【読者の声】台湾で歌った海ゆかば

【読者の声】 台湾で歌った海ゆかば  上田 真弓(千葉県・52歳)

日本李登輝友の会メルマガ「日台共栄」より転載

 昨日(3月28日)の産経新聞4面に「JASRACエッセイコンテストMY LIFE MY SONG 〜私の
大切なあの歌・あの曲〜」の受賞者の名前と作品が発表されている。

 これは、東日本大震災以降、人の心を励まし支え、勇気づける『音楽の力』が見直され
ていることから、産経新聞が主催し、日本音楽著作権協会(JASRAC)が共催、昨年11月半
ばから今年1月6日まで、「私の大切なあの歌・あの曲」をテーマに募集していたものだ。

 最優秀賞は小野寺ことみさんの「果てない空」が受賞した。佳作5作品の一つに、本誌に
もときどき投稿していただいている上田真弓(うえだ・まゆみ)さんの「台湾で歌った
『海ゆかば』」が入っている。

 昨日、ビジネス校講師を務め本会会員でもある上田さんからその作品をお送りいただい
た。下記に原文のままご紹介したい。

 ちなみに、作品に出てくる烏来の高砂義勇隊紀念協会理事長だった簡福源さん、高雄の
許昭栄さんのお二人は、本会ともご縁が深い。

 お二人ともすでに他界されているが、簡さんには2006(平成18)年2月、靖国神社の南部
利昭(なんぶ・としあき)宮司をお連れして高砂義勇隊紀念碑前で慰霊祭を催したときに
お世話になった。靖国神社宮司の訪台は戦後初だったこともあり、簡さんや紀念碑を建立
した周麗梅さんのご子息で同協会総幹事をつとめる馬偕理牧(マカイ・リムイ)さんたち
も感激の面持ちだったことを今でも鮮明に覚えている。

 また許昭栄さんとの思い出も鮮明だ。馬英九氏が総統に当選する2008(平成20)年2月、
亡くなられる3ヵ月ほど前にお会いして、許さんが造った「戦争と平和記念公園」をご案内
していただいた。馬氏の総統就任式当日の5月20日、許さんは焼身自決する。それを知った
ときのショックを今でもときどき思い出す。

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台湾で歌った「海ゆかば」  上田 真弓

 二〇〇四年、私は新聞社が主催するツアーに参加して台湾を訪れ、台北から車で一時間
ほどの烏来という山の中の町で行なわれた慰霊祭に出席した。烏来は台湾原住民の高砂族
が住む町だ。戦時中、多くの高砂族が日本軍に志願して、高砂義勇兵として出征した。そ
の勇敢さと献身ぶりは日本人の兵隊も驚くほどだったそうだが、多くの義勇兵が戦死し
た。その遺族や関係者が建立した高砂義勇兵慰霊碑の前で、慰霊祭が行なわれたのだ。

 司会を務めたのは高砂族の衣装を着た元町長で、遺族会代表の簡福源さん。「初めに国
歌を斉唱しましょう」という言葉に続いて流れた音楽は、「君が代」だった。私たちは高
砂族の皆さんと一緒に君が代を歌った。黙祷の後、簡福源さんが挨拶し、「私たち高砂族
が今こうして立派でいられるのは、日本のおかげです。私たちは日本人です」と言うので
驚き、感動した。そして慰霊祭の終わりに、簡福源さんが「海ゆかばを歌いましょう」と
言うので、更に驚いた。テレビの戦争ドキュメンタリー番組などで聴いたことはあるが、
自分で歌ったことなどないし、歌詞も知らなかった。私も含めて戦後生まれの参列者は、
出だしの「うーみーゆーかばー」しか歌えなかった。高砂族の皆さんは大きな声で歌い、
高齢の日本人も大きな声で歌っていた。日本兵だった高砂義勇兵の慰霊のために台湾人が
「海ゆかば」を歌っているのに、日本人の私が「海ゆかば」を歌えなくて恥ずかしかっ
た。

 日本に帰ってから、私はインターネットで「海ゆかば」を何度も聴いて覚えた。

 海ゆかば みづくかばね
 山ゆかば 草むすかばね
 大君の へにこそしなめ
 かへりみはせじ

 三年後の二〇〇七年、私は友人たちを誘って十人で台湾を訪れ、知り合いに紹介しても
らった元日本兵の許昭栄さんにお会いした。許昭栄さんは戦争中に志願して日本海軍の兵
士になった方で、亡くなった元日本兵台湾人のために私財を投じて高雄に慰霊碑を建て
た。私は慰霊碑の前で、「みんなで海ゆかばを歌いましょう」と言って、許昭栄さんと一
緒に歌った。許昭栄さんがとても喜んでくれたので嬉しかった。許昭栄さんは高雄市から
この土地を提供してもらい、ここを「戦争と平和記念公園」と名付けて整備を進めてい
た。

 その半年後、許昭栄さんがその慰霊碑の前で焼身自殺したと聞いて驚いた。許昭栄さん
の活動に反対する人たちの圧力で公園の建設が難しくなり、命をなげうって抗議したの
だ。一緒に「海ゆかば」を歌った場所で、許昭栄さんはその生涯を閉じた。命を賭けた許
昭栄さんの願いは叶い、今ではきれいな公園ができている。烏来の簡福源さんとは慰霊祭
以後、何度かお会いしてお話を伺ったが、二年前に亡くなった。「海ゆかば」を聴くと、
日本を愛してやまなかった二人のことを思い出す。


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