――英国殖民地だった頃・・・香港での日々(香港185)

――英国殖民地だった頃・・・香港での日々(香港185)
【知道中国 2303回】                      二一・十一・念七

――英国殖民地だった頃・・・香港での日々(香港185)

経年劣化で薄汚れてしまった1972年12月20日の香港皇都大戯院公演の戯単だが、半世紀ぶりに手にしてみると、あの日の舞台が鮮やかに蘇ってくる。記憶とは不思議なものだ。

開演時間は、いつもの第六劇場の夕方6時と違って「下午八時正開演(午後8時キッカリ)」。劇場の構造も、率直に言って掘っ立て小屋に近かった第六劇場とは雲泥の差。老朽化は免れようもなかったが、オールド・モダンとでも形容できそうな、隅々まで贅を尽くしたステキな設えだった。高い天井からは豪華なシャンデリアが下がり、舞台は広く、高価そうな革張りの座席はゆったりと座り心地は満点。だが尻と背中の当たる部分は深い皺が目立ち、全体に固く、白っぽく変色し、時の流れの痕跡が見て取れた。

広い座席の両脇通路と後部の壁際にはゴ贔屓筋の花輪がビッシリと並び、第六劇場のシミッタレた雰囲気とは違い、劇場全体が華やかさに包まれ、今にして思えば、新しい時代に向かおうとウキウキしていた“あの頃の香港”の一側面を物語っていたのかもしれない。

 大劇場が醸す“よそ行き”の空気の中で、芝居の始まりを知らせる「開場鑼」が奏でられる。いつもと勝手が違うだけに役者も舞台右袖に陣取る場面(はやし方)も、もちろん客席も、緊張の中で幕開けを迎える。もっとも京劇では幕は引かれていないから、「芝居が始まる」と言うべきだろうが。

 この日の演目は5本。以下、往時の香港の京劇を担った若き役者たちの“録鬼簿”を。

最初の演目は、唐朝を打ち立てた李淵夫人の竇太真が、洛陽に出征した愛児・李世民の無事を願い日夜高殿で祈る姿を描く「望児楼」だった。

竇太真は王金声が、李淵は袁明珠が扮した。共に女性で、王は背が高く細身、袁は中背でがっちりした体格だったように記憶する。

第六劇場では王は専ら老生を演じ老壮年役が多かったが、この演目ではおばあさん役の老旦だった。袁は春秋戯劇学校の老生のトップ。芸風とまで言えるかどうかは分からないが、文革で手酷い迫害を受けて憤死した周信芳が拿手戯(おはこ)としていた「蕭何月下追韓信」「徐策?城」を演ずることが多かった。香港皇都大戯院での公演前後から、第六劇場での出演は極端に少なくなり、やがて顔を見かけなくなった。

次が「白水灘」。「青面虎」の渾名で恐れられる許世英が山塞を出てから下山し、青石山の道端で酔って寝入ってしまう。かくて官兵に捕縛され都に護送されるのだが、それを知った妹の許佩珠が手下を引き連れて奪還を狙う。弱い官兵では勝負にならない。たまたま通り掛かった若者の十一郎が「義を見てせざるは・・・」とばかりに手助けし、許世英らを斬り殺してしまう。他愛のない筋運びだが、立ち回りが面白く、十一郎の颯爽とした動きがじつに格好いい。歌舞伎流鑑賞術に倣えば、「タップリ」と声を掛けたいところだ。

許世英は孟景海が、許佩珠は孟景芬が演じている。背丈も顔つきも体つきも身のこなしもそっくりの実の兄と妹。第六劇場では専ら兄は丑、妹は女丑で、2人とも立ち回りも得意で、台詞は耳に心地よく響いたものだ。

十一郎は若い男役の小生が専門の郭美玉が務めた。名は体を表すらしく細身で超美形。いなせな若衆姿は目を見張るほどに美しく、そう背丈は高くなかったが、立ち回りも喉も申し分なかった。この公演の前後から、第六劇場の舞台に立つことが大幅に減った。

青面虎の仲間の抓地虎を恵天賜が、劉人傑を盧淑芬が演じている。恵天賜は立ち回り専門の武生だが、後に役者が少なくなると老生やら?やら八面六臂の大活躍と言えば聞こえはいいが、得意の立ち回りを生かせないままに便利屋にされてしまい惜しい限り。盧淑芬は20歳手前の小太り気味。目鼻立ちはハッキリしていて、喉もまあまあ。郭美玉が去った後の小生を担い、当たり役は「轅門斬子」の楊宗保と「白蛇伝」の許仙だった。《QED》

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