――「支那を亡すものは鴉片の害毒である」――上塚(32)上塚司『揚子江を中心として』(織田書店 大正14年)

――「支那を亡すものは鴉片の害毒である」――上塚(32)上塚司『揚子江を中心として』(織田書店 大正14年)
【知道中国 2014回】                      二〇・一・初九

――「支那を亡すものは鴉片の害毒である」――上塚(32)

上塚司『揚子江を中心として』(織田書店 大正14年)

ここで、「揚子江流域に於ける米國」に戻る。

やはりアメリカは「終始一貫、親和主義を標榜して又變る所が無かつた」わけではない。第1次大戦前後を境に「其の行動は極めて露骨になつて來た」。そして「世人を最も驚かしたるものは、大正五年九月、『シームス、カレー』商會と支那政府との間に締結せられたる、支那各地に跨る五鐵道の利權である」。

「五鐵道」は、「イ、湖南省衡陽より廣西省南寧に至るもの/ロ、山西省豐鎭より甘肅省寧夏に至るもの/ハ、甘肅省寧夏より同省蘭州に至るもの/ニ、廣東省(海南島)瓊州より樂會に至るもの/ホ、浙江省杭州より温州に至るもの」である。後にロシアの強烈な抗議で一部路線変更を余儀なくされたが、「五鐵道」を地図に落としてみると、「其の企圖の雄大にして傍若無人なる、實に人の意表に出づるものがある」。やはりアメリカとて“お人好し”のままではいられないのだろう。

ここで上塚は、「五鐵道」に関わる「米國の新利權と列強との關係」に言及する。

先ず「イ」だが、「英國の勢力圏に突入する事が出來る。又曩に英國の獲得せる沙興鐵道とも併行して競爭線ともなるのである」。

「ロ」と「ハ」を合わせると、将来的には「實に支那中原の地は正しく本鐵道によりて東西に�斷さるゝもの」となる。加えて「白耳義『シンヂケート』の海蘭鐵道と略相併行し然も其の通過地點は彼に優るとも又劣らざる豐沃の地であ」り、「陝西、湖北の沃野を�ぎるの點に於て甚しき有利の地位にある」。また「直接には東して英國及獨逸の圏内に侵入し、西して白耳義『シンヂケート』の歸成鐵道に迫り、間接には海蘭、粤漢川鐵道を脅かすものである」。

「ニ」は「南に南洋群島、西に佛領安南、東に比律賓群島を控え」る「支那南邊の寶島とも謂ひつべき」海南島を押さえることを意味し、「米國の此の鐵道を獲得するに就ては蓋し一大計畫の存する事勿論である」。

最後に「ホ」を獲得したことは、「何時も乍ら米國の無遠慮なる外交政策に驚嘆せざるを得ない」とのことだ。

以上を総括して上塚は、「米國の得たる鐵道利權は支那四百餘州の各方面に亘り樞要の地點を占有し、其の進むに當りては自由奔放、縱�無盡、連絡の如何も列國の意嚮も、何等意に介するなく猛然殺到し來れる」ものであり、その点は「稍もすれば躊躇逡巡、徒らに機を逸し事を破る我が帝國の外交政策に一大�訓を與ふるものと稱すべきものである」。

1972年の突然のニクソン訪中、昨今のトランプ大統領による米中貿易戦争にしても、確かに「其の進むに當りては自由奔放、縱�無盡、連絡の如何も列國の意嚮も、何等意に介するなく猛然殺到し來れる」と上塚が指摘するアメリカの対中外交を踏襲したものと言える。であればこそ、「稍もすれば躊躇逡巡、徒らに機を逸し事を破る我が帝國の外交政策に一大�訓を與ふるものと稱すべきものである」との苦言も大いに同意できる。

だが、それにしても、いったい、いつまで我が国の外交は「稍もすれば躊躇逡巡、徒らに機を逸し事を破る」という陋習、つまり怯懦・卑怯・無責任に囚われているのか。

アメリカの次は「揚子江に於ける獨逸」である。

先ず上塚は「揚子江の上游、四川雲南の地は古くより英佛競爭の舞臺」であったが、辛亥革命後、「以外(注:「意外」の誤植か)なる分子が此の間に割込み、英佛兩國の野心を抵制すべく、一箇の楔子を折込んだ。雲南百色鐵道に據らんとする獨逸即ち是れである」と、イギリスとフランスを相手に意表を突くドイツの行動に驚嘆の声をあげた。《QED》

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