【高金素梅】靖国を政治ショーの舞台にしたエセ台湾人

【高金素梅】靖国を政治ショーの舞台にしたエセ台湾人

(転載自由)

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以下は6年前に上梓した単行本「日本よ、こんな中国とつきあえるか」の一部ですが、参考のために再度掲載させていただきます。

 「台湾の声」編集長 林 建良(りん けんりょう)

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(転送転載自由)

●親中反日派の手引きで反靖国活動に乗り出した高金素梅

高金素梅は、いつの時点から、あるいはどのような動機、目的から、今回の行動に出たのであろうか?

台湾の週刊誌「新新聞」の記事(二〇〇三年六月、八五一号)によると、彼女は、「二〇〇二年、台湾を訪れた日本人に、日本に虐殺された原住民の子孫がなぜ靖国神社に参拝するのかと聞かれてから、関心を持ちはじめた」「台湾大学教授の許介麟とその日本人妻藤井志津枝や、尹章義、夏鋳九と彼らの日本の友人の協力でやっと事件の経緯を理解した」と語っているが、その「台湾を訪れた日本人」とは誰なのか? 雑誌に名前が上がっている許介麟、藤井志津枝、尹章義、夏鋳九はすべて親中反日派である。靖国問題に関心も知識もなかった彼女が、反日派の手引きでこの訴訟にからんできた構図が浮かび上がってくる。

こうした反日左派の誘導によって高金素梅が日本で反靖国活動を開始したのは、二〇〇二年八月からである。同月一二日、彼女と戦歿原住民の遺族と自称する張雲琴華は、民族衣装に身を包んで靖国神社におもむき、原住民の合祀取り下げを要求した。この張雲琴華は、高金素梅の側近である張俊傑の妻である。高金素梅らは原住民の踊りと歌で、「罰当たり」なパフォーマンスを神前でおこなった。

そして彼女は、「私たちの先祖が高砂義勇隊に参加したのは志願によるものではない」「台湾人は死んだあとも日本人に抑圧されなくてはならないのか」とメディアに語っている。彼女が用意した声明には、「戦争を起こした者と戦争の被害者が一緒に祀られることで、歴史が歪められている」「日本軍は一九一〇年から一九一五年までのあいだ、原住民を大量に虐殺したうえに、生き残りや子孫たちを高砂義勇隊として強制的に徴兵し、南洋に送って弾丸の的にさせ、灰塵に帰させた。二代滅族の重罪だ」とあった。

その後、彼女は終戦記念日の八月一五日に、大阪でおこなわれた「第一七回アジア・太平洋地域の戦争犠牲者に思いを馳せ、心に刻む集会」(佐治孝典委員長)に参加している。この左翼の集会のテーマは「戦争と靖国」である。この「心に刻む会」とは、「靖国神社を支えてきた日本の民族的エゴイズムを内部から打ち破る」ことを目的とする会で、毎年、終戦記念日前後に日本の「侵略の犠牲者、加害者」を証言者として招いて集会をおこなっている。

この会は一九八五(昭和六〇)年の中曽根康弘首相の靖国神社参拝をきっかけに発足したものだが、中国政府がそれまでおこなわなかった首相の靖国参拝批判を突然開始したのがこの年だから、中国の反日戦略に相呼応するかたちで組織されたのだろう。この会が「南京大虐殺」や「三光作戦」などをテーマとする中国の反日宣伝や、中国人による戦後補償要求など、中国政府の戦略と軌を一にしていることは確かである。このような会と高金素梅は、いかなる接点があったのだろうか?

それからもう一つ触れなくてはならないのは、彼女の靖国訴訟を支援する「小泉首相靖国参拝違憲アジア訴訟団」である。彼女の起こした裁判の原告には一〇〇人以上の日本人も含まれているが、そのなかには中核派、日本労働党、革命的共産主義者同盟のメンバーや、これら極左グループと提携する左翼知識人らが名を列ねている。高金素梅と彼らは、なぜ手を携えるようになったのか?

「小泉首相靖国参拝違憲アジア訴訟団 大阪訴訟ホームページ」に掲載された「ニュース第七号」(二〇〇二年一〇月一五日)は、高金素梅が反靖国活動に乗り出した経緯を次のように伝えている。

「心に刻む会」が毎年開催している「8・15」のつどいが、今年は「靖国」特集ということで、われわれ訴訟事務局に声がかかったのが、さる五月末ごろだったと思う。打ち合わせに行ってみると、靖国に合祀されている韓国や沖縄の遺族は招くことになっているが、台湾からもぜひ呼びたい、ついては知り合いとかルートはないだろうかという話になった。六月にたまたま別件で台湾に行く機会ができた。(中略)一度「原住民部落工作隊」に行って聞いてみたらと勧められ、一緒に訪問することになった。それから約一カ月が経過した。台湾から電話である。遺族に会えそうだという。(中略)少数民族出身の立法委員(国会議員)も会いたいという連絡もあった。

この「少数民族出身の立法委員」が高金素梅である。また、「原住民部落工作隊」とは、表向きは原住民の権利の向上を目指すグループだが、高金素梅の背後で動いている組織でもあり、最近では日本の左翼グループとの交流もあるようだ。つづけて訴訟団事務局は、こう語っている。

早速二名行った。立法委員の事務所でお互いに挨拶し打合せ後、遺族の待つ新竹県の山中に行く。(中略)こうして「8・15」集会に遺族や立法委員の招待が現実のものとなると同時に、遺族が靖国神社を合祀取り下げに訪問するということが実現したのである。

この「ニュース」を読むかぎり、高金素梅の来日のきっかけは、「心に刻む会」から、第一七回集会に韓国人だけでなく台湾人も参加させて、内容により説得力を持たせたいとの希望を受けた訴訟団事務局が、台湾の「原住民部落工作隊」に話を持ちかけたことだったようだ。この話に乗った彼女は、この集会に参加して合祀取り下げ要求もおこなうことになった。靖国神社社頭での「合祀取り下げ要求パフォーマンス」も、日本人に入れ知恵されたと思われる節がある。高砂義勇隊にも靖国神社にも無知だった彼女が、日本の左翼の誘いに飛びついて反靖国活動を開始したことは、疑いないようだ。
スキャンダルまみれの国会議員

高金素梅の母親は台湾原住民のタイヤル族だが、父親は戦後、台湾に渡ってきた中国人軍人(外省人)である。中国人軍人は台湾人を大量に虐殺した「二・二八事件」の加害者としてのイメージが強いため、台湾人に敬遠された。B介石政権に厳しく抑圧されていた当時の台湾人は、陰で中国人を「阿山仔」(唐山=中国からきた奴)や「猪仔」(豚のように食い散らす奴)と呼んで鬱憤を晴らしていた。

あの時代は、無実の台湾人が刑務所に入れられ、処刑される例が山ほどあった。憲兵は白いヘルメットをかぶっていたから、この恐怖政治は「白色テロ」と呼ばれた。B介石独裁政権の恐怖政治に加担した中国人軍人は、台湾人に嫌われて台湾社会では浮いた存在となった。その分、彼らは中国人意識が強く、人生の大半を台湾で過ごしながら、台湾人ではなく中国人であると強く主張している。そのために台湾で生まれ育った彼らの子供たちも、台湾人としての意識は薄い。だから、彼女が強い中国人意識を持っていたとしてもなんら不思議ではない。

芸能人を目指していた彼女は、台湾中部の「青年高校」(演劇科)卒業後、すぐ芸能界に入り、映画やテレビドラマに出演し、歌手としても活躍した。しかし、芸能活動よりもスキャンダルが彼女を有名にした。数々の不倫騒動から「誹聞天后」(スキャンダル・クイーン)という不名誉なあだ名をマスコミに付けられ、しばしばワイドショーや週刊誌のネタにされた。

こうして有名になった彼女は芸能界にとどまらず、ビジネスにも精を出したが、トラブルの連続だった。一九九六年に彼女が所有するウェディングドレス店「梅林新娘会館」で火災が起こり、何人かの死傷者を出した。不審な点が多かったため、犯罪がからんでいるのではないかと台湾の司法当局が調査に乗り出したほどである。

タレント時代の彼女は、「金素梅」の名前で芸能活動をおこない、原住民の身分を隠していた。比較的当選しやすい原住民枠で立候補するため、彼女はタイヤル族である母親の苗字を加えて、高金素梅と名乗ったのである。選挙キャンペーン中、彼女は台湾原住民の民族衣裳をまとい、顔に刺青模様のペインティングを施し、派手なパフォーマンスで話題を呼んだ。素朴な原住民には決して真似のできない振る舞いと得意の演技で、高金素梅は国会議員の座を手に入れたのだった。しかし、彼女のスキャンダルは、国会議員になってからもやむことなく、相次ぐ不倫の噂にマスコミは彼女を「情欲立委」(欲望に溺れる国会議員)と呼んだほどだ。

このような人間が台湾人を代表しているかのように振る舞って靖国訴訟を起こしたことは断じて許してはいけないのだ。

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参考

中国ガン・台湾人医師の処方箋」林 建良著 並木書房 2012年12月出版

http://www.amazon.co.jp/%E4%B8%AD%E5%9B%BD%E3%82%AC%E3%83%B3-%E6%9E%97-%E5%BB%BA%E8%89%AF/dp/4890633006/ref=sr_1_2?ie=UTF8&qid=1356076869&sr=8-2