【臺灣通信】「蒋介石の銅像撤去」

臺灣通信(第七十一回)「蒋介石の銅像撤去」

作成日:2013年2月28日
作成者: 傳 田   晴 久

1. はじめに
2月23日(土)に台湾歌壇創立45周年紀念合同歌会が行
われ、翌24日に南北支部の会員がそろって烏山頭ダム
見学に参りましたが、途中山上浄水場に立ち寄り、日
本人エンジニアの濱野弥四郎の胸像を見学しました。
この胸像は奇美集団の総帥許文龍氏が自ら製作された
ものと言います。許文龍氏はこの胸像のほかにも後藤
新平、八田與一、鳥居信平など台湾の発展に貢献され
た偉人の胸像を製作されています。

今回の台湾通信は台湾の胸像、銅像に触発されてお伝
えいたします。

2. 銅像胸像を贈って
ダム見学に行くバスの中で、許文龍氏が濱野弥四郎氏
の胸像を製作されたいきさつについて、説明がありま
した。許文龍さんが子供のころお母さんから濱野弥四
郎が設計、施工した浄水場について、日本統治が始
まったころの台湾は衛生環境が極めて悪く、伝染病が
蔓延っており、当時の平均寿命は30歳程度であったが、
日本のお蔭でみんなが長生きできるようになった、と
聞かされ、以来日本に親近感を抱いていたと言います。
そして浄水場に以前あった濱野弥四郎氏の胸像がなく
なっているので、製作されたそうです。

許文龍氏が胸像を製作した後藤新平は台湾の環境衛生
(上下水道整備)、都市計画、阿片漸禁策などで台湾
の発展に大きな貢献を果たしています。同じく八田與
一は烏山頭水庫(ダム)の建設で、不毛な荒れ地を見
事な農業地帯に変えました。鳥居信平は台湾の屏東県
林邊渓に地下ダムを建設し、広大な荒れ地に農業用水
と飲料水を供給しました。

功績があった方の銅像、胸像を製作して、その功績を
たたえることは誠に立派な意義あることと思います。

3. 国立成功大学のキャンパスには
私が台湾で北京語を勉強したのは台南にある国立成功
大学の華語中心というところ(いわゆる学部ではなく、
語学学校の類)ですが、その教室の近くに小さな池が
あり、名前は壮大で「成功湖」と言います。その畔に
一体の銅像がありました。成功大学のキャンパスには
沢山の彫刻がありまして、我々の目を楽しませてくれ
ていますが、その中に一体だけ、妙な像がありました。
にやけ顔の爺さんが本を片手に何やら説教をしている
像です。説明文を詳しく読んだ訳ではありませんが、
どうやら学問の必要性を説いているようでした。

近所の小学校や中学校の校庭にも同じ像が立っていま
す。なんでも戒厳令下、蒋介石は中華民国の指導者な
らびに「中国4000年の道徳の体現者」として尊敬され
た(させられた)そうで、各機関、学校には中正像が
立てられ、最盛期には、台湾の作家林雙不の統計によ
れば、台湾には大小さまざまな蒋中正の銅像が45,000
体あったそうです。尚、中正は諱(いみな)、介石は
字(あざな)で「中正像」とは蒋介石の銅像の事です。
2000年の民進党が政権を取った後は順次撤去され、そ
れらの一部は桃園県の桃園大渓にある両蒋文化園区に
集められ、陳列されているそうです。

4. 中正像撤去
成功大学の中正像が先月(2013年1月)初旬に撤去され
ました。2012年11月2日の自由時報に成功大学の校務会
議(大学の最高意思決定機関)が蒋介石の銅像を撤去
し、校史室に移すことを決定したと報じていました。
私が今年の1月に台湾に戻った時、中正像は工事用の塀
で囲まれていました。隙間から覗くと既に像はなく
なっていました。聞く所によると、学生たちが騒がな
いようにこっそりと移したらしい。しばらくすると、
その塀も取り払われ、像の跡にはあざやかな緑の芝が
敷き詰められていました。

5. 彼は台湾に何をしてくれたか
台湾のために、台湾の人々のために貢献した後藤新平、
八田與一、鳥居信平、濱野弥四郎などの偉人に対して
は胸像を製作し、その貢献に謝するのは当然かもしれ
ませんが、この撤去された像の人は台湾に対して、台
湾の人々に対してどのような貢献をしてくれたので
しょうか。

台湾通信No.69にて紹介した「天亮前後」を書かれた許
育誠さんは「国共内戦に大敗した蒋介石総司令官は総
統の職に就き、帝王如き贅沢三昧。彼は国父孫中山に
心酔し、忠実な三民主義の信奉者と自豪しているが、
憲法を制定しながら憲政を行わず、軍政で島民を統治
し、たまりかねた島民はついに二二八事件を起こした」
と書かれています。

彼(等)が台湾および台湾人に何をしたかはいろいろ
の文献、ブログなどに書かれていますが、次の二、三
の言葉、エピソードを見れば推測が付くでしょう。

台湾の人から直接聞いたのか、どこかで読んだのか定
かではありませんが、台湾の人々は良く次のように言
うそうです。「アメリカは日本に原爆を落としただけ
だが、台湾には蒋介石を落とした」、あるいは「アメ
リカは広島、長崎に二発の原爆を落としたが、台湾に
は蒋介石、蒋経国という親子爆弾を落とした」と。

また、これも有名な言葉ですが、「犬が去って豚が来
た。犬(日本人)はうるさくても役に立つが、豚(国
民党)はただ貪り食うのみ

もう一つ、台湾の作家・評論家である柏楊(ポーヤン)は
1968年、「中華日報」紙文化欄の「ポパイ―父子二人
が小島で魚釣りをしている漫画」に“父子二人はこの
小島を購入し、順番に大統領となった”との説明文を
付け、逮捕された。当時は蒋介石を侮辱すれば、銃殺
されて当然の重罪であったが、救援活動もあり、結局
懲役10年の刑になったと言います(「醜い中国人」柏
楊著、張良澤・宗像隆幸共訳)。

これではボロクソですから、蒋介石を評価する人の意
見も少しは・・・・「以徳報怨」とか、「大陸の日本
兵を速やかに復員させた」とか、「対日賠償を放棄し
た」とか・・・・・どこまで真実か私にはわかりませ
ん。しかし、こういう話は聞いたことがあります。も
う亡くなった方ですが、タイヤル族の女性頭目でリム
イ・アベオ(日本名秋野愛子、中国名周麗梅)と言う
方が居られまして、昔、お目に掛った時、「私は国民
党員、蒋介石さんも蒋経国さんもみんないい人です。
悪いのはその下にいる人たち」と仰いました。この言
葉が彼女の本心かどうかは分かりませんが、この話は
2001年7月にお聞きしたものです。

現在台湾の故宮博物院に保管されている貴重な文化遺
産があの野蛮な「文化大革命」の犠牲にならないで済
んだのは、蒋介石等が台湾に運んだからと言えるかも
しれませんが、これとて台湾のため、台湾人のためを
思ってやったことではありますまい。

6. おわりに
やはり撤去された銅像の主は台湾に貢献した人ではな
いようです。

私は昨年(2012年)の秋、台湾歌壇に入れて頂きまし
た。この会は日本語世代の台湾の人々が短歌を詠み、
鑑賞し、台湾に遺されている日本の文化を継承しよう
として始められたと言うことです。毎月歌会があり、
会員は歌を一首投稿し、それを皆で鑑賞し、投票し、
勉強します。2月の月例会に私は次のような歌を詠み、
投稿しました。

 成大は中正像を撤去せりみどりの風吹く兆しとぞ見ゆる

何とこの歌に4人の方が投票してくださったそうです。
かねて大学のキャンパスに立つ「中正像」に違和感を
持ち、苦々しく思って居りましたが、撤去された跡地
の緑の芝を見て嬉しくなり、拙い歌を詠んだのですが、
共感してくださる方が居られたのです。

(文責在傳田晴久)