――英国殖民地だった頃・・・香港での日々(香港106)

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【知道中国 2224回】                       二一・四・廿

――英国殖民地だった頃・・・香港での日々(香港106)

 

もう少し世界史教科書のような話が続くことになるが、ご容赦願いたい。

534年前後の北魏分裂から東魏の成立、550年の東魏から斉への交代を経て577年の斉の崩壊までの歴史を綴る『北齊書』の出版は、田中訪中から2か月後の1972年11月だ。

『北齊書』は、「搾取階級が自らを守る秩序を維持し、政権を固め、人民を縛り付けるための封建的な荒縄にすぎない天命や神権」という「反動的唯心史観が浸み込んだ封建史書」に過ぎない。だが、「『階級と階級闘争の視点に立ち、階級分析の方法によって一切を見通し、一切を分析せよ』との偉大な教導を真剣に学んで、『北齊書』が示す記述を再検討するなら」、「この時代の歴史を研究する上での一定の資料価値がある」とした。

「一定の資料価値」とは、「鮮卑貴族と漢族地主が連合した封建政権」に対し立ち上がる「各地の人民の武装闘争に関する記述」を指している。

以上が「出版説明」の趣旨だが、「反動的唯心史観が浸み込んだ封建史書」と否定する一方で、「一定の資料価値」と肯定している。否定なのか肯定なのか。どちらに力点が置かれているのか。出版の狙いは後者にあったように思えるのだが。

�小平が国務院副総理に返り咲く一方で、毛沢東が周恩来批判を臭わせ始めた前後の1973年5月に出版された『梁書』では、「出版説明」は次のように記されている。

『梁書』は502年から557年の前後56年間、江南に在った「封建割拠政権」である梁の歴史を綴っている。「反動歴史観に支配されているから」、「記述には往々にして隠ぺいや歪曲が認められる」。だが「封建政権の歴史を記すからには、封建支配階級に依る搾取や血塗られた事実を覆い隠し、人民大衆の革命闘争の姿に蓋をするわけにはいない」。だから『梁書』は「マスクス主義の国家学説に基づいて封建政権に関する記録を分析すれば、必ずや当時の階級矛盾、階級闘争の資料となるはずだ」。

当時の歴史を綴った同時代の記録や史書などは散逸し失われたが、『梁書』には当時のナマの資料が散見される。「政治や軍事問題以外に、哲学史、文学史、宗教史、民族関係、対外関係などに関する当時の資料が認められる」。

ここまで読み進んでみると、『北齊書』の「出版説明」と同じような印象を持たざるを得ない。『梁書』もまた封建支配階級の正統性をでっち上げた史書だと否定するものの、当時を物語る貴重な一次資料が使われているので、やはり研究に値するということだから。

四人組による批林批孔運動が全国展開される一方で、毛沢東によって政権中枢の戻された�小平が国連特別総会に登場し、毛沢東の説く「三つの世界論」を背景に「アジア・アフリカの発展途上国と友好関係を築いてきた。中国は米ソ両超大国のように帝国主義的覇権は求めない」と大見得を切った前後の1974年4月に出版された『明史』の「出版説明」は、次のように説かれている。

『明史』は「人民の反抗闘争を仇敵視し、統治階級による人民闘争鎮圧を讃える。だが、やはり人民闘争を書き記さないわけにはいかなかった。〔中略〕少数民族の反抗闘争にも言及している。(『明史』の)編著者は歴史を歪曲しているが、やはり我われが分析すべき参考資料を留めている」。加えて「国内と国外の違いを弁別していないなどの大きな誤りが認められるとはいえ、役に立つ資料が書き残されている」。

どうやら『明史』も全面的に否定するわけでもなく、中国域内のみならず当時の周辺事情研究という条件をつけながら、その歴史的意味を認めている。 

思想的には否定すべきだが、歴史研究の上からは「一定の資料価値」(『北齊書』)があり、「当時の資料が認められ」(『梁書』)、「役に立つ資料が書き残されている」(『明史』)。だから敢えて出版に踏み切ったとの理由付に、歴史研究を越えた政治が感じられる《QED》

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