【甲子園に出場した台湾高校野球】映画「KANO」

【甲子園に出場した台湾高校野球】映画「KANO」 

メルマガ「遥かなり台湾」より
    

映画「KANO」が来年の春節(旧正月)に台湾で上映されることになったことは台湾通の皆さんもご存じかと思います。

『KANO』は、『海角七号』(2008年)、『セデック・バレ』(2011年)など、日本統治時代の台湾を題材に話題作を生み出し続けてきた魏徳聖監督が10年前から温め続けてきた、嘉義農林学校(=現・嘉義大学)野球部の栄光のストーリー。

台湾人・日本人・原住民族の混成チームが、苦難を乗り越え心をひとつに甲子園を目指し、1931年の第17回大会で初出場ながら決勝戦に進出した実話なのです。

伝説のチームを育て上げた“鬼監督”近藤兵太郎を演じるのは、永瀬正敏。その妻を演じるのは坂井真紀、そして大沢たかおも台湾にダムを造った八田興一役で特別出演するそうです。永瀬はデビューしたての頃に一度台湾映画のオファーをもらっており、今回は恩返しのつもりで多忙なスケジュールを調整し台湾での撮影にのぞんだといいます。

3月31日の未明、オーディションで選ばれた現役の野球少年演じる嘉農野球部ナインはユニホームのまま一列に並び、永瀬“監督”とメガホンを握る監督に向かい日本語で「お疲れ様でした!」と脱帽・一礼、昨年11月のクランクインから119日間の撮影を終えたのでした。

決勝戦のシーンを撮影していた時期はちょうど、ワールド・ベースボール・クラシック(WBC)の台日戦と重なり、抜きつ抜かれつの緊張感あるゲーム展開で、台湾は惜敗したがスポーツマンシップあふれる清々しい戦いぶりが話題を呼びました。

魏監督は、「KANOの決勝戦と全く同じ、歴史が再現されているようで鳥肌が立った」「本当に大切なのは勝ち負けではない、人の心に残るのは勝敗を超えたスピリッツ」と興奮気味に語り、1931年の感動の記憶が台湾野球の力になればと期待を込めていました。
来年の春節の上映ガ待ち遠しい一人です。

映画「KANO」日本語版  https://www.facebook.com/Kano.japan

このメルマガでも2005年11月に取り上げその後ブログにも転載したところこの記事を読んだ読者からの書き込みがありました。

(メルマガ記事)
戦前、甲子園の決勝戦まで進んだ台湾から出場したチームがあったのをご存知でしょうか。その名は「嘉義農林」。高校野球ファンでなくても台湾人の年配の方で知らないものがいないほど有名なのです。

 読者の中には、「どうして台湾のチームが甲子園に出場できるの?」と不思議に思われた方がいるかも知れませんね。それは、台灣が日本の植民地時代、台灣の学校も日本の学校とみなされていたため、台灣の高校からも甲子園へ出場する事ができたのです。

 昭和6年(1931)の台灣代表として出場した嘉義農林高の監督は前述の松山商出身の近藤兵太郎で「俺が台灣の野球を強くする」という意気込みで台灣へ渡った人でした。彼は台湾最強のチームを作るべく台湾全島をくまなく歩き回り有望な選手を見つけ、嘉義農林へと呼び寄せたのです。

 松山商直伝のスパルタ式訓練で選手を鍛え、それに応えた嘉義農林の選手たちは徐々に頭角を現わし、1931年甲子園の切符を手にしたのです。下馬評にものぼらなかった嘉義農林は破竹の勢いで勝ち進み、見事に準優勝し、日本全国をあっと驚かせ、甲子園の輝かしい歴史の中にその名を刻み込んだのでした。

※嘉義農林高は後年、国立嘉義技術學院となり最近、国立嘉義師範學院と統合し現在は国立嘉義大学と
なっています。

◆インターネットで検索していると下記のような新聞記事が載っていました。今は年老いたOBの人たちが先生の墓参りにわざわざ松山に足を運んでくれていたとは、何と律儀な台湾の人たちでしょう。
簡潔な記事の中に「当時の先生と生徒の信頼の絆の深さ」に感銘を受けました。

台湾の嘉義農林OBが監督の墓参り (1998/08/05  愛媛新聞掲載)

 全国高校野球選手権大会(朝日新聞社、日本高野連主催)の前身、全国中等学校優勝野球大会の第十七大会(一九三一年)で台湾から出場して準優勝した嘉義農林(現・嘉義技術学院)のOBらが四日、松山市を訪れ、当時の野球部監督だった故近藤兵太郎さんの墓参りをした。

 近藤監督は元松山商野球部員。戦前に台湾に渡り、嘉義農林の野球部監督に就任。甲子園に初出場し、準優勝に導いた。

 この日、近藤監督のもとで野球をしていた嘉義農林野球部の選手やOBと日本在住のOBら約二十人が再会を喜び合い、故人の思い出に話を弾ませた。近藤監督の母校の松山商を表敬訪問したあと、墓参りに出かけた。

 戦中・戦後の混乱で紛失していた準優勝の記念盾「朝日牌(はい)」をこの夏に復刻した。参拝者は持参した盾を墓前に添え、墓石に水や酒をかけて手を合わせた。 準優勝当時に中堅手だった蘇正生さん(八五)は、墓前で思わず目を潤ませ「近藤さんは台湾の模範となる野球を教えてくれた。今の自分があるのはすべて近藤さんのおかげ。本当に感謝している」と話した。