【産経新聞】台湾で最も熱いロックバンドが日本デビュー!−滅火器(Fire EX.)

台湾で最も熱いロックバンドが日本デビュー!
産経新聞 12/2(金) 18:11配信

台湾で最も熱いロックバンドが日本デビュー!

 近年、日本との交流が活発な台湾。その台湾で今、若者を中心に絶大な人気を集めているロックバンドがある。男性4人組の「滅火器(Fire EX.)」で、11月には台湾で異例の大規模となる野球場でのライブを成功させた。

 同バンドが一躍有名になったきっかけは、2014年に台湾で起きた「ヒマワリ学生運動」。当時の政権が強行採決しようとした中国傾斜政策に学生らが抗議、立法院(国会に相当)を占拠したもので、今年1月の台湾総統選挙の投票行動にも影響したとされている。

 同バンドは運動の“テーマソング”を制作、同楽曲は社会現象となり、台湾のグラミー賞といわれる「金曲奨(賞)」を受賞した。他の楽曲では東日本大震災の被災地で復興支援の思いも込めてミュージックビデオを撮影するなど、社会的要素を含んだ音楽活動は台湾にとどまらない。

 今年6月には、メンバーが「念願だった」という日本デビューを果たし、日本でのライブ活動にも力を入れる。

 11月、都内で行われたライブに出演するため来日した同バンドに、日本デビューを目指した理由や、学生運動の“テーマソング”をはじめとする人気楽曲の制作背景などを聞いた。(金谷かおり)

◆「滅火器(Fire EX.)」メンバー(以下、敬称略)

ボーカル・楊大正

ギター・鄭宇辰

ベース・陳敬元

ドラム・呉迪

−−今年6月、日本でのデビューアルバム「REBORN」を発売した。なぜ日本デビューを目指したのか

楊 「僕たち(楊、鄭、陳の3人)は高雄(台湾南部)の高校の同級生で、いつも好きな音楽をシェアしていた。はじめは米国のバンドを聴いていたけれど、17歳のときに初めて『AIR JAM』(日本で開催されるロックフェスティバル)のビデオを見て、台湾から近い日本にこんなロックシーンがあることを知って衝撃を受けた。台湾もいつかこういう風になったらいいなと、夢を持つようになった。バンドを結成してからは日本のフェスなどにも参加するようになったけれど、今までにない考えに触れたりできて貴重な経験となっている。日本でいろいろ勉強して、自分たちのバンドをもっと成長させたい」

−−日本で特に影響を受けたアーティストは

楊 「『Hi−STANDARD』が最初でとても大きな影響を受けた。次は『HUSKING BEE』かな」

鄭 「『ELLEGARDEN』!」

呉 「『MONOEYES』もね」

陳 「影響を受けたバンドは多すぎるよ」

−−日本でのデビューアルバム「REBORN」に収録されている「Keep on Going」は、東日本大震災で大きな被害を受けた岩手県宮古市田老地区で撮影した。なぜ日本の被災地を選んだのか

楊 「アルバムのテーマ『REBORN』(=再生、生まれ変わり)が、大震災からの復興に共通するものがあるように感じた。僕たちは実は、このアルバムの台湾版を制作する前、バンドを続けていていいのか解散した方がいいのか悩んでいた。それはバンドを続けてきて大人の男性なった今、音楽で食べていけるのか、家族、子供ができたときに養っていけるのかどうかということなどで、僕らなりの人生の大きな転換期にさしかかっていた。結局、僕たちは全力をかけてバンドをやっていくことに決めた。それがアルバムタイトルにつながっていて、大震災から全力で復興しようとしているのが、僕たちにはとても自分たちのことのように感じた」

−−被災地を実際に訪れてどのようなことを感じたか。現地の集会所で楽曲を披露した際、楊さんや鄭さんは泣き出しそうな顔をしていた

楊 「震災の状況は当時、テレビやネットなどを通じてみて鮮明に記憶している。実際に被災地を訪れて倒れた家などを見ると、その映像が目に浮かんだ。ただ、そこにいる人たちは前を向いていて、希望が感じられ、僕たちの方が勇気をもらった。このようにはなかなかなれるものではないと思うので、世界の他の国も学んでよいものではないかと思う」

鄭 「(集会所では)年配の方が僕たちの歌を聴いてくれて、とても感動したんだ」

−−同じく収録されている「おやすみ台湾」は2008年、台湾で前政権の中国国民党政権が誕生した際に制作したと聞く

楊 「総統選挙で国民党の総統が誕生し、立法委員(国会議員に相当)も3分の2が国民党になっていたから、台湾の未来が心配で眠れなかった。僕は、国民党は政党の名前は『国民』なのに、国民よりも企業利益を大事にすると感じているから。再び国民党政権が始まったら企業優先で開発も進み、環境も破壊され、美しいこの台湾を守れなくなるのではないかと考えていた。眠れなくてギターを手にしたら、5分で制作できてしまった。とても自然にできた。でもバンドでこんなにゆっくりした曲はなかったから、メンバーもファンもはじめは慣れなかった」

−−「ヒマワリ学生運動」の“テーマソング”である「この島の夜明け」も収録されている。この曲はどのように作られたのか

楊 「学生運動が起きた際、学生たちは夜寝るときに『おやすみ台湾』を聴いていて、ある学生から『国民を団結させるための楽曲を作ってほしい』と依頼を受けて制作した。学生が集まっている場所に行き、彼らと話し、感じた彼らの気持ちを曲にした。僕たちも彼らと同じ気持ちで、中国とのサービス貿易協定自体にも、国民党がそれを強行的に採決しようとするやり方にも反対だった。それは台湾の主体性が失われようとしていたから。国民はみな色々な考えを持っているのに、あのようなやり方で現状を変えようとするのは間違っている」

鄭 「あのやり方は民意を尊重していなかった」

−−日本版のアルバムに収録されている曲の多くは台湾版と同じ台湾語で歌われているが、「おやすみ台湾」と「この島の夜明け」の2曲は日本版向けに日本語で歌った。その理由は

楊 「この2曲は僕たちの楽曲のなかでも特によく知られている曲。これらの曲を通じて、日本の人にも『滅火器』のことを知ってもらいたかった。また同時に、台湾の現状を知ってほしいという気持ちがある」

鄭 「台湾のことを知ってもらうにも、音楽が一番早いやり方だと思う」

−−多くの楽曲を台湾語で歌っている。日本では中国語を学ぶ人は多いが台湾語は正直、少ない。日本デビューにあたって言葉の壁にならないか心配することはなかったか

呉 「台湾語は台湾南部では国語(中国語)よりも普通に話されている。台湾語はとても美しい言語で、メロディーにすることも国語より適している。セカンドアルバムから多くの楽曲を台湾語でつくるようになったが、歌詞を国語にするかどうかは、その曲が国語に合っている、もしくは同じニュアンスの言葉が見つかれば変えてもいいかもしれない。日本語にするかどうかも同じで、メロディーに合う歌詞を書いてくれる人が見つかればそれもいいと思う」

−−台湾のアーティストや俳優では、市場規模の大きさや言語が共通していることなどから中国で活躍する人も少なくない。そのため政治的な発言や活動などには慎重になっていることもあるようにうかがえる。最近では今年1月、台湾総統選挙の投票日前日、韓国のアイドルグループで活動する台湾出身の女性が、ミュージックビデオの中で中華民国の国旗を振ったことを中国から「台湾独立分子」と批判されて謝罪する映像が流れた。映像は台湾で繰り返し放映され、翌日の投票行動にも影響したとされている。一方で、「滅火器(Fire EX.)」の楽曲は社会性、政治性を隠さない

楊 「僕たちにとって、音楽は絶対的に自由なもの。政治的な要素に影響されることは不合理だ。僕たちは自分たちの信念に誠実であり続けたいので、このルールは決して破ってはいけないものと考えている。でも、誰かと争いたいわけじゃない。人と人は互いに尊重し合うものだと思う。中国はこれまでのところ、(台湾やそこに住む人を)尊重することを分かっていない。僕たちも中国との交流が進むことを期待している。ただそれは、中国が『包容』と『尊重』を理解してからでなければいけない。実際、中国にも僕たちのファンはいる。台湾へは中国からの観光客が多く、そのなかで僕たちのライブに来てくれる人もいて、もちろん大歓迎!中国ではちょっと特殊なことをしないと僕たちの音楽をネットで聴くことはできないみたいだけどね。でも、僕たちもどこであろうとファンに自分たちの一番いい音楽を届けたい」

鄭 「中国には『自由』であることを認めてほしいと思うよ」

−−「滅火器(Fire EX.)」の音楽が台湾の若者を中心に支持されている理由を、自分たちではどのように分析しているか

楊 「正直、よく分からないんだ(笑)。僕たちは高校生のときから、音楽で気持ちを共有したいと思ってバンドを組んで、楽曲のテーマは日常生活から来ている。高校生のときは学校生活を歌にしたし、恋愛もテーマになった。大人になってからは仕事のことを曲にして、将来メンバーの誰かに子供ができたらそのことも歌にすると思う。こういう人生を、本にする人もいるだろうし、僕たちはそれを音楽にしている。もしかしたら、そういう『平凡』で『普通』のバンドだから、友達のように親近感を感じてもらえているのかもしれない。実際、ぼくたちの歌を聴くときには友達と話しているように感じてもらえたらうれしいよ」

鄭 「僕たちはとても自然体なんだ」

−−少し話がそれるが、呉さんはおばあさんが日本人だと聞いている。幼いころから日本は身近な存在だったのか

呉 「僕の母方の祖母は徳島県の生まれ。台湾生まれの祖父が日本の慶應大学へ留学したときに出会った。日本で結婚し、母が生まれ、母が10数歳のころに台北に移ったみたい。祖父は日本から米国に留学しようとして、でも国籍の問題などで難しかったから台湾に戻ったと聞いている。祖父母はよく日本語で話していたから、僕も2、3歳のころは日本語ができたらしい。今はもうできなくなっちゃったけど。でも祖母に連れられてよく日本に来ていたから、日本は『第2の家』だよ」

−−今後の目標は。日本では「武道館」を目標に掲げるアーティストもいる

楊 「今の気持ちのまま進んでいって、楽曲やライブをよりよいものにしたい。毎年、新しいことに挑戦していきたい。バンドをやっていて幸せを感じるのは、多くの人に応援して支えてもらっていること。小規模なライブハウスとかだとそういうファンの一人一人の表情が見え、互いの生命の鼓動を感じられる気がする。でも大きい会場も気持ちがいいし、武道館も目指さないこともないよ!」

鄭 「僕たちの活動を、音楽業界や若いミュージシャンにフィードバックできるようにもしていきたい。僕たちはファンとの距離が近い小規模な会場が好きだけど、武道館に行きたくないなんてことはないね(笑)」

■「滅火器(Fire EX.)」

2000年結成。07年、ファーストアルバム「Let’s GO!」でデビュー。09年にセカンドアルバム「海上的人」、13年にサードアルバム「再会!青春」、16年に新アルバム「REBORN」を発表。同年6月、日本版「REBORN」で日本デビュー。ライブ活動では台湾各地の音楽フェスティバルに出演し、09年以降は米ニューヨークの「CMJ」や北米最大の「CMW」など大規模なフェスにも参加。韓国などアジア諸国でも積極的に活動している。日本でも多くのバンドと交流し、「SUMMER SONIC」などに出演。昨年と今年、日本の人気バンド「MONOEYES」などとアジア3カ国を廻るツアーも実施した。14年、「ヒマワリ学生運動」で制作した「島嶼天光(この島の夜明け)」が台湾のグラミー賞と称される「金曲奨(賞)」で「最優秀歌曲賞」を受賞。

[写真(省略)]来日し、インタビューに応じる台湾のロックバンド「滅火器(Fire EX.)」。左から陳敬元さん(ベース)、楊大正さん(ボーカル)、鄭宇辰さん(ベース)、呉迪さん(ドラム)=11月中旬、東京都江東区(長谷川周人撮影)(写真:産経新聞)

2016.12.3 10:00