――「ポケット論語をストーブに焼べて・・・」(橘50)橘樸「『官場現形記』研究」(大正13年/『橘樸著作集第一巻』勁草書房 昭和41年)

――「ポケット論語をストーブに焼べて・・・」(橘50)橘樸「『官場現形記』研究」(大正13年/『橘樸著作集第一巻』勁草書房 昭和41年)
【知道中国 2089回】                       二〇・六・初九

――「ポケット論語をストーブに焼べて・・・」(橘50)

橘樸「『官場現形記』研究」(大正13年/『橘樸著作集第一巻』勁草書房 昭和41年)

ここで行きがけの駄賃宜しく、もう少し共産党独裁体制における幹部について考えたい。そこで胡錦濤から現在の習近平に政権が移行された前後の2012年に出版された『官徳』(梁衡 北京聯合出版公司)の頁をパラパラと繰ってみたところ・・・が。

先ず著者は「官」、つまり中央政府から地方政府までの幹部に「徳」を説き、実践させようというのだから恐れ入る。いや、恐れと言うものを知らな過ぎる。

著者は「幹部になる前に人としての自分を鍛えよ。政徳を第一とせよ。官徳は指導幹部にとっての“立身出世”の根本であるだけでなく、“立国”の礎でもある」と大前提を掲げた後、以下に示したゴ高説(要旨)を宣う。

――官徳は社会の風紀を糾す指標であり、官徳こそが民徳を呼び覚まし、社会の風紀に大きな影響を与える。官徳が働かなければ、民徳は必ずや失われる。民徳を育てるためには、幹部が率先して官徳を修めなければならない。官徳の質こそが社会文明の程度を決定し、官徳の水準こそが政権の興亡成敗を左右する。

地位の高い幹部が官徳を体現するならば、水が高きから低きに流れるように政治は遅滞なく行われるようになる。すべては公のため、民のためだ。

誠実に身を処し、日々の業務を尊び、廉潔に努め、独立心を持ち、堅忍不抜の心を定め、謙虚に励み、広い心を養い、個人的な利害得失に対し淡白であれ。幹部の政治的事績はその能力と徳によって定まるもので、能力より徳が重要である。有徳無能なら少なくとも悪事を働くことはない。これに対し無徳有能な場合は、大いに不正を重ねてしまう――

なにやら持って回った、取ってつけたような、判ったようで判らない主張が延々と続くが、「共産党人は革命と建設の過程で、多くの道徳的模範を生み出した。たとえば偉大極まりない周恩来、真理を堅持した彭徳懐、一心を民衆に捧げた焦裕禄、直言居士の朱鎔基・・・〔中略〕彼らは新しい時代の官徳を体現している」と記している。

どうやら著者は、ここに取り上げた人々を「官徳」体現の手本に奉りたいらしい。ということは、毛沢東の執事役に徹することで数々の政治闘争を生き延びること(周恩来)、バカ正直にも毛沢東本人に向かってアンタの政治はデタラメだから即刻中止すべきだと難詰し失脚させられること(彭徳懐)、毛沢東の掲げる「為人民服務」を真っ正直に実践して疲労死すること(焦裕禄)、首相として最高権力者の江澤民への忠勤に励むこと(朱鎔基)が、「新しい時代の官徳」となるわけだ。だが、どう考えてもカントク不行き届きだろうに。

ここで中華帝国以来の官吏の歴史を振り返ってみると、「官」には権力を恃んでの悪徳の限りを尽くす「貪官」と、権力を弄ぶことなく清廉を旨とし民衆第一の政治を行う「清官」の2種類しかいない。言うまでもなく前者が圧倒的多数で、後者は各王朝に1人か2人といったところ。とはいえ、その振る舞いのバカ正直さが、どうにもウソ臭い。

中央から地方まで無徳有能な幹部が揃っている現状を「貪官栄え、清官滅ぶ」の歴史的教訓に重ね合わせて考えれば、著者が「官徳」を熱く語ろうとも、その効果は限りなくゼロに近いだろう。「今日の複雑な情況において、幹部の道徳修養を強化し、党の執政能力を高め、秩序ある経済発展を推進し、小康社会を築くことは、14億人民に対する大政党の歴史的使命であり、同時に世界に対する時代的責任でもある」。「誕生して90余年、8000万人超の党員を擁する大政党は、市場経済における新しい試練に真正面から対峙している」とか。この大仰な物言いは、なんともウソ臭く、虚しく空々しいばかりだ。

やはり対外開放は、悪徳有能で満身ワル知恵の幹部にとって最高の培養器となったはず。古人は「朽木は雕(い)るべからず。糞土の牆は?(ぬ)るべからず」と喝破した。《QED》

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