――習近平少年の読書遍歴・・・“あの世代”を育てた書籍(習72)

――習近平少年の読書遍歴・・・“あの世代”を育てた書籍(習72)
【知道中国 2406回】                       二二・八・仲一

――習近平少年の読書遍歴・・・“あの世代”を育てた書籍(習72)

極めて緊張した時代にあって、衛藤・岡部は「できうるかぎり偏見を排し、自戒自制しつつ、何物にもとらわれない態度で虚心に現実を把握する努力をしないかぎり、イデオロギー的、政治的、感情的立場をこえて、これだけは誤りのない基本的事実だという共通の認識を生み出すことはできないであろう」と、論文執筆の基本姿勢を示す。

当時の日本では、学界やマスコミにおける中国に対する姿勢は、確かに「イデオロギー的、政治的、感情的立場」に過度に左右されていた。「アンピコ」こと安藤彦太郎、新島淳良、菅沼正久などを急先鋒とする彼らの表看板は学者・研究者・ジャーナリストだが、実態は筋金入りの毛沢東教信徒であり布教使であった。毛沢東思想の日本での普及は当然のこと、大胆不敵・荒唐無稽にも毛沢東思想による日本革命を目指していた。だから彼らは日本版の、しかも“トウの立った紅衛兵”を喜び勇んで演じていたことになる。

「造反有理」とばかりに、安藤らは当時の日本における古代から現代までの中国研究全般、さらに中国に対する世論形成に毛沢東思想を持ち込んだ。学問研究やジャーナリズムではなく、まさに政治闘争だった。だから真っ当な議論は最初からムリだったのだ。

そこで衛藤・岡部は、「これだけは誤りのない基本的事実だという共通の認識を生み出」そうと声を上げた。学問的良心に照らして許し難い、というわけだろう。

「『中華帝国』復活の野望?」と題された論文では、安藤らを批判する研究者の「現在も中華帝国の復活をひそかに企図しているのだが、それを公然と主張することは、かえってこの目的の実現にとっては不利だとして隠しているにすぎないという見方」を俎上に載せ、この考え自体が「イデオロギー的、政治的、感情的立場」に偏っていると見做し、

(1)周辺諸地域の人民を反中国の側に追いやり、短期的にも長期的にも中国に不利だ。

(2)「その地域の人民が反米闘争に努力している時に、この地域を中国の版図におさめたいなどと考える必要は全くない」はずだ。

(3)これらの地域は「すでに人口は稠密であり、中国人が進出したところで、それに伴う犠牲をつぐなうほどの『利益』を保証されることは不可能」だ。

――以上の3点を「誤りのない基本的事実だという共通の認識」とすべきだと指し示した後、衛藤・岡部は「政治的にいっても経済的にいっても、中国の南方への領土拡張はひきあわない仕事である」と結論づけたのであった。

だが、自信たっぷりに「中国の南方への領土拡張はひきあわない仕事である」と主張してから半世紀ほどが過ぎた21世紀20年代初頭の現在、「中国の南方への領土拡張」は着実に進んでいる。衛藤・岡部が確信気味に説いた「誤りのない基本的事実だという共通の認識」が誤りであったことは、ミャンマー、ラオス、カンボジア、タイ、フィリピンなどにおいて中国が「ひきあわない仕事」を猛烈に強引に推し進めている事実が明らかにしている。「中国の南方への領土拡張」、つまり“熱帯への進軍”は一貫して続いていたのだ。

巻末に置かれた「中国革命の底流」と題する論考では、「これからも“富国強兵”の課題を追い続けるであろうことについては全く疑いないだろうと私は考えております」と綴る。だが、富国強兵が「『中華帝国』復活の野望」に結びつかないとでも考えていたのだろうか。

国際情勢の変化といえばそれまでだが、当時と現在の大きな違いは、習近平率いる中国が誰憚ることなく「『中華帝国』復活の野望」に向かって猪突猛進し、世界の秩序を自らの力で打ち立てようとしていることだろう。既得権益を守り一党独裁の継続させるために、共産党政権は「『中華帝国』復活の野望」を掲げ富国強兵の道を突っ走る。

 『中国政策』や『世界の中の中国』が熱く説いた“世界と調和する素直な中国”は、やはり幻だった。中国は変わったのではない。終始一貫、変わるワケがなかったのだ。《QED》

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