【西村眞悟の時事通信】口先の抗議で済む相手ではない

【西村眞悟の時事通信】口先の抗議で済む相手ではない

             西村眞悟

 中共は、種の開いた手品を繰り返して目的を達成しようとしている。
 その目的は、尖閣諸島獲得。
 手品とは「海の便衣兵」つまり漁船船団の尖閣周辺海域への侵入である。
 この中共の同じ手口の繰り返しに対して、
 我が国の歴代内閣も同じ対応を繰り返してきた。
 つまり、種の開いた手品にだまされ続けてきた。
 それは、便衣兵つまり漁船団がいなくなってくれるだけで喜び安堵し、
 あとは(喉元過ぎれば)、忘れる、という対応である。

 記憶をたどると、
 一九七六年(昭和五十一年)に周恩来と毛沢東が相次いで死去する。
 そして、四人組が逮捕され文化大革命路線が終焉して{ケ小平が復権する。
 {ケ小平の復活とは、振りかえれば、我が国にとって疫病神の復活であった。
 一九七八年(昭和五十三年)八月十二日、
 北京において日中平和友好条約が締結された。
 その十月二十三日の発効に合わせて最高実力者{ケ小平が来日する。
 この日中平和友好条約締結への動きは、
 明らかに改革開放路線を進む{ケ小平の主導したものである。
 問題は、
 この表面の国際社会に開いたオープンな「新しい中共」を思わせる動きと並行し
て、
 東シナ海の尖閣諸島周辺に何が起こっていたのか、である。
 百五十隻を越える中共の武装漁船が、
 尖閣諸島周辺海域に現れて我が国領海を侵し、
 公然と尖閣諸島は中共のものであると、我が国の巡視船を威嚇した。
 この武装漁船団の出現に、
 条約締結交渉を進めていた福田赳夫内閣は腰を抜かし、
 日中友好路線が破綻するのを恐れたのである。
 すると、武装漁船団は、ピタリと尖閣海域から姿を消して、
 福田内閣はホッと安堵した。
 そこに{ケ小平がニコニコ笑って来日し、
 記者会見で、尖閣諸島の領有問題は「棚に上げる」と提案したのである。
 福田内閣は、尖閣が「棚に上がった」ら海が平穏になると喜んで納得した。

 驚くべきことであるが、
 我が国の朝野は、
 自国の領土が、
 それを奪おうとする国によって
 「棚に上げられ」たことを喜んだのである。

 ここにおいて、{ケ小平は、目的を達した。
 以後中共は、我が国の領土である尖閣諸島の領有権の主張を維持しながら、
 我が国の巨額の資金援助と高度な技術によって経済を発展させ軍事力を強化してゆ
く。
  そして、気がつけば、
 中共はとっくに尖閣を「棚から下ろし」ていた。
 というより、棚に上げるとは、
 もともと、日本という児童を騙す手品の方便(ウソ)だったのだ。

一九九二年(平成四年)、中共は領海法を制定して、
 南シナ海の南沙諸島や西沙諸島そして東シナ海の尖閣諸島も中国領と公式に規定す
る。

 二〇一〇年(平成二十二年)九月七日、
 尖閣諸島周辺領海内で不審な行動をしている中国漁船が、
 我が海上保安庁の巡視船に衝突してきたので、
 海上保安庁は同船の船長を公務執行妨害で逮捕した。
 すると中共政府は、
 尖閣が中共領であることを前提にする対日非難を繰り返し、
 国際社会に日本が中共の海を侵略していると訴え、制裁措置を執るに至った。
 すると、同年九月二十四日、我が国検察は
 菅直人内閣の諒解のもとで中国船船長を処分保留で釈放した。
 ここにおいて、我が国の内閣と検察は、
 中共の対日非難に屈服したのである。

 この日本の屈服を見て、
 中共の「日本の尖閣侵略」という主張が国際社会に定着する形勢となった。
 その時、この中共のウソのプロパガンダから日本を救ったのは、
 中国漁船が我が巡視船に攻撃を仕掛けて衝突してくる影像を公開して、
 中共の主張は「ウソ」であることを世界に示した海上保安官の一色正春氏であっ
た。

 二〇一四年(平成二十六年)十一月、
 二百隻の中国漁船団が小笠原諸島周辺海域(領海及び排他的経済水域)に現れ、
 我が巡視船の警告を無視して我が国の宝石サンゴを根こそぎ奪った。
 我が国政府は、これを「密漁」と説明した。
 しかし、「密漁」とは、一隻か二隻で夜陰に紛れて盗っていくことを言う。
 二百隻で、堂々と巡視船の警告を無視して奪うことは、
 「侵略」であり「密漁」とは言わない。
 これを我が国政府が
 「密漁」と言い続けたということは
 「中国を刺激しない」という弱腰の方針にしがみついたということだ。
 この中国漁船団は、
 同年十二月に行われた衆議院総選挙の直前に忽然と姿を消した。
 これを我が国の政府与党は、
 国土交通大臣の手腕によるもの、
 と宣伝させてもらって中共に借りを作った。

 以上、振り返って思い出した事態を記したが、
 中共の圧力が回を重ねるごとに軍事力の増大に従って、
 露骨になってきたのが判る。
 つまり、現在は、実力行使寸前である。
 従って、
 この度の、尖閣諸島領海への三百隻近い漁船団と十数隻の「公船」の同時侵入は、
 これまでの中共の一貫した尖閣奪取による侵略実現
 への積み重ねの上に実施されたのである。
 従って、
 八月二十四日に中共の外務大臣が来日して、我が国外務大臣と会談し、
 尖閣周辺海域の平穏を回復するための話し合いに応じるかのような態度を見せた
が、
 これは、かつての「棚上げ」と同じトリックなのだ。
 九月に入って中共で行われる主要二十カ国・地域(G20)首脳会議において
 中共が、国際的孤立に追い込まれることを回避するために過ぎない。
 このG20が無事終われば、また元の黙阿弥に戻る。
 この時、我が国内閣は、
 尖閣を実力で守るか否かの決定的な決断を迫られる。
 これまで、
 我が外務大臣は、中共の駐日大使を呼んで抗議した。
 そして、二十四日、来日した中共の外務大臣に抗議した。
 九月のG20で、日中首脳会談があれば、
 我が国首相が中共の国家主席に抗議するだろう。

 しかし、この抗議の果てに、
 中共が尖閣に便衣兵を上陸させてきたら、
 その便衣兵どもが、
 そこに仮設住宅を造って南沙諸島のように住み始め、
 日本軍国主義の侵略した尖閣を
 七十一年ぶりに解放したと、
 国内で祝賀デモを繰り返したら、
 どうする。

 中共は、既に断末魔の国内からの崩壊を回避するために、
 外部に攻勢をかけるしかない。
 そして、その攻勢を成功させれば、ますます強硬になる。

 そのとき、
 我が国は、この中共と、「話しあう」のか。
 「中国を刺激するようなことを控える」のか。
 やるべきことは、
 参議院選挙中にも言い続けてきたし本通信にも書いた。
 こちらは、今まで、
 だまされ続けて滅茶苦茶「刺激されてきた」のだ。

 断固として、先手をとるべきである。


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