――「ポケット論語をストーブに焼べて・・・」(橘5)橘樸「中國を識るの途」(大正13年/『橘樸著作集第一巻』(勁草書房 昭和41年)

――「ポケット論語をストーブに焼べて・・・」(橘5)橘樸「中國を識るの途」(大正13年/『橘樸著作集第一巻』(勁草書房 昭和41年)
【知道中国 2044回】                       二〇・三・仲一

――「ポケット論語をストーブに焼べて・・・」(橘5)

橘樸「中國を識るの途」(大正13年/『橘樸著作集第一巻』(勁草書房 昭和41年)

ここで最近の一例を挙げてみたい。

シンガポールの『聯合早報』(3月8日)が伝えるところでは、新型コロナウイルスの汚染源で封鎖状態に置かれた武漢市の最高責任者である王忠林共産党市党委員会書記が、3月6日に開催された感染防止関連の集まりで、「(習近平)総書記に感謝し、共産党に感謝し、党の話を聴き、党に従って進む」ことを目指す「感恩教育」の市民への徹底を指示すると同時に、関係部署幹部に対し「民衆に中に入り、民衆を宣伝(きょういく)し、民衆を動かし、民衆に依拠し、共に感染防止工作に万全を期せ」とハッパを掛けたとのことだ。

3月10日に習近平が武漢市視察を“敢行”したから、その露払いの発言である。

「総書記に感謝し、共産党に感謝し、党の話を聴き、党に従って進む」などのセリフに接すると、なにやら文革時代に林彪が毛沢東に対して見せた拍馬尻(へつらい)を、「民衆に中に入り、民衆に宣伝し、民衆を動かし、民衆に依拠し・・・」は『毛主席語録』の一節を連想させるに十分だ。やはり幼少年期から青春期を送った文革時代の体験は、血となり肉となって、現在の指導層の体内にも宿っているに違いない。

一連の王忠林の言動を、今なら日本人は笑い飛ばすだろう。まさか信じ込むようなゴ仁はいないはずだ。だが文革当時、日本のマスコミは王忠林的言動を報道と称し、洪水のように垂れ流していたことを、よもや忘れたとは言わせない。それにしても狂信的に毛沢東主義を奉じていた日本共産党山口県支部(だったはず)は、今はどうしているだろうか。

振り返って見れば、中国共産党中央政治局常務委員で全国政協主席を務める汪洋にしても、広東省書記当時の2012年、広東省人民代表大会(日本で言えば県議会に相当か)において「幸福を追求することは人民の権利であり、人民に幸福をもたらすことが党と政府の責任である。人民の幸福は党と政府の鴻恩の賜物であるといった誤った認識は、断固として打ち破らなければならない」と“大見得”を切ったはずだが・・・おいおい、あれは口から出まかせだったのかい、である。党の最高幹部になればなったで、その昔の「毛沢東のよい子」に戻ってしまうらしい。恐ろしくもあり、滑稽でもある。

そこもと然様に、「鑄型」「形式」が実質なのである。

ここで橘に戻るが、やはり「鑄型」「形式」を「形骸」と見做した時点で、大きな過ちを犯してしまったと言わざるを得ない。

儒教に対する道教について、橘は「原始民族�の嫡統と見做」し、「徹底的に、即ち支配階級たると被支配階級たるを問はず、中國社會の隅々迄隈なく行亙り今も尚力強く彼等の私生活を左右して居る」と断言する。

「昔にも今にも嘗て中國の『民衆』の信仰を受けた事の無い」のが儒教であり、であればこそ孔子より寧ろ老子に注目すべきだ。「老子の思想は道�信者たる中國人の心持と非常に好く吻合するところのものである」と橘は説く。

ここで思い出されるのが、京都帝国大学で「支那学」を修め歌舞音曲やら料理から中国と中国人の生き方(=文化)に迫った青木正児である。

彼の洒脱で達意の文章を集めた『江南春』(平凡社 昭和47年)に、「上古北から南へ発展してきた漢族が、自衛のため自然の威力に対抗して持続して来た努力、即ち生の執着は現実的実効的の儒教思想となり、その抗すべからざるを知って服従した生の諦めは、虚無恬淡の老荘的思想となったのであろう。彼らの慾ぼけたかけ引き、ゆすり、それらはすべて『儒』禍である。諦めの良い恬淡さは『道』福である」と記している。

ここに引用した青木の考えを敷衍するなら、あるいは、次のようには言えないか。《QE

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