【知道中国 234回】〇九・四・念一
支那劇大観

 
残酷無残な芝居は、本当に面白いんです__


       『支那劇大観』(波多野乾一 大東出版社 昭和十八年)

 中国では芝居に入れあげる奇特な暇人を「戯迷」という。戦前、北京や上海に住んでいた日本人のなかにも“俄か戯迷”がいたようだが、中国国民党や共産党の研究でも知られた著者は、おそらく辻聴花、村田烏江、井上紅梅などと並んだ正真正銘の、中国でも第一級の戯迷といっていいだろう。ついでにいうなら、著者が1925年に北京で出版した『支那劇と其名優』は名著の誉れ高く、中国でも類書がなかったため翻訳され『京劇二百年之歴史』として出版された。同書は現在でもなお京劇研究の古典であり、中国でも必読文献として重視されている(最近では20081月出版の『民国京昆史料叢書』に復刻・所収)。

 著者のいう「支那劇」とは京劇のこと。著者は「この本の目的は、支那劇を観ようとする人の手引きに在る。そのためには支那劇がどんなものであるかを、先づ説かなければならない」とする「第一編 京劇概説」と、「現下支那で最も普通に行はれてゐる脚本を集め、その梗概及び出處を、時代順にして配列して見る」とした「第二編 脚本梗概」から成り立っているが、京劇という芝居に関心がなくても読むべきは第二編だろう。というのも、「現下支那で最も普通に行はれてゐ」た京劇の内容を知ることで、当時の中国、というより北京の庶民の日常生活の一面を垣間見ることができる、と思うからだ。

 太古の時代から「現下の」民国までを舞台にした芝居に加えて時代背景が明確でないものまで、700本近い演目の粗筋が記されているが、気になった数本を紹介しよう。

 先ず『封神演義』が種本の「摘星楼」だ。殷の紂王を篭絡した妲己は、自分を排除しようとする比干は聖人だから心臓がうまいはず。其の心臓を羹にしたいと紂王に強請る。かくて比干の胸は割かれ心臓が取り出される――さて、どんな風に演じられたか。

 『西漢演義』に材を採った「博浪錐」だが、蒼海公は秦の始皇帝を祖国の仇と狙い続けるが、暗殺に失敗し捕縛され、ついには肉醤にされてしまう――肉醤とは、人肉ミンチを指すのだろうが、さて舞台上では、どう表現したのだろうか。

 種本は『西漢演義』のようだが、著者が「西漢演義にあると思ふが、正確にその個所を指定することができない」とする「戦蒲関」。別名はズバリ「殺妾犒軍」「吃人肉」。王覇は蒲関を守るが敵の包囲が厳しく、援軍は期待できない。食糧は底を尽き、全軍餓死の危機が迫る。王は愛妾を殺して肉を、と考える。だが、自分では手を下せない。そこで部下に命ずるが、妾は王の武運長久と王一族の繁栄を祈念し覚悟して待つ。妾を殺した部下は自害する。かくて「王覇は二人の肉を以て三軍を犒つたので軍士意気百倍、終に援軍を得て囲みを解く」――「二人の肉」でどれほどの数の「軍士意気百倍」・・・いや、そこが芝居。

 もちろん『三国志』『水滸伝』『楊家将演義』『西遊記』などを種本にした活劇や「梁山泊与祝英台」のような悲恋ものまで、内容は数限りない。だが、ここに挙げた禍々しい内容もまた決して特別なものではない。戦争の時代にあっても、著者のいうように「現下支那で最も普通に行はれてゐ」たということを忘れてはならないだろう。とはいうものの49年以後になると共産党政権は、この手の演目は「社会主義の道徳に反する」ということで上演を厳禁することになる。だが、その後の演劇政策の推移を見るに、不徹底だったようだ。

 庶民が好む演目は彼らの偽らざる性向を語る。それが中国庶民の精神文化だろう。