はダメだ」と。それから早口で、「?個世界好難講!」と呟いた《QED》

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