【西村真吾】感慨深く台湾から帰る

【西村真吾】感慨深く台湾から帰る

 西村真吾

真悟の時事通信 (平成23年11月13日号) より転載

                              No.687 平成23年11月13日(日)

 十二日夜、台湾から帰る。
 台湾での、松浦四郎若師匠の浪花節の会は、日本と台湾の参加者全員、等しく、しみじみと、「いいなー、よかったなー」と思う会となった。
 先にも書いたように、東日本大震災に対し、台湾から世界最大の支援が我が国に寄せられた。その支援に対して、ある台湾の人に「ありがとうございます」と感謝すると、彼は、「台湾人は、日本人を同胞と思っているのです」と答えてくれた。
 それなら、同じ同胞として、義理と人情の浪花節、を台湾で楽しんでもらおう、戦後日本人は変わってしまったように見えますが、浪花節の義理と人情では、日本人は戦前から何も変わっていませんよ、と台湾の浪花節の会を企画した次第。
 おそらく、戦後、台湾で生の浪花節を演じるのは初めてだと思う。

 台北では、蔡焜燦先生が呼びかけた人々が集まってくれた。
 高雄では、旧制高雄中学同窓会の人々が集まってくれた。
 浪曲の演題は、台北では、忠臣蔵の「赤穂城明け渡し、矢頭右衛門七」、高雄では、「乃木将軍、信州墓参」
 台湾の参加者の皆さんは、少年時代を日本軍兵士になろうとして過ごした人たちだった。そして、特に高雄の皆さんは、全員、戦後の昭和二十二年二月二十八日(2・28事件)から始まった蒋介石、国民党軍の白色テロで弾圧され、家族から犠牲者をだしている人々だった。その一人の十五歳で出征した郭鏡川さんから、「かつて日本人だった台湾少年の回想録、少年の日の覚悟」という本をいただいた。

 この度の台湾行きで、しみじみと思ったことを書いておきたい。それは、我が国は、戦争の後始末をしていない、ということだ。我が国は、戦に敗れたのを幸いに、自分だけ、無効な「日本国憲法」という枠に逃げ込んで、歴史を忘れたふりをしている。
 しかし、今からでも遅くはない。
 我が国は、かつて日本兵として、大東亜戦争の大義を信じて戦い、今も、日本人と同じ義理と人情を心に秘めて生きている多くのアジアの同胞である人々の労苦に感謝し誠を尽くさねばならない。
 このことが、日本を再興する大道である。台湾をはじめとするアジアの同胞の思いに報いることなくして我が国の再興はない。

 台湾における次の課題は、都会では会えない「山の人」、台湾原住民と我が国の絆を確認することだ。かつて彼らは九つの部族に別れていたが、高砂義勇隊として大同団結して国家(日本)のために勇敢に戦った。戦後、彼らの大義は日本自身によって否定された。それ故、彼らは、容易に本心を明かすことなく、再びばらばらに部族に別れて今も台湾の山にいる。
 しかし、今こそ、共通の敵は支那、中国共産党であることを自覚して高砂義勇軍の如く大同団結するべきである。
 彼らの団結は、総統選挙を控えて激しくなる中共からの政治攻勢を跳ね返して台湾の運命を好転させ得る。
 この台湾の「山の人」と日本との絆の確認は、本年九十七歳の戦前戦後の情報戦の生き字引であり、日本の未来を照らす隠れた至宝である門脇朝秀先生のご指導を得なければなしえない。

 以上、短文ながら、台湾帰国報告。


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