【読者反響】古田博司論文について

【読者反響】古田博司論文について

                  好田良弘

指摘の論説記事を読みました。大学院教授が、こうした認識のまま、学生を指導して
は困りますね。

こうした誤解が生じる一因に、私は「支那」という言葉の使用回避があると思いま
す。例えば、明、清、中華民国、中華人民共和国と、それぞれ異なる版図を有する時
代の流れを包括して表現する場合、他に適当な表現が無いにも関わらず、学会では、
「支那」を差別用語とする主張を尊重し、その使用を回避していると聞きます。

しかし、これは如何にも不便であり、現実の理解を妨げているのではないでしょう
か。以前、尖閣海域を侵犯した香港の活動船が、五星紅旗と青天白日満地紅旗を並ん
で掲げていることを取り上げた拙稿でも触れましたが、こうした第三者から見れば、
ある種、不思議な現象を理解するには、彼らの背後にある、国という単位を超えた帰
属先の存在を認識する必要があります。これを表現するのに最も適切なのが、「支
那」という言葉です。

「中華民国」という政府と、長年、その統治下に置かれた台湾という存在も、一言で
説明するには、相当厄介な変遷を経ています。しかし、同じ政府を代表する総統の地
位に就いた者として李登輝先生と蒋介石を対比させ、その違いの一因として支那への
帰属意識の有無を指摘し、その有無が広く庶民までに存在することを認識すれば、台
湾の実情に対する理解が大いに進むのではないでしょうか。

残念ながら古田教授は、台湾にも確かに存在する支那社会のみに目を奪われ、これが
台湾の総意であると誤解したのでしょう。こうした誤解を防止するためにも、国を超
えた帰属先でもある、「支那」という存在を認識する必要があると考えます。

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                一読者
林 建良編集長

編集長の言うとおりです。
誠に情けない日本になってしましました…。
せめて戦前に素晴らしい日本人がいたことを記していくのが私の使命だと思っており
ます。

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原文

【古田博司氏に異議あり】台湾人は「日本に勝利した」と考える人はいない

(転載自由)

 「台湾の声」編集長 林 建良(りん けんりょう)

本日(2012年10月17日)付けの産経新聞「正論」に古田博司筑波大学大学院教授
の「日本軍と戦わない屈折が反日に」と題する論文が掲載され、台湾人の親日感情について、以下のように書かれている。

「日本が敗戦したのは国民党の中華民国であって、共産党の中華人民共和国ではない。私は東京裁判自体は正しいものだとは思わないが、戦勝国として戦犯たちに臨んだことは、台湾住民に勝利の記憶を残したことであろう。この記憶が、台湾人の心をすっきりさせている。だから、彼らは反日である必要性を持たない。今日に至るまで親日だ。」

http://sankei.jp.msn.com/world/news/121017/kor12101703180000-n2.htm

台湾人の親日感情の原点は「日本に勝利した。だからすっきりした」という論述はあまりにも幼稚過ぎで台湾に対する認識は無知に等しい。

 日本に勝利したと考えている台湾人はまずいない。そして「勝った。すっきりした。」という心理は如何にも卑しい。この人は台湾を論じる資格はないと断じざるを得ない。

以下は2003年正論・別冊「靖国と日本人の心」に掲載された「戦後世代の台湾人からみた靖国問題」の中の一文である。参考にしていただきたい。

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もともと、日本は尊敬できる気概のある国であった。一般的に親日と言われている台湾人の親日感情の原点も、「日本精神」に対する憧れにある。台湾人が名付けた「日本精神」(ジッブンチェンシン)とは、私利より公益を優先する道徳感、自分たちの国家と伝統を守る気概なのである。

しかし、残念なことに、台湾人が憧れている「日本精神」は、戦後の日本では失われたままになっている。それまで善としてきた価値観は悪となり、伝統価値観の崩壊によって、日本人のアイデンティティも失われた。そのために日本は、虚無感の漂う無気力な国になってしまった。

総理の靖国神社公式参拝が論争の的になったことは、日本人のアイデンティティが問題にされていることの現れでもある。靖国神社参拝を他人事のように傍観している一般の日本国民のアイデンティティも問われているのだ。国民の多くが自国の魂に無関心だから、親中反日勢力が跋扈することにもなるのである。


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