【知道中国 269回】〇九・八・念三
新しい“国共合作”なのか

 清朝末期、日本に留学した多くの中国の若者の中に日本の新劇に魅せられた一群がいた。誰もが解る芝居で世の中を変えよう。舞台から現実社会が抱える問題を訴えよう。新劇に刺激された彼らは、これを話劇と称し中国に持ち帰った。毛沢東は「話劇なんぞは日々の生活を描いているだけだ。毎日、我々は話劇を演じているではないか」と話劇を好まず、伝統芝居の中心である京劇を専ら“溺愛”し続けたようだが、話劇は確実に中国社会に根付き浸透していった。共産党もまた、話劇を使って世の中を変革することの重要性を訴えると同時に、49年以降は自らの正しさを舞台の上から民衆に語りかけた。政治宣伝である。

 現在、中国では多くの話劇団が活動を続け、いまの中国社会が抱える深刻な問題を告発しようという動きをみせる。だから話劇の舞台に中国社会の現実が微妙に反映されているとも考えていいだろう。そこで話題にしたいのが、99日に杭州で浙江話劇団によって初演される予定の『渓口往事』という新しい演目だ。

 渓口とは浙江省奉化県渓口鎮のこと。この芝居の筋運びの詳細は目下のところ不明。だが、蒋介石が第一夫人の毛福梅との間に儲けた長男の蒋経国を主人公に、渓口鎮を舞台に彼と彼を取り巻く人々の生き様を描いている、とか。いずれ台湾公演も行われるだろう。

 ここで、いまという時点で、話劇の舞台に蒋経国を登場させる背景を考えてみたい。

 たとえマイナス・イメージで捉えられようと、どう考えても大陸における知名度では蒋介石のほうが格段に上のはず。毛沢東の足跡を振り返り共産党の役割を際立たせるうえで最も効果のある“敵役”だ。さらに中国の学界では抗日戦争時の振る舞いを中心にして台湾以前の蒋介石を改めて評価する動きすら生まれてきた。ならば蒋介石を主人公とした芝居の方が観客の“受け”がよさそうなものだが、敢えて蒋経国である。

 蒋経国は若き日に国民党政治に敢えて強く異を唱え蒋介石に敵対した。ソ連に留学し後に共産党幹部となる若者たちと机を並べて共産主義革命のイロハを学んだ。いわば第一、第二世代の共産党指導者とは同窓なのである。共産党敵視政策を推し進めたのは蒋介石でこそあれ、蒋経国ではなかった。蒋介石と共に台湾に渡った「老兵」の中国への探親(里帰り)を80年代末に解禁したことが、結果として現在の両岸交流への道を切り開いた。

一方、台湾の立場で見れば、蒋介石死後、約束されていた総統の椅子に就きながら、「蒋家の政治」を自分の世代で終らせることを宣言し、事実、そのポストが本省人の李登輝に渡るよう準備していた。蒋経国の後ろ盾がなかったなら、李登輝による“台湾の民主化”はありえなかっただろう。まさに死せる蒋経国が生ける国民党守旧派を沈黙させたのだ。「台湾に40年以上も住んだのだから、自分も台湾人だ」と、日本の敗戦を機に台湾に乗り込んできて以来の国民党政権の一連の台湾住民蔑視政策・措置に起因する省籍対立の解消に努めた。国民党の独裁体制を支えていた党禁(野党の存在を許さず)と報禁(新聞出版への強い規制)を晩年になって解禁し、民進党の合法化への道筋をつけることとなった。これに付け加えるなら、現総統の馬英九は青年時代に英語秘書として蒋経国に仕えていた。

 中国では芝居もまた政治である。『渓口往事』が大陸における蒋家王朝見直しのシグナルなのか。はたまた両岸交流の深化を図る統一戦線工作の一環なのか。いずれにせよ両岸関係を考えるうえで、こういう芝居が演じられるようになった背景は等閑視できない。