【黄霊芝氏を偲んで(一)】—–台湾の俳聖逝く—–

【黄 霊芝氏を偲んで(一)】—–台湾の俳聖逝く—–
                 

                酒井杏子(さかい あんずっこ)

  春先に 旅立つ玩具 宇宙船    霊芝
         (「台北俳句曾創立三十五周年記念」2005・7・10)

 爽やかな初夏の朝の光が、壁にかけられた白地の陶板の額に差し込んで、焼き付けられた氏自筆の文字が楽しそうに踊っている。この季節、上句はどこまでも希望に満ちて明るい。
 台北俳句曾の会員でもない私が、会の記念の額をいつ・どうして頂いたかは往時茫々で今では思い出せないが、何かの折に氏が贈ってくださったものだ。
 2018年 3月13日 黄 霊芝氏死去。享年87歳。
 その生前の功績は大きく、2004年『台湾俳句歳時記』により第三回「正岡子規国際俳句賞」を、また2006年には旭日小綬賞の叙勲の栄誉に輝いた。
多岐にわたる幅広い分野で活躍したが、特に俳句は、台湾文学史上に確たる足跡を残した。

 氏とは2003年に出版された『台湾俳句歳時記』を通して出会い、音信不通となった最晩年の二年を除く約十年間交流を結んだ。実際にお会いしたのは一度だけだが、専ら電話・FAX・手紙での気ままな交流は途切れることなく続き、仕事がらみや俳壇と無縁な立場の日本人としては、私は比較的氏の素顔と接する機会を多くもてた方ではないかと思っている。
 氏が亡くなられて早二ヶ月が経つ。
折に触れては記憶の糸を手繰り寄せつつ、在りし日の氏の言葉や面影を偲んでいるが、生前じっくりと考えてもみなかった黄霊芝という人の輪郭の一端でも浮き彫りにできたらと、筆を執ってみたしだいである。
 ただその前に、かつて氏が電話で私に「先日、日本人女性で○○さんという人が私の伝記を書いたというんだが、あれは(=本の内容)私ではない。私とは違う」とキッパリと仰られたことがあり、その時私は、ある人物の伝記や研究論文を出す場合、本人の存命中もしくは死後まだ日が浅く、身辺に故人の日常での吐く息吸う息を知る人々がいる時期に発表することがいかに難しいかを思い知らされた。


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