【鄭弘儀氏】馬総統の抗日戦争勝利70周年に「勝利を祝う必要はあるのか」

【鄭弘儀氏】馬総統の抗日戦争勝利70周年に「勝利を祝う必要はあるのか」

日本李登輝友の会メールマガジン「日台共栄」より転載

 今年は大東亜戦争終結から70年の節目の年。日本でも様々な催しが開かれている。

 靖國神社では3月21日から12月8日まで「大東亜戦争70年展」の最終章として、硫黄島の戦い、沖
縄の戦い、本土防衛、樺太・占守島の戦いを主軸とした関係史資料を展示している。

 昭和20年の台湾のバシー海峡では、米潜水艦による魚雷攻撃により、南方に向かう多くの日本軍
の輸送船沈没、戦没者数は「20万人以上」とも「およそ10万人」とも言われ、8月2日、潮音寺で
「2015年台湾バシー海峡戦没者慰霊祭」が開かれる。

 一方、台湾の馬英九総統は今年を「抗日戦争勝利70周年」と位置付け、今朝(6月29日)の産経
新聞は「台湾・馬総統が反日転換?」の見出しの下、下記のように報じている。

<国防部(国防省に相当)は7月4日、北部・新竹県の陸軍基地内で、記念の軍事パレードを行う。
日中戦争の発端となった盧溝橋事件が発生した7月7日にはシンポジウム、旧日本軍の降伏式典が行
われた10月25日の「台湾光復節」には記念大会など、16項目のイベントを企画。今月23日には「中
央銀行」が記念のメダルの発行を発表した。>

<「反日」に舵を切ったかのような馬総統の言動に、日本の対台湾窓口機関、交流協会の幹部は
「首をかしげる」と不快感を示す。>

<台湾は先の大戦時は日本の統治下にあり、末期には徴兵制が施行され、米軍空爆で民間人の死傷
者も出た。ある著名な政治評論家がテレビ番組で「抗戦勝利を祝う人々は、日本人だった私の父の
ような人の気持ちを考えたことがあるのか」と発言し、波紋を広げている。>

 そもそも馬英九総統は学生時代から日本に批判的で、中国国民党主席として国民党本部ビルに
「抗日戦争勝利60周年記念」の垂れ幕を掲げるなど「反日」の証左はいくらでもある。

 それはさて置き、上記の産経の記事に出てくる「ある著名な政治評論家」とは、鄭弘儀氏のこと
だ。鄭氏が具体的にどのような発言をしたのか、FOCUS-ASIA.COMが詳しく伝えているのでご紹介し
たい。

 今年3月、日台交流をすすめる会(廣瀬勝代表)が鄭弘儀、黄文雄氏、三橋貴明氏を招いて日台
交流シンポジウムを開催したが、鄭氏の発言に多くの日本人が賛同した。そのときのプロフィール
を下記に紹介する。

◆鄭弘儀 1961年(昭和36年)生まれ。台湾嘉義の農家の出身。国立政治大学商学院修士号取得。
 中国時報記者(取材チーム副主任)、非凡テレビ(ニュース部部長)、年代テレビ(ディレク
 ター)、テレビのトーク番組「大話新聞(ニュースを話そう)」「新聞●●哇(ニュースを掘
 る)」など人気番組の司会者。(●=手偏に空のエが乙)

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台湾の司会者が抗戦勝利70周年の祝賀ムードに苦言、「当時日本人だった父の気持ちは・・・」
【FOCUS-ASIA.COM:2015年6月25日】

 台湾の時事討論番組「新聞クワクワ哇」の司会者、鄭弘儀が抗戦勝利70周年を記念する動きにつ
いて、「自分の父は当時、日本人だった。抗戦勝利70周年を祝うことを父がどう思うか」と発言
し、物議を醸している。25日付で観察者網が伝えた。

 22日の放送は抗戦勝利70周年記念をテーマとし、司会の鄭弘儀と複数のゲストが議論を展開し
た。その中で、鄭弘儀が抗戦勝利70周年を記念する動きについて、「出来るだけこの土地で暮らす
人々の気持ちを傷つけるべきではないと思う。自分の父にとって・・・父は日本の小学校で学び、
日本海軍の軍人となり、日本が降伏した当時は日本人だった。戦地に送り出される直前に日本が降
伏したので、行かなくて済んだ」と疑問を呈した。

 続いて、「父は10代で日本海軍の軍人となった。当時は兵の数が不足していたから・・・。何が
言いたいかというと、父の気持ちを考えたことがあるのか、ということ。当時、中国が戦った相手
は台湾を含む日本で、米国の戦闘機が台湾を爆撃した。父にとっては敵だった相手だ。それが今、
台湾にやってきて、勝利を祝おうと言っている。祝いたい人たちの気分を損ねようというのではな
い。ただ、勝利を祝う必要はあるのか」と問いかけた。

                                (編集翻訳 小豆沢紀子)