――「『私有』と言ふ點に絶大の奸智を働かす國である」――竹内(9)竹内逸『支那印象記』(中央美術社 昭和2年)

【知道中国 1883回】                       一九・四・念二

――「『私有』と言ふ點に絶大の奸智を働かす國である」――竹内(9)

竹内逸『支那印象記』(中央美術社 昭和2年)

 蘇州でもそうだったように、杭州でも名刹は異様なまでに金ピカに輝き、「油壺から引上げられたやうなのっぺりした金々佛の堵列」である。どこもここも金箔をベタベタと張り付けているのだ。こういった金ピカ現象は、「蘇杭州だけではなく現代支那全土に行亘つている」。かくて竹内は、寺・仏像・僧侶を含む当時の中国仏教を冷笑する。

 「若し人間に審美眼と言ふものが無いなら、かうした金々佛や支那至る處の五百羅漢なるものゝ塑金はまさに一大偉觀だらうが、私達にとつての現代支那における一大遺憾は、この現象が折角の世界的佛�芸術をも塑金して了つてゐる點である」。大同龍門の仏像群に至っては「容赦なく土とセメントを泥繪之具とで塗り隱されてゐる」ほどだ。なんでもかんでも金キラキンでケバケバシイということは、「形相を内に支配する魂の存在に對して一片の愛もない」ということ。つまり中国人には仏教の神髄というものが判らないのだ。

 信仰の対象である仏像がこれだから、僧侶も同じだった。

 寺を訪ねると、「茶を飲ませて錢をとる。?燭に火を點けて蟇口をあけさせる。それもいゝ。寺の維持費となるだらう。だがそれのみだから驚く」。「富豪に取入ることがことに巧妙で、一方、坊主だからの因縁で、物を買ふ時に、小商人相手に割引で困らせる」。そのうえアヘンというのだから、「支那人も『腹の�い人間が見たくば坊主を見ろ』とまで俚諺化するまでになつて了つた」というわけだ。

 まあ坊主にしても仏像にしても名刹にしても有難くもなんともなく、俗中の俗といったところだ。とはいえ「無論これは、日本は愚か、世界各れの國民も大威張れでは非難できない立場に在るのだらうが」と断ってはいるが。

 「莫迦莫迦しくだだツ廣い國」「手應えの無い國」の田舎を歩いて思ったことがあるという。「それは、昔に造られた敷瓦道が、村落の中ではひどく壞はされてゐて、畠の中では草にまびれたまゝ整然と遺つているといふ點である」。そこから竹内は、「現代支那の生活はそれと同じで、本統に支那の文化を遺しているものは、さう人の集まる處には見られない」とする。それというのも、「人の集まる處」に残り人気を集めているのは金ピカ仏と偽物やら紛い物でしかないからだ。一方、「支那人みずからが氣着かないでゐる自然そのものこそは觀るに價値ある新鮮感に滿ちてゐる」。はたまた「飛んでもない田舎に遺されて、荒廢するに任されてゐる古藝術こそは總て正しい」。

 「それ程支那の文化は廣く深く地に滲み入つてゐ」て、「親代々の根強い文化は新しい破壞に堪えて頑張つてゐる」が、「現状の國家状態では破壞されて行く」ばかりだ。とどのつまり「吾々の藝術に絶えず生氣を與えて榮へ來た支那の藝術は、現代支那の思想と相容れない見捨てられてゐる」。だから「吾々の手に依つて、蒐集するか、保護するか、研究するか、何れかの道を講じなければならない」。その訳は、「一國の文化のためには、藝術は、どうしても存在してゐなければならないものである」からである。

 ここで示された竹内の説く「一國の文化」を、その国の根幹にかかわる《生き方》と考えるなら、「どうしても存在してゐなければならないものである」芸術が「破壞されて行く」ばかりの「現状の國家状態」では、遅かれ早かれ亡国は時間の問題ということになろうか。

ここで一転して平成という御代が閉じようとする我が国の現状に思いを馳せるなら、竹内の指摘は1世紀ほど昔の他国の事とは、とても思えない。

 やがて旅は雪舟が「風景を見に來たのだと豪語した」楊州へ。この街も排日で溢れ返っていた。「城壁面に白ペンキで『日貨勿用』の四文字」の文字が書き連なっている。「楊州の外城壁は倭寇防戰の爲に築かれたのだと言ふ。まことに奇しき因縁」ではある。《QED》

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