――「脱亜入欧」から「脱漢入亜」へ田中克彦『言語学者が語る漢字文明論』(講談社学術文庫 2017年)

――「脱亜入欧」から「脱漢入亜」へ田中克彦『言語学者が語る漢字文明論』(講談社学術文庫 2017年)
【知道中国 1693回】                       一八・一・念四

――「脱亜入欧」から「脱漢入亜」へ

田中克彦『言語学者が語る漢字文明論』(講談社学術文庫 2017年)

漢族社会の周辺に在って「漢字を拒否して独自の文字を発明した民族は」、「漢字のおそろしい力、漢字を使ったら最後、自らの言語が吞み込まれ、失われてしまうかもしれないということを直感的に知って」いた。そこで独自の「突厥文字、契丹文字、女真文字、西夏文字など」を生みだした。だがジワリジワリと浸透する「漢字のおそろしい力」によって、突厥、契丹、女真、西夏などの民族は「その後姿を消してしまい、おそらくかなりの部分が、漢族の中に吸収されてしまったのであろう」。じつは「漢字を使ったら最後、徹底的な訓読みを維持しつづけでもしないかぎり、自らの言語は消えてしまい」、やがては「民族の消失につながる」と、著者は主張する。誠に言葉は文化――《生き方》《生きる形》だ。

ならば漢字を放棄した朝鮮半島におけるハングルは、鴨緑江の対岸からの覇権圧力を防ぐための防波堤とも考えられる。西方の大陸に対してはハングルが、東方の日本そして太平洋を越えたアメリカに向っては核爆弾とICBMが防衛上の最終兵器ということか。韓国においても“北へ倣え”に違いない――ならば朝鮮半島から漢字を一掃した人物の“先見性”は称賛されてしかるべきだろう。だが、反面では儒教文化を骨絡みに受け入れ現在でも励行しているわけだから、喩えようもなく間の抜けた夜郎自大的民族と言っておきたい。

著者は「古今の教養に通じ、経験深い政治指導者は、片時も言語問題の重さを忘れてはいない」と記し、その一例として鄧小平の発言を紹介する。

「一九七四年のことだと言われる。日本の訪問団が中国を訪れた際、一行の代表西園寺公一氏が、中国側に、かつて日本が中国に加えた蛮行をわびたところ、鄧小平氏は、「中国もまた日本に迷惑をかけた。一つは『孔孟の道』を伝えたことであり、二つ目は『漢字の幣』を与えたことだ」と応じたという」。ここに記された「幣」は「弊」の誤植だろう。「漢字という障害物」を糾弾する前に、やはり誤用・誤植はイケマセン。訂正願う。

西園寺を筆頭とする訪問団の面々は、この鄧小平の発言を外交辞令と聞き流してしまったかもしれない。だが歴史を顧みるなら日本人を眩惑し、日本人をして中国と中国人に対する過度の拝跪・重視、その裏返しの侮蔑・軽視――共に見当違い――という心情を抱かしめた主因は、鄧小平が詫びるまでもなく「孔孟の道」と「漢字の弊」だったと確信する。

 その辺りの事情は川田鐵彌が『支那風韻記』(大倉書房 大正元年)で、「論語の眞髓は、全く日本に傳はつて、支那には、其の實が洵に乏しい」。「書物など讀むにも、用心して之を見ないと」「支那人の書いた書物に、讀まれて仕舞ふようになる」。「元來正直な日本人など」が「日本化された漢學で、直に支那を早合點」してしまう。「四書を始めとして、何れの書も、意味をアベコベにとると、支那人の性情が、自ら分る」と説いている通りである。

どうやら表意文字である漢字――言葉が本来的に持つオトという最重要の働きを抜きにしてイミのみが容易に伝わってしまう――が玄界灘を越えてもたらされたことで『論語』『孟子』『中庸』などが日本に持ち込まれ、やがて「日本化された漢學」が生まれ、それによって「直に支那を早合點」してしまい修正されないままに現在に立ち至っているようだ。

また著者は「漢字は日本人のあたまから聴覚映像を消し去ってしまった」という罪深い文字でもあるとも説く。オトを伴わないから、頭の中に像を描けないのだ。

著者の考えに賛意を表しつつ、半世紀余の中国語との付き合いから2,3の感想を示してみると、①弁解とヘリクツには最適であるゆえに、政治的言語として絶対的。②大袈裟な表現が多用されるゆえに、大言壮語が日常的。③脳内に聴覚映像を結ぶことが困難であるゆえに、瑞々しく細やかな感情の表現は絶望的。だから、自己省察には著しく不向き。

やはり日本語は日本の根幹であり、日本人の大本・・・言葉は社稷である。《QED》

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