【李登輝講演録一】竜馬の「船中八策」に基づいた私の若い皆さんに伝えたいこと

【李登輝講演録一】竜馬の「船中八策」に基づいた私の若い皆さんに伝えたいこと
         
       二〇〇九年九月五日(日比谷公会堂)
 
                          李登輝

一、はしがき

  栂野理事長、安藤副理事長、ご来賓の皆様、青年会議所の会員の皆様。こんにちは!台湾の李登輝です。

 今年の四月三日、東京青年会議所の栂野慶太(トガノ ケイタ)理事長、安藤公一(アンドウ タカカズ)副理事長をはじめ、幹部の方々が台湾を訪問され、九月五日の「東京青年会議所六〇周年記念フォーラム」で講演するよう、私のもとにわざわざ依頼にいらっしゃいました。せっかくのご依頼でしたので、熱心な日本の若き青年に対して、日本人としての誇りを再確認していただきながら、目前に存在する日本の政治的行き詰まりを打開する方法についてお話しできないかと考えてまいりました。

『折しも、日本では民主党政権が誕生しました。日本国民の民意により、鳩山内閣が発足することを心よりお祝い申し上げます。今後日本で、二大政党による、よき政権交代が行われるかどうか、定着するかどうかは、鳩山民主党政権が国民から評価される政治を行えるかどうかにかかっています。僭越ながら、新しい総理大臣が、つねに国民の幸福、安寧を第一に考えられるようにと申し上げたく思います。

と同時に、日本が国際社会から一層の尊敬を受けるような外交政策を展開されるよう期待しております。ぜひ日米協調路線を基軸に大陸中国と節度ある交流をするとともに、独立した存在としての台湾との一層の連携強化に取り組んでいただきたいと思います。』

日本政治が大きな転換点を迎える、この節目にあたってどのようなお話をすればよいか、色々と考えた結果、本日は、坂本竜馬の「船中八策」に託してお話ししてみようと思います。

 二、坂本竜馬の「船中八策」

 近代日本の幕開けに欠かすことの出来ない人物と言えば、まず坂本竜馬でしょう。徳川幕府の末期、倒幕、佐幕と各藩が分裂していた頃、又倒幕派も薩摩、長州という大藩が分かれていた中で、これをうまく調停して日本を戦火から救ったのは、奇才坂本竜馬でした。彼の生涯は僅か三十三年に過ぎませんでしたが、明治維新の成功に彼の遺した業績は素晴らしいものでした。

現代日本の課題を考える人々の心中にも彼の精神は生き続けています。多くの作家が違った表現で竜馬を語っています。「海を翔ける龍」、「竜馬がゆく」、「竜馬が歩く」と云われる様に、土佐藩を脱藩して勝海舟の門下に入った竜馬が暗殺されるまでの五年間に、竜馬は地球を一周するくらい、海に陸にと旅をしています。彼は忙しく動き回り、新しい国づくりに全身全霊を注ぎました。中でも大仕事だったのは、倒幕に対する薩長両藩の異なる意見を調整することでした。

 この間に彼の行った政治活動は数え切れない程多いものでしたが、中でも、「船中八策」は、彼の遺した最重要の政治的功績ではないかと思います。大政奉還への動きを促進すべく長崎から京都に上る船の中で、「国是七条」を手本に、竜馬が提示した新しい国家像、それが「船中八策」です。将軍が新しい国づくり案を理解し、幕府が政権を朝廷に返せば、内戦なしで日本は近代国家に生まれ変わる。そうした希望を託した日本の将来像「船中八策」は次のようなものでした。

 一、天下の政権を朝廷に奉還せしめ、政令宜しく朝廷より出づべき事。

 一、上下議政局を設け、議員を置きて万機を参賛せしめ、万機宜しく公議に決すべき事。

 一、有材の公卿・諸侯及天下の人材を顧問に備へ、官爵を賜ひ、宜しく従来有名無実の官を除くべき事。

 一、外国の交際広く公議を採り、新に至当の規約を立つべき事。                         
 
 一、古来の律令を折衷し、新に無窮の大典を撰定すべき事。

 一、海軍宜しく拡張すべき事。

 一、御親兵を置き、帝都を守衛せしむべき事。

 一、金銀物貨宜しく外国と平均の法を設くべき事。

 
 以上八策は、方今(ほうこん=この頃の)天下の形勢を察し、之を宇内(うだい=世界)万国に徴するに、之を捨てて他に済時(さいじ=世の中の困難を救う)の急務(=日本を急いで救うための手立ては)あるなし(=あるはずもない)。苟(いやしく)も、此(この)数策を断行せば、皇運を挽回し、国勢を拡張し、万国と並立(へいりつ)するも亦(また)敢て難しとせず。伏して願くは公明正大の道理に基き、一大英断を以て天下と更始一新(こうしいっしん)せん。
 
 この「船中八策」には、幕府と藩に代わって議会制度を持つ近代国家「日本」の実現を目指す竜馬の心がよく表れています。大政奉還がなり、朝廷の許しを得た後、竜馬は喜びのうちに、「船中八策」をもとにして、新しい政府のあり方についての新政府綱領を書き上げたと言われています。
 明治政府成立後に示された五箇条の御誓文や政治改革の方向は、やはり竜馬の「船中八策」に沿うものでした。

 三、坂本竜馬の「船中八策」に託した江口先生の私への提言

 明治維新を動かした憂国の志士は丁度みなさんのような三十代前後の青年達です。徳川末期の若者達が、その置かれた立場の違いにもかかわらず、申し合わせたように政治改革の必要性を感じ取っていたことは実に印象的です。
忘れてはならないことは、竜馬が長崎から京に上る船の中で、改革案を八箇条にまとめたことに表れているように、当時の青年達は、ただ血気にはやってことを進めたのではなく、よく国勢を了解し、国運を己の使命と受けとめて活動していたということです。

 竜馬の「船中八策」は、古今を問わず、日本の若い青年を鼓舞するものであり、若い青年たちの命を賭した実践は、永く歴史の記憶に刻まれています。
 日本だけではありません。日本と同じく周囲を海に囲まれた台湾に住む私自身も、「船中八策」に大いに励まされてきたのです。

 平成九年(一九九七年)四月二十九日、私が総統として台湾の民主化と自由化に努力奮闘している時、PHP総合研究所社長の江口克彦先生から竜馬の「船中八策」に託した激励のお手紙と提言をいただきました。
 
 江口社長は、私にとってきわめて重要な友人のひとりでありますが、とくに、当時の台湾が置かれていた内外の情勢と私の主張を実に適確に理解しており、「船中八策」に託しての私への提言は非常に意義深く、総統である私に大きな勇気を与えてくれるものでありました。

 江口社長の提言は又、台湾に住む我々にも坂本竜馬の「船中八策」は、非常に重要な政治改革の方向であったこと。これが私の言う脱古改新、即ち中国的政治文化に対する離脱であったと共に、私たちにとっても、誇りを持って実践に当たる使命感が強化されました。時間の都合上、本日の講演では江口社長の台湾の提言は、残念ながら割愛せざるを得ません。

続く


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