――「支那人は巨人の巨腕に抱き込まるゝを厭はずして・・・」――中野(23)中野正剛『我が觀たる滿鮮』(政�社 大正四年)

――「支那人は巨人の巨腕に抱き込まるゝを厭はずして・・・」――中野(23)中野正剛『我が觀たる滿鮮』(政�社 大正四年)
【知道中国 1767回】                       一八・七・念九

――「支那人は巨人の巨腕に抱き込まるゝを厭はずして・・・」――中野(23)

中野正剛『我が觀たる滿鮮』(政�社 大正四年)

 中野は『我が觀たる滿鮮』も最終章の「大國大國民大人物  滿蒙廃棄論を排す》」で、「一年前までは非大陸經營論の旺盛を見た」が、さすがに第1次世界大戦は「小國家主義の危ふきを時實上證明」した。そこで滿蒙廃棄論という「謬見」を再興させないために、と「滿蒙廃棄論を排」そうというのだ。

 そもそも小国家主義=小日本主義に拠って植民地全廃を掲げ満州放棄論を訴えたのは石橋湛山ではあるが、その先駆けとなったのが同じく『東洋経済新報』の先輩である三浦銕太郎であった。

 日露戦争勝利を受け、日本人にとって満州は「二〇億の国帑と一〇万の英霊が眠る聖域」となり、併せて「古来、満洲は満洲民族の故地であり、漢族の支配する土地ではないという考えが一般化していた。このような風潮に対し三浦は1913(大正2)年に「満州放棄乎軍備拡張乎」なる論説を『東洋経済新報』に発表し、�政治的に満洲の主人公は漢族であり、日本が領有しても短期間で終わらざるをえない。�経済的には満洲の経済発展を促進する確たる理由は見当たらず、それゆえに満州領有は国家にとって過重な経済・財政負担を及ぼす。�国防面からみて満州領有は列強による中国分割のキッカケとなり、それは中国大陸に列強勢力を呼び込むことを意味し、我が国防にとって不安定要因となる。�外交的にみて満洲領有から中国大陸進出に踏み込むことは日英同盟の精神に抵触する――以上が、三浦の主張の骨子である。

 なお同じく満洲放棄論ではあるが、石橋の説く全満洲放棄(延いては朝鮮・台湾を含んだ植民地全廃)とは対照的に、三浦は我が国防線を旅順・朝鮮国境の線まで南下させよというものだ。

 「國としては大國を建て」、「國民としては大國民を成し」、「人物としては大人物を志す」べきであり、「大國」「大國民」「大人物」として当然負うべき「苦痛」を「逃避する」わけにはいかない。小国の国民であっても「須らく世界に雄視するの大國家を成さんことを志すべ」きであり、「斯の如き意氣ある國民は必ず發展すべき」だと、中野は考える。

ところが最近は、「國を建てながら小弱を以て安んぜんとする者あり、學に志ながら小人を以て滿足せんとする者あり」。そういった者のなかから、「文藝家として奇抜なりとの名譽を得んが爲に、滿蒙放棄論を放言したる者あり」と指摘し、続いて「余は經濟言論界のオーソリチーと目せらるゝ某雜誌の紙上に、代表的とも云ふべき小國家主義の主張を見たり」とする。

ここでいう「經濟言論界のオーソリチーと目せらるゝ某雜誌」が『東洋経済新報』を指し、批判の対象が三浦であることは明かだろう。中野は先に挙げた三浦の主張を俎上に載せて「是れ實に專問家の愚論」と切って捨てた後、国家経営は商売のようにそろばん勘定では動かない。「若し單に利殖の割合のみを算して、其利�多きに就かんとならば、大概の商工業、皆其活動を止め、其資本金を外國銀行に預ける」がいい。「彼の經濟論者の説」に従うなら満蒙も朝鮮も台湾のみならず、果は樺太も北海道も棄て、国民が挙って外国銀行に貯金すべきだ。だが、そんな国家はどんな末路を辿るのか。莫大な「富を蓄積しながら、旨く行きて世界の高利貸國となり、誤つては其國を蹂躙せられて、富みたる亡國となり終わる」しかない。

「世界の大勢を見以て我國を盛大にすべく、如何なる手段を執るべきか」を慎重に考えるなら、「支那を分割して滿蒙の一部分にのみ滿足せんとする、侵掠論者の規模の小なるに與せず」。中野は「友邦を提撕して白禍の東漸を防ぐ」ことこそが急務だと力説する。《QED》

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