『日本李登輝友の会・愛知』台湾研修ツアー 総括

 総括といっても私的な見解ですが、「李登輝前総統に会える」というのは、通常、誰でもすごい事と思うこと
でしょう。日本李登輝友の会・愛知県支部にとって、面談がしかも1時間30分も可能になり、実現できたことは、
名誉の履歴となることはいうまでもありません。団体として悲願が適ったといっても過言ではなく、事務局及び
関係者の努力の結果に乗じさせていただいたことに幸運の自覚と感謝の意を申し上げます。

 さて、私個人として「李登輝先生面談の実現」が、私の参加動機ではあったが、世界の「李登輝」に無名の自
分が会ったところで何かが変わるわけではない。勿論、会って感動を享受することは出来るが、そこまでであり
その点については現実的な考えでいたが、行くことは、行かないことより「その後」に大きな違いがでるからこ
そ期待をしながら参加させていただき期待通りのツアーとなった。
 初日は、日本統治時代を経験した台湾の方々と接することで「親日」を体験するが、日本軍人であったことを
誇りとする台湾人と現代日本人とのギャップに正直苛まれ、楽しく振舞ってくれる分、この人達の「親日」を日
本が裏切っているような気持ちが生じ、重く圧し掛かってきた。

 二日目前半は、一般的な観光に近いものだが、違うのは一般的な観光ガイドはおらず、ガイドをして下さるの
は昨日からの「真正親日台湾人」の方々である。したがって私は、観光はついでで彼等との道中の会話が、本日
のメインである。私は、林先生の隣に座してお供をさせていただいたが、途中から先生は興奮気味となり、自分
の思いを私にぶつけてきた。それは、私に対する憤怒ではなく、気心知れてきたからであるが、林先生は、「あ
んたは、マスコミ人のようだが、久間防衛大臣と会えるようにできないか」と訊ねられた。私ごときにそのよう
な力はないが、出来ないと思えばそれまでである。手帳に目標として書き込み、どうしたら出来るか、その手順
を考え辿れば、今出来ることが見えてくる筈。
 そう思ったら、昨日からの重く圧し掛かった「何か」が急に軽くなり、この瞬間、台湾へ来た甲斐があったこ
とを実感した。
 この日の夜、台北で日本語を話すことを大切にする「友愛会」との会食があった。行く先々「親日」の方々と
お会いすることが当然のような感覚の中、思わぬカウンターを喰らうことが起きた。友愛の一人から、日本統治
初期の悪しき行為についての発言があった。「日本は台湾で良いことをした」と浮かれ気味になる日本人への忠
言であったと思われる。発言の信憑性にはある部分、疑問もあるが、たしかに彼の言うように「親日」の錯覚を
する面もある。しかし、それよりも良かったこと、悪かったことを相殺する「親日派」の存在を知る出来事だっ
た。また、このことは「親日派」の方々の話を聞くにあたり、その解釈の仕方に重要なヒントを与えられたと思
った。ちなみにこの方の理論では、古来、大陸から渡ってきた漢人は男のみで台湾原住民女性と結婚して今日ま
で(中華民国以前)来ているので「台湾人は漢人を祖先に持っているわけではない」とのこと。更に、台湾人は
漢人とDNAが違うそうである。

 三日目、二二八記念館へ出かけたが、蕭錦文先生から説明を聞く。蕭先生もまた「真正親日派」であるが、昨
夜の出来事以降、少し聞き方を変えてみた。先生の説明は、ある意味日本人に心地よいものがある。ただ、日本
統治時代を「植民地」と表現する。日本語のニュアンスが違う面もあるかもしれないが、通常、日本は台湾を植
民地化したとは思っていない。植民地は、搾取が目的で、台湾は日本国領土として同化し日本そのものであるか
らだ。(日本人でも左派は植民地とするであろうが)蕭先生の話をよく聞くと、日本と植民地としての台湾との
関係は、自ずと上下が生じるものとしていることが覗える。その中で、欧米と違った日本の政策が、台湾の近代
化の礎となったことを評価している。台湾人のアイデンティティーを持ち台湾人としての日本の評価が「親日」
となっているわけで、おそらく今日の「親日派」は概ね、蕭先生と同様であると思われ、昨日まで自分が描いて
いた「親日」とは幾分ニュアンスが違うものであることが感じられる。
 夜は蔡焜燦先生を囲んでの会食であったが、全体を通し、思うことは「親日」は実は「懐日」ではないか、と
いうことである。

 最終日、台湾総統府を見学した後、急ぎ足で李登輝前総統との面談へ向かう。初日から今日まで、台湾現地の
方々の話では、李登輝の評価は日本ほど画一されず様々であることが分った。日本を発ったときと幾分違った李
登輝像もできたが、実際に本人を目の前にしたときは、何であれ、世界が注目した大人物である威風堂々とした
雰囲気を醸し出していた。
 日本通の台湾人は、李登輝を徳川家康と例える。戦国時代、もっとも強烈な印象を持つのは台湾人も織田信長
をあげるようだ。林先生も「信長こそ本物、家康は結果そうなっただけ」とする。したがって李登輝は、家康な
ので信長流の姿勢より評価が低くなる。たしかに信長存命中、家康は小物扱いだったかもしれないが、将軍にな
った時の家康は、幾多の経験を積んだことで信長に勝るとも劣らない風格を持っていたのではないだろうか?。
眼前の李登輝前総統は、信長流ではなく家康流の台頭であるが、中国を相手に立ちはだかる巨人であることに変
わりはなくそれが、威風堂々と伝わってくるものだと思った。

 全日程を終え、帰路についたが、李登輝先生や蔡焜燦先生からは「日本は自信を持ち胸を張ること」を薦めら
れた。ただ、これは今までも二次的には聞いてきたことでもある。しかし蕭錦文先生からは、その自信を持つた
めの材料を直接提供され、台湾海交会の皆様からは、先人達の心の広さを教えられた。そして友愛グループとの
会食では「親日」の理解の仕方を学ばせていただいた。また、現地で出会った人達からも沢山学ばせていただい
た。これこそ、普通のツアーでは体験できないことだと思う。台湾の大勢を占める人達の考えは、また違ったも
のであろうことは想像に容易いが、それでも肌で感じる現実を知らないままでいるのと、そうでないのとでは、
いくら思いや願いをもって国民運動に参加しても実の伴いかたは、違ってくるものと考えられる。「これから」
を考えるひとつの機会を与えられたことを実感する研修ツアーであった。

                                    平成19年5月24日 渡辺 裕一












 最後まで御覧頂きありがとうございました。
愛知李登輝友の会ではこれからも日台友好を深める行事を開催して
いきますので、是非ともご参加下さい。