【軍事情勢】中国の不正に正義を貫くパラオと主権国家の「一分」

【軍事情勢】中国の不正に正義を貫くパラオと主権国家の「一分」

ms産経より

http://sankei.jp.msn.com/world/news/120528/asi12052800540000-n1.htm

 軍隊も無(な)い太平洋上の小さな島嶼(とうしょ)国家パラオが、強大な軍事力でアジア・太平洋の島嶼・海洋資源を次々に不法占拠する中国に対し正義を貫いた。違法操業を犯した中国漁民を「法に基づき起訴した」のだ。しかも、警告を無視した中国人を結果的に射殺して尚、正当性を譲らない。この報に接した瞬間、戊辰戦争で「武士の一分(いちぶん)=面目」を貫いた請西(じょうざい)藩(現千葉県木更津市)第3代藩主・林忠崇(ただたか)(1848〜1941年)に、唐突にも思いを馳(はせ)せた。中国を恐れ、その違法に目をつぶるわが国はパラオと忠祟に学ぶがよい。(SANKEI EXPRESS)

パラオと忠祟の気概

 請西藩は1万石の小藩ではあるが、林家当主は正月元旦に、江戸城内で将軍から最初に杯と兎(うさぎ)の吸い物を賜る栄誉に浴する。林家の祖が、戦(いくさ)に敗れ流浪していた徳川家の遠祖を匿った際、貧しくて十分なもてなしができなかった事(こと)から冬の寒中、猟に出てようやく射止めた兎を吸い物にして饗応(きょうおう)した故事に因(ちな)んでいる。青年大名・忠祟の脳裏には、この故事がうっとりするほどの誇りとなって刻まれていたに違いない。

 大政が奉還(1867年)され、時あたかも風雲急を告げていた。藩論は抗戦・恭順両派に分かれ伯仲した。そうした中、旧幕臣の一軍が合力(ごうりき)を頼みに来るや、藩主自らが藩士70人と共(とも)に脱藩を図り合流した。再び自藩に戻らぬ覚悟で、陣屋を焼き払っての出陣だった。新政府は林家を改易した。

関東各地で新政府軍と交戦、さらに東北地方へと転戦した。しかし、旧幕府方の奥越諸藩は次々に降伏・恭順していった。忠祟も「徳川家存続」の報を受け、戦の大義は果たされたと思量し、新政府に下った。

 驚くべき事に、忠祟は昭和16年まで「最後の大名」として生きた。92歳で天寿を全うする間際、辞世を求められるや「明治元年にやった。今は無い」と断っている。「降伏時に、切腹覚悟で詠んだ」との意だが、こんな辞世であった。

 「真心の あるかなきかはほふり出す 腹の血しおの色にこそ知れ」

 歌には、新政府軍の手先となり、旧幕府軍追討に加担した紀州・尾州・彦根など御三家や譜代筆頭に対する侮蔑と怒りが込められている。忠祟の凄烈でいて廉潔な男振り・武者振りには惚(ほ)れ惚(ぼ)れする。「主権国家の一分」を貫いたパラオにも、同じ爽快(そうかい)さを感じてしまう。

中国漁民25人を起訴

 パラオ警察は3月末、自国の鮫(さめ)保護海域で違法操業中の中国漁船を発見し、警告射撃を実施。ところが、不敵にも警告を無視して、漁船から小型艇2隻を降ろして操業を続けようとした。このため、パラオ警察艇が小型艇を追跡、強制停船に向けエンジンを狙い射撃した。その際、中国人1人が被弾し死亡。小型艇に乗っていた残り5人を逮捕したものの、他の20人は証拠隠滅のため、漁船に放火して海に飛び込んだ。最終的には死亡した1人を除き、25人全員が「御用」となった。

 中国人漁民25人は4月上旬、起訴された。パラオ警察は「中国人漁民は複数の罪に問われている」「裁判の結果、処分が決まる」と言明。粛々と司法行為を進める決意を示した。

 小欄は、パラオ政府の決然とした姿勢とは対照的な卑怯(ひきょう)・卑劣な政府を知っている。尖閣諸島近くで領海侵犯し、あまつさえ海上保安庁の艦船に体当たりまでしてのけた、工作船の可能性すら疑われる漁船の船長を、民主党政府は一地方検事の判断だと、責任をなすりつけた揚げ句釈放。しかも、船長を迎えに来日した中国政府高官のために深夜、石垣空港を開港させる媚(こび)まで振りまいた。

 ところで、中国政府では隣国ミクロネシア連邦の大使館から外交官を派遣し、事件の調査を始めた。パラオは台湾を国家として遇し、外交関係を保つ23カ国の1国で、中国を正統国家として認めていない。従って、大使館を置くミクロネシアの外交官が、特別の手続きを踏んだ上で入国した。中国を国家と認めぬパラオの姿勢に加え、パラオを取り巻く情勢を考慮すると、日本の卑屈は一層悪臭を放つ。

品性なき卑劣な日本

 前述したミクロネシアのヤップ島から米軍事拠点グアムまではわずか700キロ。中国軍は将来、水上艦や潜水艦の補給基地として、ヤップ島など太平洋島嶼国家を活用する戦略を真剣に描く。台湾や朝鮮半島で危機・戦争が勃発(ぼっぱつ)した際、この海域で米海軍空母打撃群の西進を阻止する狙いからだ。既にトンガ/フィジー/パプアニューギニアに軍需関連物資を提供し、軍人同士も交流させている。

孤立しつつあるパラオを、中国はどの様に苛(さいな)むだろうか。忠祟の場合、諸侯出身なのに新政府は華族に叙していない。開拓農民や下級官吏、商家の番頭など一介の士族として困窮生活を強いられた。諸侯なら子爵以上だが、1階級低い男爵に列せられたのは、ようやく明治26(1893)年になってから。中国の陰湿さは新政府のレベルではあるまい。

 もっとも、パラオもしっかり布石を打っている。1994年の独立時に米国と自由連合盟約を締結。期限付きで全軍事権と、外交権の内、軍事権に関係する部分を米国に委ねた。盟約に基づき、国民の一部は米国軍人として入営してもいる。

 親米国家であると同時に、日本による委任統治の歴史から親日国家でもある。2005年の来日前の会見で、当時の大統領が靖國(やすくに)神社参拝について「全(すべ)ての人のために祈るのは正しい行為だ」と、支持している。

 ただ、中国の魔手からパラオを守る気概は、残念だが今の日本に残ってはいない。嫌日国家・中国の顔色を窺(うかが)う、「一分」を捨てても恥と感じぬ、品性無き国家に成り下がったためだ。(九州総局長 野口裕之)


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